青春時代再び
2010.11.25母校の高校の同窓会が毎年行われるのですが、今年は我々の学年が幹事となり、総会、懇親会全体を取り仕切ることになりました。
何せ20代から90代という幅広い年齢層の同窓生が、数百名も集まるという大規模な会で、きちんと実行委員を組織して、何ヶ月も前から準備しなけれならないような会なのです。
昔から同期会の幹事代表であった私は、今回も当然実行委員長になってしまいました。正直荷が重く面倒で、本番の11月まではまだ間があるからと、春先はのんびりかまえていたのですが、諸先輩方から「早く準備しろ!」とカツを入れられ、7月頃から本格的に動くことになりました。
まずは実行委員の組織作りからで、係としては、総務、会計、会場、企画・進行、名簿、叙勲、職業ガイダンスなど多岐にわたり、それぞれの係長を決め、その下に何人かの同期メンバーを集め、全体で30名ほどの体制でスタートしました。
みんな40代中盤の男女ということで、仕事や家事、子育てで忙しい中、同窓会の準備のために集まるのはなかなか困難でした。しかも幹事学年は、懇親会でのアトラクションや、昔からの伝統である応援団など、オリジナルの企画や練習を伴うものもやらなければならないということで、かなりのプレッシャーがのしかかりました。
しかし、各係長が、自らの分担の仕事に対して責任を持って対処してくれたため、徐々に形が出来てきました。悩んだオリジナル企画は、「ふるさと庄内のお酒」を紹介する事になり、各酒造メーカーをまわった結果、全面協力を頂くことが決まると、一気に歯車が回り出しました。
うちのお寺に、メンバーが時間をやりくりして毎晩のように集合。お酒を紹介する時に着るハッピに、オリジナルのロゴをデザインし貼り付ける作業や、応援団の振り付け練習、参加者の取りまとめなど、本番が近付くにつれて、目が回るような忙しさになってきました。仕事や家事の合間に行うのだから、皆さん心身共にかなりの負担でしたが、なぜかメンバーの表情は生き生きとしてきたのです。
メンバーの一人が呟きました。「まるで、高3の時の文化祭みたいだな」と。参加者が喜んでくれるためにいいものを作りたい、自分達も楽しみたいという思いが、いつしか、28年前にタイムスリップして、文化祭準備に奔走してた時のワクワクした高揚感を覚えるようになったのです。そこからは、皆一致団結して、がむしゃらに突き進みました。
そして迎えた本番当日、同期は90名が集結し、何十年ぶりの再会もあり懐かしさで胸がいっぱい。全体の参加者も400名を超え、ぎっしり満員の嬉しい悲鳴でした。「ふるさと庄内のお酒」の企画も年配の先輩達が大変喜んでくれて大盛況。応援団もびしっと決まり大喝さいを受けました。盛会のうちに懇親会は終了、同期の面々は、青春時代に戻った喜びをかみしめながら、達成感に浸るのでした。
みんな~、まだ会おの~。
「競争社会」から「共存社会」へ
2010.10.18 昨年の5月に、ポール・コールマン氏率いるアースウォーカー一行(地球上を木を植えて歩く人々)が、お寺に一泊しました。私も彼らの話をじっくり聞き大変感銘を受け、翌日県内を一緒に歩いたりして交流を深めました。
その一行の日本人のリーダーが中渓宏一さんという方で、彼と知り合って以来時々彼のブログをのぞいているのですが、今回、非常に内容に共感する記事(7月24日付け)を見つけました。
ここに全文を紹介します。
「~「競争社会」で生き残る教育から「共存社会」で楽しく暮らす教育へワールドシフト!~
なんだかながーくて難しいタイトルですが、これ、僕が最近掲げているテーマです。
「ワールドシフト」とはアーヴィン・ラズロ博士(ブダペストクラブ会長)が提唱しているもの。僕なりの言葉で説明すると、「今、人類は発展の方向性を変えないと、70億人が地球に暮らし続けることは出来ない。だから今までとは違う価値観で生きて行く、生き方をシフト(変える)して行く必要がある。」というもの。
「今までとは違う価値観」なんて言われても具体的な話がないとピンと来ませんよね。
そこで、今日は僕が思う新しい価値観について書いてみます。
これが「競争社会」で生き残る教育から「共存社会」で楽しく暮らす教育へという価値観です。
「競争社会」で生き残る教育。僕はこの教育の真っ只中で育った気がします。1971年生まれ。団塊ジュニア、第二次ベビーブーム。つまり人口がやたら多い僕らの世代は「受験戦争」の真っ只中にいました。
「優秀な大学に入って優良企業に就職して安定した暮らしを獲得する。」サラリーマンの家で育ち、僕はこんな価値観に全く疑問を持たずに生きてきました。
そして自分で言うのも何ですが、それなりに要領の良い僕は、それなりの優良大学に行き、優良企業と言われる某商社に就職が決まりました。
当時付き合っていた彼女に、「商社なんてアマゾンの森林を破壊したりしている業種になんで就きたいの?」と今思えば何とも的を得た指摘を受けていたのですが、その当時の僕は「こんな良い会社に就職決まったんだよ。何言ってるんだ?」と全く聞く耳も持たずに就職。やがてその彼女とは別れることになりました。
晴れて商社マンに。世界を羽ばたくビジネスマンを夢見て商社に入り、インドネシアやチェコ、ポーランド等で計2年半の海外生活をさせてもらいました。そして気が付けば社会人として6年が経った頃、ふとした疑問が僕に生まれ、その疑問はやがてどんどん大きくなります。
この出世競争の先には何があるんだろう。果たして僕が望んでいる世界はこの世界なんだろうか。出生競争に負けて、ある時社会に突然放り出されても僕は生き残る力を蓄えているだろうか。そんなことをあれこれ考えた末に、「地球上の何処でも、どんな時でも生きて行ける人間になりたい。その為に自分の人生を費やして行こう!」という考えに辿り着きました。
そう思い始めると不思議なもので、一生働き続けるつもりで就職した会社に未練は無く、僕は会社を辞めて世界放浪の旅に出ました。先ずは自分自身の見聞を広めよう。地球がどんな星なのか、この目で確かめて感じてみよう。と。
そう地球上の何処でも、どんな時でも生きて行ける人間になるために、先ずは地球のことを知りたくなったんです。
ハリウッド映画を観て、リーバイスの501にコンバースを履いて育った僕にとってアメリカは憧れの国で、学生時代にはやたらとアメリカを旅していましたが、28歳になった僕が目指した先はインドでした。(まぁその前にはやっぱりアメリカに行っていたのですが。)
インドでぼくが見た世界。それは老いも若きも、富める人も貧しい人も、黒い人も白い人も、区別はあるものの、差別が無く、うまく共存している世界でした。半年間インドを放浪するうちに、そんなことを感じました。
そして驚いたのは今も昔も変わらない世界がどっしりと社会に根付いていることでした。僕はたまたま、144年に一度と言われる、ガンジス河での沐浴の祭り、「クンバメラ」に参加したのですが、ガンジス河にただただ沐浴に集まる人達の風景、それは「今は紀元前1000年です。」と言われても納得してしまうような悠久の時間を感じることが出来るものでした。
そんな衝撃を通して、今まで自分が居たサラリーマンの世界、競争社会だけが全てじゃない。むしろこちらの世界にこそこれからを生きて行く為の智慧が眠っているんじゃないかってことを感覚的に感じました。
それから世界放浪を続けた2年後、ぼくは南アフリカで、世界中、地球一周分を歩き、平和の木を植え続ける男、ポールコールマン氏に出逢いました。地球を歩き、木を植える男、通称アースウォーカー。
20世紀に戦争で亡くなった犠牲者1億人の為に1億本の木を植えながら、「人の命だけじゃなくて、自然も奪ってしまう戦争なんてもう止めよう。皆で地球に感謝の気持ちを込めて木を植えよう。」というメッセージと共に地球を歩き、木を植える男。
ぼくの中に、「これだ!」という直感が働き、ぼくはポールと共に1年間、アフリカの大地を歩き、木を植えました。
あれから7年が経ち、「地球を歩く、木を植える」ことは僕のライフワークとなっています。
アフリカ南部、日本各地を歩き、木を植える活動を続けさせてもらう中で、僕の感覚が変わってきました。それを何とか一言で表してみると、地球は、地球上に生きている全てのものを含めて、一つの大きな生命体であるってこと。これを感覚として完全に理解することはまだ出来ないけど、頭の中での理解が後押ししてくれて、その感覚に近づいて来ています。
だから、他人を傷つけること、それはそのまま自分自身を傷つけることになる。その最終形が戦争というもので、自分の敵を倒した処で、結局はその痛手は自分自身に降りかかってくる。だって僕らは「地球」という同じ星、一つの生命体だから。
そんなことを100%感覚で理解できた時、人間は次の文明に進化=ワールドシフト出来るんだと思う。
その為に出来る第一歩。それが教育だと思う。
国語、算数、理科、社会で他の人よりも良い点数を取ると、良い中学、良い高校、良い大学に行ける。そしてその先には良い会社が待っていて、その良い会社で出世競争に生き残ると良い人生が待っている世界。そんな常に「競争」を基礎にした世界には限界があるはず。だって辿って行けば、僕らは「地球」という同じ星に生きる、一つの生命体なのだから。
「競争したってしょうがない。それよりも皆で楽しく、共に暮らして行く智慧を共に分かち合おう。」学校がそんなことを教えてくれる場所になって欲しいです。
僕には2歳半になる息子が居ます。夏にはもう一人、子供が出来ます。この子たちに受けて欲しい教育、それは国語、算数、理科、社会も勿論あるけど、どうやったら美味しい野菜が作れるか。どうやったら電気に頼らなくても豊かな生活が出来るか、どうやって苗木を育てて、どんな風にしてその苗木たちを森に返すことが出来、その結果、美味しい湧き水を守り、森の動物たちと共存することが出来るのか。そんな「自然と共に生きる智慧」も是非、学校で教えて欲しいです。
ぼくはその第一歩として、小学校で木を植える活動を続けています。これは僕のライフワークです。小学校の敷地が森で囲まれていて、森の中には野菜や果物が豊富にあって、子供たちが学校の敷地に小さな地球を感じることが出来る空間。そんな空間の中で子供達が自然と共に豊かに暮らす智慧を学ぶ。そんな学校作りを目指してぼくは一本づつ、小学校で木を植えさせてもらっています。」
中渓さん達は、幼稚園の園庭にも木を植えていってくれました。彼らのこのような地道な活動が、少しずつ世界中の人を巻き込んで、大きな運動になっていければと思います。
「競争社会」から「共存社会」へ・・・いい言葉ですね。若草幼稚園の教育も、こうありたいと思います。
幼稚園の砂場
2010.10.04前回の「園長のつぶやき」の最後の方で、『幼稚園の砂場』について触れましたが、これは、ロバート・フルガムという人が書いた「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ(河出文庫) 」という本(エッセイ集)から引用したものです。彼は、そのエッセイの中でこのように述べています。
『人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか。本当に知っていなくてはならないことをわたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、幼稚園の砂場に埋まっていたのである。わたしはそこで何を学んだろうか。
・何でもみんなで分け合うこと
・ずるをしないこと
・人をぶたないこと
・使ったものはかならずもとのところに戻すこと
・ちらかしたら、自分で後片付けをすること
・人のものに手をださないこと
・誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと
・食事の前には手を洗うこと
・トイレにいったらちゃんと水をながすこと
・焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい
・釣り合いのとれた生活をすること 毎日少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと
・毎日少し昼寝をすること
・おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、はなればなれにならないようにすること
・不思議だなと思う気持ちを大切にすること』
前回の「つぶやき」で、少年鑑別所の視察について書いたのですが、彼ら少年少女の退所時の感想文を見て、この本のことが頭に浮かびました。身体は大人と同じように大きくなっても、心は不安定で未熟な彼ら。しかし、鑑別所で短期間でも規則正しい生活を送るうちに、徐々に何かを理解していくのです。
それは、新たに学ぶということでなく、幼い頃、幼稚園(保育園)の砂場で遊ぶことで自然と会得していったことを、彼ら自身も思い出すことではないでしょうか。
“砂場”を比喩的に使ってますが、遊びの楽しさ、喜びを存分に感じると共に、遊びのルールを知り、友達との関わりにおいて発生する様々なトラブルを経験することで、人格は形成されていく。“人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか”を、幼児期にすでに学んでいて、いくら年をとっても、後は原点であるそこに行きつく(戻る)。思春期になりすべてを否定してしまう少年、少女の心のどこかにも、砂場は残っていて、そこからやり直していくのです。
この本のタイトルほど、すべてを表している作品はないと思います。
少年鑑別所
2010.09.03 昨日は、第3回目のぴょんぴょん広場に参加いただきありがとうございました。史上まれに見る猛暑が続く日々ですが、万里の松原ピクニックはいかがだったでしょうか?お子さん達、体調は崩しませんでしたか?子どもより大人が気をつけないといけないかもしれませんね。
暑い夏は大好きなのですが、雨が全然降らないのには閉口します。早く雨が降って、すくすく畑の野菜達に思いきり水分を吸収してほしいなあと思います。
さて、皆さんが万里の松原にいた頃、私は山形市の少年鑑別所におりました。酒田飽海地区の保護司のメンバー達と一緒に、施設の見学で訪れていたのです。
少年鑑別所は、非行を犯した少年、少女(14~19歳)が、家庭裁判所の審判を受けて少年院などに送致される前に、約3週間前後預けられる所で、身柄を安全に保全するとともに、少年少女の心身の鑑別を行い、非行を犯した原因を探る等の役割を持っています。
私達を迎えてくれた鑑別所の所長は女性の方で、理知的でかつ情熱を持った方でした。親身になって子ども達の更生のために奮闘している様子が伺えました。
彼女によると、最初はどんなに荒れてすさんでいる少年少女でも、所内で皆と同じ服装で、三食きちんと食べ、規則正しい生活を送っていくうちに、だんだん落ち着きを取り戻していくそうです。昔と違って周囲の者にガンを飛ばし食ってかかるような子は減って、人間関係が希薄なまま成長してしまった子達が多くなってきたということです。
私も保護司を務めてから6年程ですが、これまで対象者として接してきた若者達を見ていると、外見は本当にどこにでもいるような感じなのですが、やはり人との関わりにおいて何かが欠落している印象を受けることが多いのです。周りに無関心どころか、自分に対しても期待しない、自尊心がない若者。現代社会のゆがみと言ってしまえば簡単ですが、幼児期から絶え間なく続く社会性を育む過程が、どこかで頓挫してしまっているのかもしれません。
鑑別所内でたった3週間という期間過ごすだけですが、徐々に変わり始める少年少女達。退所する時、彼らはこんな感想を書いていました。
*「自分の生活、非行、被害者のことなどを考えて、自分のしたことはとても許されないことだと思いました。」
*「いろいろな課題に取り組み,自分を見つめ直し、考えや気持ちを整理することができました。」
*「面会と手紙で、お父さんやお母さんと冷静に話をすることができました。親の気持ちがよく分かりました。」
*「早寝早起き、朝・昼・夕の食事をきちんととること、運動をすることは、とても大事なことだと思いました。」
*「礼儀、敬語の使い方、あいさつを教わりました。」
*「今までこんなに字を書いたり本を読んだことはありませんでした。字を覚えました。読書を好きになりました。」
*「部屋の掃除、物の整理整頓、布団たたみなど、ふだん家ではしなかったことを自分でして覚えました。」
*「先生は真剣に話を聞いてくれました。」「僕は素直に話をすることができました。」「先生は僕を分かってくれました。」
*「注意されることはとても有り難いことだと思いました。」
*「家での生活は、本当は幸せだったんだなと感じました。」
こんな風に素直に感想を書ける子達ならば、更生はきっとできるはずです。そして、こんな風に素直に思える気持ち、それは、やっぱり幼稚園の砂場に埋まっているのだと思います。
(「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(河出文庫)ロバートフルガム著より)
泥んこプール2
2010.07.2624日(土曜日)は、うさぎの夏まつりに参加していただき、どうもありがとうございました。
雨の予報がはずれ、外での活動ができて良かったなあと思います。子どもたちもプールなどを楽しんでいましたね。しかし・・・、私が担当していた赤土泥んこプールには、小学生のお兄ちゃんの参加が1名だけ…。足をちょこっと入れてみる子もいましたが、これまで経験したことない不思議な感触に、泣きそうになりそこでストップ。保護者の皆さんも、後から泥を洗い落とす手間を考えると少しちゅうちょ気味。あまりの不人気ぶりにがっかりの園長。やっぱり普段の保育中にみんなで入るから楽しいのであって、小さいお子さんがトライするにはちょっとハードルが高かったですね。
その悔しさが、最後の先生たちの踊りの場面であのダイビングにつながりました。一人では恥ずかしいので、ずるいことに若手のなおと先生を先に飛び込ませ、後から続きました。なおと先生とは事前の打ち合わせなどなく、踊りが始まる直前に、「なおと先生、最後に泥んこプールに飛び込むぞ」、「えっ?でも・・・」、「今日着替えは持ってるか?」、「いえ、持ってきてないです」、「わかった。後で俺の服、パンツも含め全部貸すから安心しろ」、「はい・・・」。
園長命令には逆らえるわけなく、普段の保育でもせいぜい下半身ぐらいまでしか浸からなかった泥んこプールに、踊りの曲が終わった瞬間、頭から突っ込んでいったなおと先生・・・。いったいその胸中はどんなものだったのでしょうか?
でも、あの踊りのタイトル「花火ドカーン!」には、最も適したアクションではなかったかと自負しています。まさしくドッカーン!と飛び込んでいきました。ただ、参加されていた親子の皆さんに、泥が飛んでいかなかったか、それだけが心配でした。子どもたちもびっくりしたと思います。45才にもなって、こんなアホなことをするのが大好きな園長です。どうぞ大目に見てやってください。
終了後のすくすく畑ツアーも楽しかったですね。年長が夏季保育で収穫し尽くした後でしたが、1週間経つとまた新たに取り頃になる夏野菜もあり、まさに自然の恵みですね。
ミニトマトは一人一人の袋がいっぱいになるほど、その他ナス、きゅうり、じゃがいも、ピーマン、インゲンなどなど、いろんな野菜が収穫できました。
私はその後すぐに、キッズサッカーのコーチの仕事があったため、夏まつりの後片付けもせず若草を後にしました。何かちょっとやり残したことがあったなあと思いながら車を運転していました。
(あ、そうだ!なおと先生に着替え渡すの忘れていた。ま、いいか…)
それでは、次回もお待ちしております。
泥んこプール遊び
2010.07.1614日は、第2回目のぴょんぴょん広場に参加いただきありがとうございました。あいにくの雨だったため予定していたプール遊びはできませんでしたが、ホールで存分に楽しんでくれたのではないかと思います。
でも、プール遊びしたかったですよね!やっぱり夏は、何も考えず水遊びしたい!・・・と思っていたのですが、最近、(私的に)水遊びよりさらに面白い遊びがあることがわかりました。
それは、泥んこプール遊び!です。(あまり変わらないじゃないか)と思うかもしれませんが、全然違うんです。2年前にお父さん達と一緒に作った泥んこプールですが、これまでは普通の土を使っていました。でも今年は、泥を赤土に変えたことで、遊びのスケールが飛躍的にアップしたのです。水を含んだ赤土に足から入ると、ネチョネチョ、ネロネロ、グニュグニュ、グジャグジャ、ズボズボ…形容する言葉がいっぱい出てくるほど、すごく、非日常的な感覚です。思いきって全身を泥の中に入れ、泥の中でもがくと、何とも言えない…感触です。でも気持ちいい!子ども達も、キャーキャー言いながら感触を楽しんだり、泥ダンゴ作りをして張りきっています。
突然、私に泥をぶっかけてきた子がいました。顔を含め体中が泥一色になると、もう園長の面影はありません。何とも恐ろしいドロドロ怪獣の出現です(この様子は、ホームページのトピックスにいくつかUPしてますのでご覧ください)。
子ども達もみんな大喜び!!と言いたいところですが、ドロドロ怪獣が出現したとたん、そのあまりに異様な姿に泣き出してしまった子もいました。私も調子に乗って、グランド中を走り回ってみんなを追いかけまわしたので、ベビーや年少の子をだいぶ怖がらせてしまいました。ごめんなさいね。以後気をつけます。
なかなか最近は、このような遊びの機会は全国的にも減ったと思いますが、昔は、子ども達皆が、田んぼに入って同じような感触を楽しんでいたのでしょうね。
こんなに楽しい泥んこプール、夏の間はいっぱい入りたいと思います(夏だけでなく??)。 小さいお子さんももし機会があれば、利用してください。24日(土)の夏まつりでオープンしています。着替えやタオルを忘れないで下さいね。
わが子へ望むこと
2010.06.10今日は、「わが子へ望むこと」について、少しお話します。
ある大手の塾で、「カリスマ講師」と呼ばれていたAさんの体験談ですが、塾へ入会希望の保護者へ、毎回入会希望の理由を聞くそうです。当然保護者(ほとんどがお母さん)は「子どもに勉強してほしいから」と言いますね。するとAさんは、「なぜお子さんに勉強してほしいのか?」とさらに尋ねます。すると、「いい学校に入ってほしいから」とか「学歴がないと将来困るから」、「一流の会社に入ってほしいから」などと答えるそうです。
Aさんはその答えに対しても、「なぜいい学校に入ってほしいのか?」、「なぜ学歴がないと将来困るのか?」、「なぜ一流の会社に入ってほしいのか?」などと、どんな答えに対しても「なぜ?」「なぜ?」を繰り返し、保護者の答えをどんどん掘り下げていくのです。
そうするとどの保護者も、最後に残った答えが、「子どもに幸せになってほしいから」になるそうです。そこでAさんは、「あなたの言う幸せとはどんな状態ですか?」と聞きます。保護者は、「健康で、ある程度のお金があって、周りの人から信頼されて、愛する家族に囲まれて、笑顔の絶えない人生を送ってくれたら、親として言うことはない」と、大体このようなことを言います。そこには「一流の大学」とか「いい会社」とかいう言葉はないのです。
Aさんは過去に数多くの生徒を塾で教えてきたので、社会人になって活躍している教え子もたくさんいます。そこでAさんは、教え子に片っ端から連絡をとって、「今、おまえは幸せか?」とズバリ聞いたそうです。何百人もの教え子に聞いたそうですが、その結果は、当然ながら「自分は幸せだ」という人達と「幸せじゃない」という人達に分かれ、そこにはある共通点が浮かび上がったそうです。
「幸せな人生を歩んでいる人」の共通点というのは、周りの人を喜ばせることに喜びを感じられる人であり、お客さんに喜んでもらおうと、そういう思いで仕事をしている人は幸せになっているのだそうです。
逆に「不幸せと感じている人」は、「私はもっと稼ぎたい」、「私はもっと出世したい」、「自分が自分が」という人であり、そこには他人の喜びを考える余地はありません。
このことから、わが子に幸せな人生を送ってもらおうと思ったら、「周りの人を喜ばせることに喜びを感じる」、「他人の心情をくみ取ることができる」、そういう子に育てることが大切だとAさんは言っています。結局、人は他の人との関わりの中で生きていくのですから。(「他人の喜びが自分の喜び」ということについては、次回にまた書きます)
皆さんは、お子さんに何を望みますか?
長所と短所
2010.05.30 29日のうさぎの春まつりに参加していただき、どうもありがとうございました。
このイベントを通して、たくさんの子ども達と会うことができるのが楽しみです。6月からはいちごクラブやぴょんぴょん広場も始まります。どうぞ若草に足を運んで、雰囲気を感じ取っていただきたいと思います。
会の最後に、先生達の自己紹介がありました。何でもナンバーワンということで、先生達それぞれの「NO.1」が発表されました。いろいろ出ましたね。食欲や体力、匂いの嗅ぎ分け、目立ちたがり、色黒、元気、声の大きさ、泳ぎ、子どもの目線の高さ、などなど。果たしてナンバーワンと自慢できるのかどうか分からないものもありましたが…。
でも、何でもいいと思います。これは自分の得意分野、これだけは他に負けないというようなものがあると、人は強いですね。それが長所であり個性でもあるので、その人の生き様を現し、そこから派生する様々なものを取り込んで、応用を利かしていくことができます。
経営コンサルタントの船井幸雄氏が提唱したものに、「長所進展法」というものがあります。その人(事象)の欠点、短所を是正させるよりも、長所をほめて(認めて)伸ばしていくことによって、短所であったものが目立たなくなっていき、業績も上がっていく。これは社員教育でも会社の経営そのものにもあてはまるやり方で、実際に彼はこの方法を担当した企業の経営指導に用い、めざましい成果を上げました。
そもそも、長所と短所は紙一重だと思います。例えば、「あの人はリーダーシップがある」と言われる人が、別の人からは「彼は傲慢なところがある」と言われるように、その人のいい意味の特性が、少し度が過ぎると不快を与える短所にもなり得るのですね。逆の場合もあります。例えば「八方美人」と揶揄される人は、実は誰に対しても公平で配慮が行き届く人でもあるのです。「優柔不断」な人も、「思慮深く慎重」であると言えましょう。
このように、長所と思えるものが実は短所だったり、逆に短所だと思いこんでいたものが、考え方を変えると長所に変わっていくというふうになるのです。自分の欠点に悩まないで、ちょっと視点を変えてみるといいのかもしれませんね。そうすると、実は素敵な特性だったことに気付くかもしれません。
子ども達にも当然あてはまりますよね。飽きっぽくて一つのことに集中できないと思われる子は、いろいろな分野に興味を持つ好奇心旺盛な子であると言えるし、自分のやり方に固執しなかなか大人の言うことを聞かない子は、自らの信念を持って物事に対処する生き方を貫く人になるかもしれません。おとなしくてメソメソしてたとしても、だからこそ人の優しさに敏感で、思いやりあふれる人となる特性を持っているのです。
そう考えると、この時期は、子ども達の特性を注意深く観察し、その特性を認めて伸ばしていく働きかけが必要なのだと思います。これは保護者の役割でもあり、幼稚園の先生の最も大事な仕事でもあるのです。みんな素晴らしい長所を持っているのです。その長所を、どんどん伸ばしていってあげて下さい。
それでは、次回の夏まつりもお待ちしております。
若草の園庭(広報「わかくさ」第3号より)
2010.03.16 ある幼稚園のホームページを見ていたら、その園のテーマソングのようなオリジナルの曲が掲載されていました。「みんな みんな ありがとう」という曲で、聴いてみたらとてもいいメロディで、一回で好きになりました(造形展の時に、会場の一角で曲を流しました)。この曲を聴いているうちに、若草の園庭が自然に思い浮かんでくるようになりました。
歌詞を紹介します。
「空が見守っていてくれるように 太陽がぬくもりをくれるように
あなたのそばにはいつも 大切な仲間がいるよ
だからどんなときも 一緒に笑って 同じ時を刻みたい
夕暮れの園庭に 身を染めて ふと目を閉じて
ふりかえる時 幸せいっぱいでありますように
あの涙も あの傷も 誇れる日がくるから
緑の葉っぱが 体を揺らして
生きている喜びを 歌っているね
僕たち人間もほら 笑顔が一番良く似合う
そしてどんなときも ありがとうを あなたへと響かせて
まるでふるさとの 体温のような 淡く柔らかな
風のにおい ここに来れば いつでも いつまでも
幸せに手がとどく そんな場所がここにある
勇気を分けてくれて みんな みんな ありがとう
生まれてきてくれて みんな みんな ありがとう」
若草の園庭も、卒園生にとって、大切な仲間と一緒に毎日を過ごした空間でした。
「グランドでは鬼ごっこやサッカーで走り回ったね。トンボ池でカエルをいっぱい捕まえたね。森の山の探検はワクワクしたよ。木登り名人もいたなあ。いっぱい木の実を拾って見せに来てくれたね。うさぎの世話をしてくれてありがとう。すくすく畑でいっぱい収穫したね。」
いつも園庭を駆け巡るみんなには、笑顔が一番似合っていました。
大仏さんに見守られながら、緑いっぱいの園庭で過ごした思い出は、卒園生にとってどんなものなのかな?目を閉じてふりかえる時、幸せいっぱいでありますように。
そして、卒園しても、ここに来ればいつでも元気が出る、そんな園庭であってほしいと思います。園長先生は、この園庭でみんなと一緒に笑って同じ時を刻めたこと、とても幸せでした。
卒園おめでとうございます。
一段一段
2010.02.22 2月20日の「うさぎの冬まつり」を最後に、今年度の未就園児親子の活動がすべて終了しました。これまで「なかよしうさぎの日」、そして「ぴょんぴょん広場」に参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
お子さん達は、野を駆け巡るうさぎのように、ぴょんぴょん跳びはねて楽しんでくれたでしょうか?
ぴょんぴょん跳びはねると言えば、ただ今開催中のバンクーバーオリンピック、すごいですね!選手たちは、スキーやスケート、スノーボードでガンガン跳びはねていますね。
モーグルの上村愛子は本当に惜しかったです。メダルに後一歩届かず4位。オリンピックに4回続けて出場して7位、6位、5位、4位と、一つ一つ順位を上げてきました。「何で一段一段なんだろう・・・」(インタビューで)と、悲願のメダルを目指していた彼女にとってはオリンピックの神様は何て非情だと感じるでしょうが、この「一段一段」がなかなか出来ないものです。
人はすぐに結果を求めようとして、途中のプロセスを抜きにして語りがちです(私もそうですが・・・)。しかし、こつこつとした努力なしでは、何事も結果は出ないと思います。例え、何の努力もしないで運よく結果を出しているように見える人がいたとしても、陰で人知れず努力しているか、またはその結果は一時しのぎであって後からツケが回ってくるように、人生という長いスパンで考えると帳尻は合ってくるのではないかと思います。
その意味で、メダルはもちろん素晴らしいですが、『4大会連続入賞』、それも一つ一つ順位を上げていく、こちらの方がより価値があるのではないでしょうか。日々の練習の積み重ねと努力が彼女の人間力を養い、一段一段上がる事の大切さを身をもって示しているように感じます。
「お母さんの子どもで良かった」と言う彼女に対して、「その言葉をそっくり娘に返したい」というお母さん。そして妻を思いやってねぎらう夫の皆川選手。家族の温かな関係も、彼女の誠実な人柄を表し、記録や結果だけでない感動を私達に与えてくれました。
幼稚園の子ども達も、急なステップアップや目に見える結果を求めるのではなく、一段一段成長していけるよう、ゆっくりあせらずこつこつと保育に当っていく大切さを感じます。
来年度もよろしくお願いします!