山形県 酒田の幼稚園『若草幼稚園』です。
園内の様子や入園のご案内の情報をご紹介します。

幼稚園 〒998-0037 山形県酒田市日吉町1-4-34
TEL 0234-22-2132 FAX 0234-22-9740

ベビールーム 〒998-0062 山形県酒田市北新町1-1-58
TEL 0234-25-5191 FAX 0234-25-5192

前園長ブログ

泥んこプール2

2010.07.26

 24日(土曜日)は、うさぎの夏まつりに参加していただき、どうもありがとうございました。

 雨の予報がはずれ、外での活動ができて良かったなあと思います。子どもたちもプールなどを楽しんでいましたね。しかし・・・、私が担当していた赤土泥んこプールには、小学生のお兄ちゃんの参加が1名だけ…。足をちょこっと入れてみる子もいましたが、これまで経験したことない不思議な感触に、泣きそうになりそこでストップ。保護者の皆さんも、後から泥を洗い落とす手間を考えると少しちゅうちょ気味。あまりの不人気ぶりにがっかりの園長。やっぱり普段の保育中にみんなで入るから楽しいのであって、小さいお子さんがトライするにはちょっとハードルが高かったですね。

 その悔しさが、最後の先生たちの踊りの場面であのダイビングにつながりました。一人では恥ずかしいので、ずるいことに若手のなおと先生を先に飛び込ませ、後から続きました。なおと先生とは事前の打ち合わせなどなく、踊りが始まる直前に、「なおと先生、最後に泥んこプールに飛び込むぞ」、「えっ?でも・・・」、「今日着替えは持ってるか?」、「いえ、持ってきてないです」、「わかった。後で俺の服、パンツも含め全部貸すから安心しろ」、「はい・・・」。

 園長命令には逆らえるわけなく、普段の保育でもせいぜい下半身ぐらいまでしか浸からなかった泥んこプールに、踊りの曲が終わった瞬間、頭から突っ込んでいったなおと先生・・・。いったいその胸中はどんなものだったのでしょうか?

 でも、あの踊りのタイトル「花火ドカーン!」には、最も適したアクションではなかったかと自負しています。まさしくドッカーン!と飛び込んでいきました。ただ、参加されていた親子の皆さんに、泥が飛んでいかなかったか、それだけが心配でした。子どもたちもびっくりしたと思います。45才にもなって、こんなアホなことをするのが大好きな園長です。どうぞ大目に見てやってください。

 終了後のすくすく畑ツアーも楽しかったですね。年長が夏季保育で収穫し尽くした後でしたが、1週間経つとまた新たに取り頃になる夏野菜もあり、まさに自然の恵みですね。
ミニトマトは一人一人の袋がいっぱいになるほど、その他ナス、きゅうり、じゃがいも、ピーマン、インゲンなどなど、いろんな野菜が収穫できました。

 私はその後すぐに、キッズサッカーのコーチの仕事があったため、夏まつりの後片付けもせず若草を後にしました。何かちょっとやり残したことがあったなあと思いながら車を運転していました。

 (あ、そうだ!なおと先生に着替え渡すの忘れていた。ま、いいか…)

 それでは、次回もお待ちしております。

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泥んこプール遊び

2010.07.16

 14日は、第2回目のぴょんぴょん広場に参加いただきありがとうございました。あいにくの雨だったため予定していたプール遊びはできませんでしたが、ホールで存分に楽しんでくれたのではないかと思います。

 でも、プール遊びしたかったですよね!やっぱり夏は、何も考えず水遊びしたい!・・・と思っていたのですが、最近、(私的に)水遊びよりさらに面白い遊びがあることがわかりました。 

 それは、泥んこプール遊び!です。(あまり変わらないじゃないか)と思うかもしれませんが、全然違うんです。2年前にお父さん達と一緒に作った泥んこプールですが、これまでは普通の土を使っていました。でも今年は、泥を赤土に変えたことで、遊びのスケールが飛躍的にアップしたのです。水を含んだ赤土に足から入ると、ネチョネチョ、ネロネロ、グニュグニュ、グジャグジャ、ズボズボ…形容する言葉がいっぱい出てくるほど、すごく、非日常的な感覚です。思いきって全身を泥の中に入れ、泥の中でもがくと、何とも言えない…感触です。でも気持ちいい!子ども達も、キャーキャー言いながら感触を楽しんだり、泥ダンゴ作りをして張りきっています。

 突然、私に泥をぶっかけてきた子がいました。顔を含め体中が泥一色になると、もう園長の面影はありません。何とも恐ろしいドロドロ怪獣の出現です(この様子は、ホームページのトピックスにいくつかUPしてますのでご覧ください)。
子ども達もみんな大喜び!!と言いたいところですが、ドロドロ怪獣が出現したとたん、そのあまりに異様な姿に泣き出してしまった子もいました。私も調子に乗って、グランド中を走り回ってみんなを追いかけまわしたので、ベビーや年少の子をだいぶ怖がらせてしまいました。ごめんなさいね。以後気をつけます。

 なかなか最近は、このような遊びの機会は全国的にも減ったと思いますが、昔は、子ども達皆が、田んぼに入って同じような感触を楽しんでいたのでしょうね。

 こんなに楽しい泥んこプール、夏の間はいっぱい入りたいと思います(夏だけでなく??)。 小さいお子さんももし機会があれば、利用してください。24日(土)の夏まつりでオープンしています。着替えやタオルを忘れないで下さいね。

 14日は、第2回目のぴょんぴょん広場に参加いただきありがと…続きを読む

わが子へ望むこと

2010.06.10

 今日は、「わが子へ望むこと」について、少しお話します。

 ある大手の塾で、「カリスマ講師」と呼ばれていたAさんの体験談ですが、塾へ入会希望の保護者へ、毎回入会希望の理由を聞くそうです。当然保護者(ほとんどがお母さん)は「子どもに勉強してほしいから」と言いますね。するとAさんは、「なぜお子さんに勉強してほしいのか?」とさらに尋ねます。すると、「いい学校に入ってほしいから」とか「学歴がないと将来困るから」、「一流の会社に入ってほしいから」などと答えるそうです。
 Aさんはその答えに対しても、「なぜいい学校に入ってほしいのか?」、「なぜ学歴がないと将来困るのか?」、「なぜ一流の会社に入ってほしいのか?」などと、どんな答えに対しても「なぜ?」「なぜ?」を繰り返し、保護者の答えをどんどん掘り下げていくのです。
 そうするとどの保護者も、最後に残った答えが、「子どもに幸せになってほしいから」になるそうです。そこでAさんは、「あなたの言う幸せとはどんな状態ですか?」と聞きます。保護者は、「健康で、ある程度のお金があって、周りの人から信頼されて、愛する家族に囲まれて、笑顔の絶えない人生を送ってくれたら、親として言うことはない」と、大体このようなことを言います。そこには「一流の大学」とか「いい会社」とかいう言葉はないのです。

 Aさんは過去に数多くの生徒を塾で教えてきたので、社会人になって活躍している教え子もたくさんいます。そこでAさんは、教え子に片っ端から連絡をとって、「今、おまえは幸せか?」とズバリ聞いたそうです。何百人もの教え子に聞いたそうですが、その結果は、当然ながら「自分は幸せだ」という人達と「幸せじゃない」という人達に分かれ、そこにはある共通点が浮かび上がったそうです。
 「幸せな人生を歩んでいる人」の共通点というのは、周りの人を喜ばせることに喜びを感じられる人であり、お客さんに喜んでもらおうと、そういう思いで仕事をしている人は幸せになっているのだそうです。
 逆に「不幸せと感じている人」は、「私はもっと稼ぎたい」、「私はもっと出世したい」、「自分が自分が」という人であり、そこには他人の喜びを考える余地はありません。

 このことから、わが子に幸せな人生を送ってもらおうと思ったら、「周りの人を喜ばせることに喜びを感じる」、「他人の心情をくみ取ることができる」、そういう子に育てることが大切だとAさんは言っています。結局、人は他の人との関わりの中で生きていくのですから。(「他人の喜びが自分の喜び」ということについては、次回にまた書きます)

 皆さんは、お子さんに何を望みますか? 

 今日は、「わが子へ望むこと」について、少しお話します。  …続きを読む

長所と短所

2010.05.30

 29日のうさぎの春まつりに参加していただき、どうもありがとうございました。
 このイベントを通して、たくさんの子ども達と会うことができるのが楽しみです。6月からはいちごクラブやぴょんぴょん広場も始まります。どうぞ若草に足を運んで、雰囲気を感じ取っていただきたいと思います。

 会の最後に、先生達の自己紹介がありました。何でもナンバーワンということで、先生達それぞれの「NO.1」が発表されました。いろいろ出ましたね。食欲や体力、匂いの嗅ぎ分け、目立ちたがり、色黒、元気、声の大きさ、泳ぎ、子どもの目線の高さ、などなど。果たしてナンバーワンと自慢できるのかどうか分からないものもありましたが…。
 でも、何でもいいと思います。これは自分の得意分野、これだけは他に負けないというようなものがあると、人は強いですね。それが長所であり個性でもあるので、その人の生き様を現し、そこから派生する様々なものを取り込んで、応用を利かしていくことができます。

 経営コンサルタントの船井幸雄氏が提唱したものに、「長所進展法」というものがあります。その人(事象)の欠点、短所を是正させるよりも、長所をほめて(認めて)伸ばしていくことによって、短所であったものが目立たなくなっていき、業績も上がっていく。これは社員教育でも会社の経営そのものにもあてはまるやり方で、実際に彼はこの方法を担当した企業の経営指導に用い、めざましい成果を上げました。

 そもそも、長所と短所は紙一重だと思います。例えば、「あの人はリーダーシップがある」と言われる人が、別の人からは「彼は傲慢なところがある」と言われるように、その人のいい意味の特性が、少し度が過ぎると不快を与える短所にもなり得るのですね。逆の場合もあります。例えば「八方美人」と揶揄される人は、実は誰に対しても公平で配慮が行き届く人でもあるのです。「優柔不断」な人も、「思慮深く慎重」であると言えましょう。
 このように、長所と思えるものが実は短所だったり、逆に短所だと思いこんでいたものが、考え方を変えると長所に変わっていくというふうになるのです。自分の欠点に悩まないで、ちょっと視点を変えてみるといいのかもしれませんね。そうすると、実は素敵な特性だったことに気付くかもしれません。

 子ども達にも当然あてはまりますよね。飽きっぽくて一つのことに集中できないと思われる子は、いろいろな分野に興味を持つ好奇心旺盛な子であると言えるし、自分のやり方に固執しなかなか大人の言うことを聞かない子は、自らの信念を持って物事に対処する生き方を貫く人になるかもしれません。おとなしくてメソメソしてたとしても、だからこそ人の優しさに敏感で、思いやりあふれる人となる特性を持っているのです。

 そう考えると、この時期は、子ども達の特性を注意深く観察し、その特性を認めて伸ばしていく働きかけが必要なのだと思います。これは保護者の役割でもあり、幼稚園の先生の最も大事な仕事でもあるのです。みんな素晴らしい長所を持っているのです。その長所を、どんどん伸ばしていってあげて下さい。

 それでは、次回の夏まつりもお待ちしております。 

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若草の園庭(広報「わかくさ」第3号より)

2010.03.16

 ある幼稚園のホームページを見ていたら、その園のテーマソングのようなオリジナルの曲が掲載されていました。「みんな みんな ありがとう」という曲で、聴いてみたらとてもいいメロディで、一回で好きになりました(造形展の時に、会場の一角で曲を流しました)。この曲を聴いているうちに、若草の園庭が自然に思い浮かんでくるようになりました。
 歌詞を紹介します。

「空が見守っていてくれるように 太陽がぬくもりをくれるように
あなたのそばにはいつも 大切な仲間がいるよ
だからどんなときも 一緒に笑って 同じ時を刻みたい
夕暮れの園庭に 身を染めて ふと目を閉じて
ふりかえる時 幸せいっぱいでありますように
あの涙も あの傷も 誇れる日がくるから

緑の葉っぱが 体を揺らして
生きている喜びを 歌っているね
僕たち人間もほら 笑顔が一番良く似合う
そしてどんなときも ありがとうを あなたへと響かせて
まるでふるさとの 体温のような 淡く柔らかな
風のにおい ここに来れば いつでも いつまでも
幸せに手がとどく そんな場所がここにある

勇気を分けてくれて みんな みんな ありがとう
生まれてきてくれて みんな みんな ありがとう」

 若草の園庭も、卒園生にとって、大切な仲間と一緒に毎日を過ごした空間でした。
 「グランドでは鬼ごっこやサッカーで走り回ったね。トンボ池でカエルをいっぱい捕まえたね。森の山の探検はワクワクしたよ。木登り名人もいたなあ。いっぱい木の実を拾って見せに来てくれたね。うさぎの世話をしてくれてありがとう。すくすく畑でいっぱい収穫したね。」
 いつも園庭を駆け巡るみんなには、笑顔が一番似合っていました。
 大仏さんに見守られながら、緑いっぱいの園庭で過ごした思い出は、卒園生にとってどんなものなのかな?目を閉じてふりかえる時、幸せいっぱいでありますように。

 そして、卒園しても、ここに来ればいつでも元気が出る、そんな園庭であってほしいと思います。園長先生は、この園庭でみんなと一緒に笑って同じ時を刻めたこと、とても幸せでした。

 卒園おめでとうございます。 

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一段一段

2010.02.22

 2月20日の「うさぎの冬まつり」を最後に、今年度の未就園児親子の活動がすべて終了しました。これまで「なかよしうさぎの日」、そして「ぴょんぴょん広場」に参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
 お子さん達は、野を駆け巡るうさぎのように、ぴょんぴょん跳びはねて楽しんでくれたでしょうか?

 ぴょんぴょん跳びはねると言えば、ただ今開催中のバンクーバーオリンピック、すごいですね!選手たちは、スキーやスケート、スノーボードでガンガン跳びはねていますね。

 モーグルの上村愛子は本当に惜しかったです。メダルに後一歩届かず4位。オリンピックに4回続けて出場して7位、6位、5位、4位と、一つ一つ順位を上げてきました。「何で一段一段なんだろう・・・」(インタビューで)と、悲願のメダルを目指していた彼女にとってはオリンピックの神様は何て非情だと感じるでしょうが、この「一段一段」がなかなか出来ないものです。

 人はすぐに結果を求めようとして、途中のプロセスを抜きにして語りがちです(私もそうですが・・・)。しかし、こつこつとした努力なしでは、何事も結果は出ないと思います。例え、何の努力もしないで運よく結果を出しているように見える人がいたとしても、陰で人知れず努力しているか、またはその結果は一時しのぎであって後からツケが回ってくるように、人生という長いスパンで考えると帳尻は合ってくるのではないかと思います。

 その意味で、メダルはもちろん素晴らしいですが、『4大会連続入賞』、それも一つ一つ順位を上げていく、こちらの方がより価値があるのではないでしょうか。日々の練習の積み重ねと努力が彼女の人間力を養い、一段一段上がる事の大切さを身をもって示しているように感じます。
 「お母さんの子どもで良かった」と言う彼女に対して、「その言葉をそっくり娘に返したい」というお母さん。そして妻を思いやってねぎらう夫の皆川選手。家族の温かな関係も、彼女の誠実な人柄を表し、記録や結果だけでない感動を私達に与えてくれました。

 幼稚園の子ども達も、急なステップアップや目に見える結果を求めるのではなく、一段一段成長していけるよう、ゆっくりあせらずこつこつと保育に当っていく大切さを感じます。

 来年度もよろしくお願いします!

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年末

2009.12.21

 先日は、ぴょんぴょん広場にお越しいただきありがとうございました。クリスマス会ということで、子ども達も楽しく過ごすことができたのではないでしょうか。私はサンタクロースに扮しましたが、その日も本業が忙しく、黒い衣と赤いサンタの衣装の両方を着るという掟(おきて)破りでした…。

 もうすぐ今年も終わりですね。本当にあっという間です。特に40歳を過ぎてからは、一年一年の月日の経つのが早く感じられます。かおる先生はどう感じているのでしょうか???

 「一年の計は元旦にあり」と言うように、人は元旦にその年の抱負を語り(思い)、どのように目標に向って実践するか計画を立てるのが良いとされています。やはり年が変わり新たな一年を迎えるという新鮮さが、目標を持ちやすくするのでしょう。例えば日記を書き始めるとか、ダイエットのために運動を始めるとか…。私も含め、だいたい「三日坊主」で終わるようですが…。いや、私は「一生坊主」です。また、初詣に出向き、いろいろなお願いをするのも元旦ならではですね。

 このように、人は物事の始まりとか新たなスタートに注意を向けがちですが、物事の締めくくりに振り返るということはあまりしないようです。一年を振り返り、その年はどうだったか、自分の立てた目標は実行できたか…。検証して反省することは、仕事では当たり前ですが、いざ自分のこととなると難しいですね。実行できてないことが多く、どうしても言い訳してしまいますね。

 この時期に檀家さん宅を読経で回っていると、お年寄りの方々は、「今年も健康でいられたことが何よりもありがたい」とか「今年も平和に生きてこられてありがたい」という、感謝の言葉を口にすることが多いです。新たな目標というよりも、一年間、一日一日を無事に過ごせたことに感謝の気持ちを持つ。なかなか若い世代にはできないことかもしれませんが、大切なことだと思います。

 元旦の初日の出を見ながら、今年の目標を定め、また、神仏に向ってお願いをするということももちろん大事なことですが、年末に、今年一年に思いを馳せ、自分の生き様を振り返る。そして、いろんな試練はあったにせよ、無事にまた新たな一年を迎えられることに、感謝の気持ちを示すことこそ「一年の計」なのではないかと思います。

 それでは皆さん、よいお年をお迎えください。

 先日は、ぴょんぴょん広場にお越しいただきありがとうございま…続きを読む

熱狂ワールドカップ

2009.12.05

 ついに来年のサッカーW杯の組み合わせが発表なりましたね。日本はオランダ、デンマーク、カメルーンと、3チームとも強いところと対戦するわけで、大変厳しいリーグに入ったと思います。個人的には、若草卒園生であるクリストファーの母国デンマークと同組になったことにとても驚きました。13年前に、うちの先生達みんなでデンマークの幼稚園の視察旅行に行ったことも懐かしく思い出されます。クリストファーもサッカーを得意としており、帰省した折には若草園児ともボールを蹴り合ってくれます。オランダがいるから難しいですが、日本とデンマークどちらも予選突破してほしいです。

 ワールドカップと言えば、私も1990年6月、イタリア大会の現地にいました。当時証券会社に勤めていたのですが、是非本場のW杯を見たいとの思いが募り、1週間の休暇を取りボーナスをはたいて単身現地に飛びました。事前の計画も何もなく行ったため、東京ローマ間の往復の飛行機チケットだけ持ち、宿泊場所や試合の観戦チケットすらない貧乏旅行でした。

 ローマに着くと、そこはサッカーの本場、もうワールドカップ一色です。その日はイタリア対アメリカ戦が行われる予定で、ローマ市内は早くもお祭り騒ぎです。ベッドとシャワーだけの汚い安ホテルを探し当て、試合会場のスタディオ・オリンピコ周辺で、粘りに粘り何とかチケットを入手、超満員のスタジアムにもぐりこむことができました。日本代表がW杯に初出場を決めたのは、イタリア大会の8年後のフランス大会です。なので当時はまだ日本人のサッカー観戦者は少なく、観客席で私が1人ポツンと座っていると、ヨーロッパのサポーター達から好奇の目で見られました。

 試合はイタリアが楽勝するとの予想と裏腹にアメリカが善戦、イタリアが何度もシュートチャンスを作るのですが、アメリカの堅いディフェンスにはね返されていました。その度にスタジアム全体がブーイングの嵐、イタリア国民は自国の選手にも厳しいのです。フラストレーションがたまる展開でしたが、ついに後半10分にイタリアが先制すると、7万人収容のスタジアムがどっと揺れました。それまでの重苦しい雰囲気から解き放たれたようなものすごい歓声と地響きに、本当に圧倒されました。結局試合は1対0でイタリアが勝利、高らかに喜びの歌を合唱するイタリア国民達でした。ちなみに、後にジュビロ磐田で活躍するスキラッチは、このイタリア大会で頭角を現し7得点を挙げ、イタリア代表のスターになったのです。彼の初々しい姿が目に焼きついています。

 その日のローマの夜はもう朝までお祭り状態、箱乗りしてクラクションを鳴らしながら走る車がいっぱいで、また、酔っ払いたちがいつまでもイタリア国歌をがなりたてているのでした。私もその雰囲気を楽しみながらも、シャイなため(?)彼らの仲間に入れず、1人わびしく過ごしたことを覚えています。

 その後は、電車で移動して地方に泊まり、ベルギー、ウルグアイ、韓国戦など計4試合を観戦することができました。観戦するたびに、高度な技術、気迫あふれるプレー、統制された組織力に感銘を受け、勝者、敗者の明暗に胸が熱くなりました。選手のみならず、それぞれの国のサポーターのファッションや国旗のフェイスペイントも面白く、その応援の熱狂的な姿に、国の威信をかけた戦いだという印象を強くしました。

 1週間はまたたく間にすぎ、お金も底をつき、決勝トーナメントを前に帰国しました。夢と熱狂の余韻を引きずりながら会社に顔を出した途端、「この相場が大変な時に、よくサッカーにうつつを抜かしてられるな」と営業課長の冷たい視線がありました。実は、1990年はバブルの崩壊元年であり、証券会社にとっては株価暴落の大変な時でありました。私もすぐに現実に引き戻され、W杯の興奮はどこかへすっ飛んでいきました。

 その後日本も力を付け、W杯の常連になりました。イタリア大会は遠い昔の思い出ですが、私にとってはあの興奮は今でも胸の中にあります。なかなかあれほどの興奮を味わうことはありませんが、サポーターの熱狂度は、ワールドカップを上回るだろうと言われるイベントがあります。

 そう、『園児サッカー大会』です!来年の1月31日、年長組が出場します。酒田の幼稚園、保育園のチームが集まり、優勝トロフィ目指してシュート!何せ園児の兄弟、両親、祖父母が大挙して応援に訪れるこの大会、国体記念体育館は超満員になります。酒田にもあったのです、「熱狂ワールドカップ」。皆さん、応援よろしくお願いします!

 ついに来年のサッカーW杯の組み合わせが発表なりましたね。日…続きを読む

「しゃぼん玉」と「七つの子」

2009.11.23

 檀家さんの中で、ご先祖の多いお宅で読経していると、気付くことがよくあります。それは、「童子」や「童女」、「孩児」や「孩女」、「嬰児」や「嬰女」などの幼くして亡くなった子どもの戒名が、昔の位牌や過去帖(戒名を羅列したもの)に多く見受けられることです。

 医学が今のように発達しておらず、食糧事情も悪かった時代は、病気で亡くなる子どもが沢山いました。発展途上国は、現代でも子どもの死亡率は大変高いです。日本は今はとても恵まれていることを実感しますが、普段何気なく口ずさむ童謡の中にも、当時の幼子に対する想いを綴った歌があります。

「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ 風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ」

 園児がしゃぼん玉を飛ばしている所を見ると、この歌がすぐ心に浮かびます。この童謡の作者の野口雨情は、我が子を2人病気で亡くしており、長女のみどりは生まれて8日目、次女の恒子は満2歳で亡くなっています。まさにしゃぼん玉のように、生まれてすぐに、飛ぶ前にはかなく逝ってしまいました。「風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ」は、我が子に対する切ない想いが込められてるのですね。

 もう一つ、同じ野口雨情の童謡で、おなじみの「七つの子」があります。

「烏なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの子があるからよ
可愛可愛と 烏は啼くの 可愛可愛と 啼くんだよ
山の古巣へ いって見て御覧 丸い目をした いい子だよ」

 カラスは普通3~5個の卵を産み、全部が孵ることはないそうなので、7羽の子ども説は否定されます。また、カラスの平均寿命は5~7年ですが、厳しい自然の中でその大半は育ちません。よって、7才のカラス説も成り立たないそうです。では、この「七つ」とは一体なんの事なのでしょうか?
 
 人間に換算して七つだ、という意味であるという説が有力だそうです。雨情はこの「七つの子」を人間の7才の子にだぶらせて書いたとも言われています。「七つの子」には七五三の行事でも見られるように、子どもの成長の節目としての3才、5才、7才という段階があり、生まれても幼いうちに命を失うことの多かった時代に、3才まで、5才まで、と無事に育って、ここまで育てば一つの安心となる7才になったその象徴としての「七つの子」という言葉ではないか、という説です。幼くして我が子を亡くした雨情にとっては、まさに心からの願いとしてこの歌を作ったのかもしれません。

 しゃぼん玉は、こわれて消えればそれでおしまいですが、人間の命は違います。たとえこの世に生を受けすぐに逝ったとしても、肉親から受けた、あるいは肉親に与えた愛情や慈悲の心は、いつまでも残り続けるのでしょう。だからこそ雨情はその想いを歌に託し、その歌に共感した人々がその想いを伝えていく。短い命だったとしても、こんなふうに命の役割は果たされていくのだと思います。

 檀家さん宅の仏壇の中の古い小さな位牌、もしかして今はその存在の記憶は子孫には残っていないかもしれませんが、この世に生を受けた証しとしての何らかの想いは、代々その家に伝わっているのだろうと思います。

 檀家さんの中で、ご先祖の多いお宅で読経していると、気付くこ…続きを読む

赤ちゃんの社会性

2009.11.12

 今回の「PTA会長の寝言」の「若草幼稚園の思い出~罪と罰~」、面白いですねえ。『ねんどの部屋』での出来事がこれだけ鮮明に思い出されるのは、会長さんも書いているように、「怖くて夢のある場所」だったからでしょうね。子ども心には怖くてドキドキでも、後から振り返ると神秘的で夢があった、思い出の一コマなのでしょう。

 前の「園長のつぶやき」にも書きましたが、「その対象に対して、内的には近付きたい、一体化したいと切望しつつ、外的には畏れおののいて、一定の距離を保つ」、つまり「畏敬の念」を子供時代に持つことは不可欠と、哲学者で幼児教育学者のシュタイナーは言っています。

 若草幼稚園には、ホールの倉庫に住んでいると云われる「ねずみバアさん」の他にも、お寺の本堂の仁王様、森の山の鬼、地獄の絵の閻魔様、そして何よりも大仏さんと、恐れから畏れ、そして畏敬の念に変わっていく対象がいくつか存在しています。
 きっと今の園児達も、それらの存在に恐れおののきながらも、その畏敬の念がしっかりと成長過程に組み込まれていくことによって、善悪の判断や社会性がさらに地固めされていくのではないかと思います。

 ちょっと前置きが長くなりましたが、その子どもの社会性ということで、興味深いデータを紹介したいと思います。2年前に、アメリカのエール大の研究チームが、イギリスの科学誌「ネイチャー」に発表した論文データです。

 研究チームは6~10ヶ月の乳児を対象にして、3つの実験を行いました。最初の実験では、乳児らに、山頂へ登ろうとしている人形を見せて、この人形の行動目的を認知させ、その後に、二人の人が現れて、一人は山へ登れるようにその人形を助けてあげました。もう一人はわざとその人形を山のふもとまで引きずって下ろしました。
そして、乳児らは、この二人に近づいていくように仕向けます。すると、乳児の80%が山登りの人形を助けてあげた人を選んだそうです。研究スタッフは、乳児らの選択は人形を助けて上げた人の行為に賛同していることの表現であると解釈しました。

 この結果は、さらに次の実験の中で実証されました。二つ目の実験では、山頂へ登ろうとする人形を助けてくれた人と、妨害した人にそれぞれ近づかせて、乳児らの反応を観察しました。すると、山登りの人形が妨害した人に接近したとき、乳児らの顔に驚愕の表情が現れたそうです。

 さらに、研究チームは、「中性」人物を加えて、助けた人、あるいは妨害した人に並べて、乳児らがどちらを選択するかを実験しました。結果として、「中性」人物と助けた人の間に、助けた人を選ぶのは多く、一方、「中性」人物と妨害する人の間に、「中性」人物を選んだ乳児が多かったのです。

 実験では、人形や人でなく、アニメを使っても行われました。
 そのアニメでは、丸い図形がずっと平たい道を歩いてきて、坂道を一生懸命登ろうとする。ところが上から正方形が出てきてそれを押し返そうとじゃまをするのです。丸は一生懸命登ろうとするのですが、正方形が邪魔をして動けない、となった時に後ろから正三角形が出てきて丸を応援するのです。そして最後、見事に登りきるというアニメを見せたのです。
 その後で、その赤ちゃんたちを別の部屋に誘って、3種類のクッションを見せました。丸いクッションと正三角形のクッションと四角形のクッションのどれで遊ぶかと実験したのです。みんな、三角形を選んだそうです。後から、色や図形の役割を入れ替えて実験してみても、ほとんどが、後ろから助けていく図形で遊んだそうです。

 報告は「これらの実験結果により、10ヶ月未満のまだ話せない乳児は人々の互いに接する行為から、その行為の善悪を評価できる」と結論付けました。 
 チームを率いた同大の心理学者、カイリー・ハムリン氏は「ゼロ歳児にこのような社会的能力があるとは驚きだ。人間は生まれたばかりの時点で、教えられなくても社会性を備えているようだ」と述べています。

 私は、この結論に全面的に賛成です。性善説、性悪説と言いますが、「人間は善き心を持って生まれてくる」のです。
 この、「既に備えられた社会性」が、なぜかどこかでねじ曲げられていくことによって、反社会的な行為を犯す人間が出てきてしまうのでしょう。

 そう考えると、「既に備えられた社会性」を持っている子どもに対して、上から押し付けるのではなくて、持っているものを伸ばしたり、引き出していくための環境や体験、援助が必要だということは言うまでもないと思います。
 巷には「天才を育てる幼児教育」とか「小学校からでは遅すぎる」とかいった内容の教育論があふれていますが、まず何より大事なのは、幼児の社会性を真っ直ぐ素直に育んでいく教育なのではないかと考えます。

 今回の「PTA会長の寝言」の「若草幼稚園の思い出~罪と罰~…続きを読む

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