ロンドンオリンピック
2012.08.11今はロンドンオリンピックの真っ最中。連日深夜までテレビで応援して、寝不足のご家庭も多いのではないでしょうか。私も、先日はサッカーの試合や体操競技を最後まで見てしまい、そのまま寝ないで保護者と週一回行っている早朝ジョギングに参加したのですが、さすがに途中で歩きました。身体に悪いことやってますね…。
オリンピックはどうしても、見ている方は結果に一喜一憂し、メダルの色や数にもこだわってしまいます。選手にとっては、オリンピックに賭ける思いや日々のトレーニングの長い積み重ねがあるのですが、その背景も知らない我々視聴者が、結果が出なかったことに対してあーだこーだと批判するのは、申し訳ない気もします。でも、そんなプレッシャーも含め、乗り越えなければならないのがオリンピックですからね。
体操の個人総合で金メダルに輝いた内村選手ですが、予選ではミスを連発していました。オリンピック前までは「プレッシャーというものがどんなものか知らない」とまで豪語していた内村選手も、やはり人の子、苦しみを経験し、そこから這いあがって見事結果につなげました。優勝後のセレモニーでは、両親や周囲の人々への感謝の気持ちを口にしていました。
このようにいい結果を出して、表彰式でメダルを掲げながらインタビューに答える選手の話を聞いていると、共通するものがあります。「みんなの支えがあって取れたメダルです。これまでサポートしてくれた皆さんに感謝したい」。選手としての自分の力量への自信ももちろんですが、人間として周囲の人々に感謝の気持ちを表すことができる、これが本当のアスリートなのでしょうね。心技体の充実です。
うちの幼稚園からも、将来オリンピックに出られるような子が出てくれればそれは素晴らしいことですが、何よりも人に感謝され、感謝することができる人材に育つことがより大切なことは言うまでもありません。
地獄の絵本
2012.07.13皆さん「地獄」の絵本を見たことがありますか?1980年に発行されたロングセラーですが、年に2千冊売れればいい商品だったのですが、ここ数ヶ月で10万部近く売れ、なぜか爆発的な人気になっているそうです。若い保護者が買っていくケースが多いそうです。(参考―北陸中日新聞・4月18日朝刊)
死ねば閻魔大王に裁かれ、悪いことをしていれば、地獄で鬼達に苦しめられる。そんなシンプルな内容ですが、挿入される絵が生々しく衝撃的なのです。絵本を発行する出版社の社長によると、「本を見ただけで泣く幼稚園児もいる。乱暴で癖のさる作品だが、これによって子どもに死の怖さや生命を大切にするという気持ちを育てたい」と説明しています。残画表現に対するクレームはなく、「子どもが地獄を怖がって、ウソをつかなくなった」「子どもが言うことを聞くようになった」等の声があるそうです。
「地獄」の効用について、中村広光・別府大学幼児・児童教育研究センター長は、「悪いことをすれば、責め苦が待っていることを教えることは、昔からあることで悪いことではない。むごい絵によって、子どもが残虐な行為に向かうこともないだろう」と指摘します。ただ、「あまり小さなうちに見せれば、恐怖に過剰反応するようになる」と、現実と虚構の区別がつく4、5歳以降に見せるべきとアドバイスします。こんな意見もあります。「恐怖で善悪を教えるのは良くない。自分が地獄で苦しむので悪いことをしないというよりも、悪いことをされた側の痛みや悲しみを教えるべきだ」(碓井幸子准教授・清泉女子短大児童学)。もっともだと思います。
実は、うちのお寺に、古くから伝わる地獄の掛軸(3つ)があり、8月23~25日の森の山まつりで展示しておりました。過去形なのは、一昨年の11月のお寺の火事で、その掛軸が燃えてしまったからです。檀家さんや幼稚園の関係者の方々に言われるのは、「あの地獄の掛軸が焼失したのは、本当に残念だね」と。皆さん、子どもの頃から毎年地獄の掛軸を見て、子ども心にいろいろ思い、考えてきた歴史があります。「あの掛軸で、絶対悪いことはしないと思った」と懐かしがる方がほとんどで、残酷な絵を展示するのはやめてほしいという意見は全くありませんでした。
幼稚園で、地獄の絵本を読み聞かせすることはありませんが、毎年の夏の風物詩(?)として、地獄の掛軸を子ども達で眺め、私が説明していました。本当に地獄があるんだよということではなく、悪いことをすれば、自分の心の中でこの絵のように苦しんでしまうのだよというように話しています。子ども達なりに、それぞれ考えています。
残念ながらあの掛軸は焼失してしまいましたが、今日本中の掛軸屋さん、骨董品屋さんをあたって、探しているところです。復活を望む声も本当に多いのです。ちょうど今、前の地獄図と似ているものを見つけました。もしかして8月の森の山まつりでは、新たな地獄図が展示されているかもしれません。
皆さんのお子さんには、そんな地獄の絵本を無理に見せる必要もありませんが、なぜ今の時代に地獄の絵本がブームになっているのかということも、少し考えてみるのもいいかもしれませんね。
人生=700,800
2012.05.30この数字、知っている人もいるかと思いますが、何かと言うと・・・、まず1日の時間24時間を1年間にすると、24×365=8,760時間になります。
人の一生を約80年間とすると、8,760×80=700,800となるのです。人生を時間に換算すると、約700,800時間あるのです。
この数字を見てピンと来ませんか?
そう、人生は「七転び八起き」なのです。
何度挫折を繰り返しても、そのたびに起き上がり乗り越えていこうとする。それが人生なのです。困難が起きるのは当たり前、それを打ち破り突き進んでいくのも当たり前。ちょっとくさいですか?
いやあ、数字って面白いですね。でも、なーんだ…と思った方も多いかもしれません。私は素直に感動しました。単純なんですかね。
「お菓子大好き!」だった時期
2012.05.30今年の入園式で「お菓子だいすき!」という曲を踊って以来、うさぎの春まつりやくりの木会など、何度も踊る機会がありました。そのたびに「お菓子大好き~!」と声を張り上げていますが、実際そんなにお菓子が好きか?と言われると、先生達は本当に大好きで、ダイエットの話をしながらお菓子をモリモリ食べています。新製品には敏感な先生達です。私はそうでもなく、やはりお酒のつまみの方がいいかなと思ったりしますが、実はお菓子を食べる時間がとても待ち遠しい時期がありました。
それは、今から20年前、お坊さんの資格を取るために福井県の永平寺という山奥のお寺で修行していた時です。平成4年から2年間修行したのですが、この時は食事も最低限のものしか食べられませんでした。
でも、1ヶ月のうちで4と9の付く日、四九日(しくにち)というのですが、4日、9日、14日、19日、24日、29日、これらの日はお菓子を食べてもいい日なのです。
四九日はその他にも、起床時間が1時間遅くて4時半でいい、お風呂にも入れるなど特典があったのですが、何といってもお菓子が食べられるのが一番の楽しみでした。
普段糖分に飢えている私達は、5日に1回、故郷の両親から送ってもらったお菓子を皆で分け合ってむさぼるように食べるのです。大の大人が、お菓子を食べる日を待ち遠しく思うなんてちょっと信じられないかもしれませんが、その日が来ると朝からもう楽しみ楽しみ。この日だけは我々も子どもに帰るのでした。皆で分け合うと言っても、ちょっと自分の分が足らないと文句の言い合いになったりして、子どもより始末が悪い時もありました。恵まれた世の中だからこそ、修行の場においては人間の卑しい、悲しい部分も味わう機会にもなりました。
だから、「お菓子が美味しい!お菓子大好き!いっぱい食べたい!」という気持ちはよくわかります。でも今、園長がそんなふうだったら、子ども達から笑われますね。
天職
2012.05.09清水秀雄さんという方が「天職」という詩を作っています。先日職員会議の時に、幼稚園やベビーの先生達に紹介しました。毎日こんなふうにありたいですね。皆さんはいかがですか?
「いくら働いても疲れを知らない
お客様からおこごとを頂戴しても少しも腹が立たない
周りの人々のイヤなところに目がいかない
日々進歩発展、現状打破の意欲があふれている
朝早く起きて誰よりも早く会社へ行く
とにかく毎日毎日が充実していて楽しい
こんな気持ちで仕事ができる
うれしい、たのしい、おもしろい
これが天職、私の天職
本当にうれしい
天職であって本当にありがとう」
二つの別れの儀式(「広報わかくさ」第3号)
2012.03.24もうすぐ卒園式です。一年が本当にあっという間です。
私は僧侶でもあるので、よく葬式の導師を務めます。卒園式も葬式も、どちらも別れの儀式です。卒園式では子ども達に卒園証書を送り、葬式では故人に引導法語(導師が葬儀の時に読む言葉)を送ります。考えてみると、卒園式は人生で最初に迎える別れの儀式で、葬式は人生で最後に迎える別れの儀式なのかなと思います。
子ども達は別れというよりも、これから大空に向かって羽ばたいていく希望の方が大きいでしょう。でも、一緒に遊んだお友達や先生との別れ、過ごしてきた保育室や走り回ったホールや園庭との別れには、やはり寂しさも感じるのではないかと思います。だから、毎年式の間、号泣する子達が何人もいます。
また、子供たちの巣立ちを見届ける保護者や先生達は、これまでの成長を振り返り、これから様々な経験を積むであろう幼き者達の前途を思い、期待を持って送り出すのです。人生をスタートしたばかりの子どもの門出です。
一方葬式は、人生のゴールを迎えた人の旅立ちです。現実には、残された遺族の思いが深く関わってきます。亡くなる時期の早い、遅いがありますが、どんな形にせよ、人生のおつとめを終え、本来の安らぎの世界へ帰っていく故人を偲び、ご苦労様とねぎらってやる、そして故人の遺志を受け継いで生きていくことが大切だと思います。その思いを受け、故人も安心して旅立っていけるのです。
卒園式と葬式、人生の最初と最後で迎える別れの儀式である両者には、このように大きな違いがあるかもしれませんが、どちらも厳粛で、立ち会う者の心に深い感慨を与えるものだと思います。
卒園おめでとうございます。
保護司の大沼えり子さんの講演会
2012.01.301月21日の土曜日、酒田地区(遊佐地区も含む)幼稚園PTA連合会の研修会が行われました。この日は保護司、作家の大沼えり子さんの講演会が午後から行われる予定で、講演依頼者の私は、仙台からバスで来る大沼先生を迎えに行き、うちのお寺に少し寄ってもらいました。その後PTA会長さん達も交え昼食を共にしたのですが、大沼先生のテンションの高さと、早口ながらも皆を引き込む話の内容に終始圧倒されました。何しろ彼女の肩書は料亭の女将、ラジオのDJ、シンガーソングライター、作家、教育委員等々多岐にわたり、あたかもあらゆるキャラクターを演ずる女優さんの話を聞いているようでした。
しかし彼女の最大の功績は、保護司としてたくさんの少年、少女を非行から立ち直らせ、更生の道を歩ませていることでした。私も同じ保護司として活動しているのですが、彼女のことを考えると、自分の中途半端さを痛感します。何しろ彼女の平均睡眠時間は2~3時間!身体を壊さないのかなと心配します。
講演会は約90分間で、前半が震災について、そして後半が自分が面倒を見ている少年、少女達の話でした。自ら被災しながらも、津波に流され命からがら逃げてきた人々を介抱し支援していく様子、自宅で警察犬を飼っているので、一般の人は入れない被災現場に足を踏み入れ捜索活動をした時の様子など、メディアの情報では分からない生々しく具体的な話をしていただきました。改めて震災の恐ろしさを再認識しながらも、人間だけでなく犬や猫、牛や馬にも憐憫の心を向け、復興のために尽力する彼女の愛の深さを感じました。
そして彼女のライフワークである保護司として、虐待を受けたり親の顔を知らない少年、少女達が非行に走ってしまった結果、自分がその更生を引き受け、社会に受け入れられるよう努力していく過程の話は、涙なくしては聞けない話でありました。彼女が保護司になった動機は、自分の息子の同級生のためなのです。家庭的に恵まれなかったA君は、小さい頃はよく家に遊びにきてあどけない笑顔を振りまき、大沼先生も可愛がっていたのですが、小、中学校と進むうちに荒れてきて外見も変わり、彼女にも挨拶すらしなくなり、やがて罪を犯し刑務所に入ったのです。そこで自分が保護司になり彼を担当して救いたい、また昔の輝くような笑顔を取り戻してほしいと切に願ったことからなのです。
そこから彼女の壮絶な保護司活動が始まるのですが、少年から救いの電話がかかってくれば夜中でも飛んでいき、不良グループから袋叩きにされていればそのか細い体で向かっていくというような、とにかく体を張っていわば息子、娘を守るのです。だから彼女自身もろっ骨を折ったりというような大変な経験をしているのですが、だからこそ、命をかけて自分達を見捨てず救い出そうとしてくれる大沼先生に対して、少年達は「お母さん!」と慕い、人生をリスタートさせるのです。少年院を出ても行く先がない子ども達が生活できる場として、彼女は「少年の家(ロージーハウス)」を運営し、彼らを引き取り、仕事の面倒まで見ています。先の大震災の時は、彼らが朝から晩までガレキ処理で頑張ってくれたそうです。
これだけ毎日を休みなく動き続ける彼女に、「いつ休んでいるのですか。そんなに働いて身体を壊さないのですか?」と聞くと、「更生した子ども達から感謝の手紙をもらったり、会いに来てくれて懸命に生きている姿を見ると、それだけでエネルギーになる、休みなんかいらない」ということでした。私達は仕事と関係のないことでリフレッシュすることを求めますが、彼女は他者のために自分が打ち込んでいることが報われ、他者が更生し感謝の気持ちを示されることでパワーの素になっているのです。
そして非行に走る少年達を絶対責めません。彼女は「子どもは悪くない」と言います。幼少期からの家庭環境がその根っこにあり、彼らが犯す罪は親に対しての「メッセージ」だと言って、その家族関係から構築し直していきます。私達は非行を繰り返す若者達にレッテルを張りがちですが、その幼少期を思えば、彼らに対する思い、そして我が子に対しての向き合い方も変わってくるのではないでしょうか。だからこそ、当日大沼先生の話を聞いた保護者達は一様に涙を流し、共感したのではないかなと思います。
私も保護司として刑務所を出所してきた人々の更生に関わっていますが、ここ酒田でも、世間の風の冷たさを感じます。再チャレンジしていこうとする人々に理解を示し応援できる心情、寛容の精神を持つこと、それがきっと幼い子どもにも通じて健やかな成長を促すのではないでしょうか。
長くなりすみません。私が話の内容をくどくど書いてもなかなか伝わりにくいと思うので、興味を持たれた方は是非大沼先生の著書を読んでいただきたいと思います。先日の講演会で販売した書籍の残りがまだ多少あるので、幼稚園まで声をかけてください。よろしくお願いします。
受賞の喜び
2011.12.05トピックスにも載せましたが、11月30日に開かれた山形県食育県民運動大会で、食育推進活動において若草幼稚園が優秀賞をいただきました。
すくすく畑の活動が表彰対象で、お供えの花で作る堆肥を利用する有機無農薬栽培に、年間を通して年長組の子ども達が関わった結果です。保護者の皆さんの協力があったからこそで、本当に嬉しいです。
野菜の有機、無農薬栽培を始めてから7年ほどになりますが、私自身も素人ながら野菜作りにのめり込むようになりました。
無農薬の新鮮な野菜の美味しさは、食べてみて初めて実感します。堆肥作りから収穫までの一連の活動を、保護者の協力を仰ぎながら園児と一緒に続けていくことで、自然活動の楽しさ、仕事の大変さ、食の喜び、感謝の気持ちが育くまれていくのではないかと思います。
また、園庭には「いのちの塔」と呼ばれるお墓があり、園で飼育している小動物(ウサギやカメなど)や園庭で生息する昆虫などの亡骸を埋葬し、供養の機会も設けています。子ども達には、堆肥作りや畑作業と合わせて、生き物の供養を通して、環境に配慮する心、命の尊さ、食物連鎖(命の循環)も同時に学んでいってほしいと思います。
今回の賞を励みにして、今後もすくすく畑の活動を頑張ります。皆さんからのご協力もよろしくお願いいたします。
おなかの中のおそうじ(「あんふぁん」東北版11月号のコラムに掲載)
2011.10.12「お母さんのおなかの中とっても暖かかったんだよ」、「おなかの中でお母さんが話しかける声を聞いた」、「中は暗かったけど、外へ出たらとても明るかったの」、私が園児に尋ねると、そんなふうに答える子が時々います。皆さんも、お子さんからそのような言葉を聞いたことがありませんか?
胎内記憶を研究している池川医師(横浜市の池川クリニック院長)が、六歳までの子どもを持つお母さん達に対して調査を行った所、おなかにいた時や生れた時の様子を表現する子どもの数はかなりの割合にのぼったそうです(その記憶も、小学校に行く頃にはなくしてしまう事が多いそうですが)。
あるお母さんが、「うちの子ったら、『お母さんのおなかの中を、よくおそうじしてあげたんだよ』なんて言うんですよ。何を言いだすかと思ったら…」と笑いながら話す事がありました。
池川氏の著書には胎内記憶の事例が沢山掲載されておりますが、「おそうじ」という表現は複数出てくるようです。ある男の子の言葉にこんなものがありました。「おなかの中にいた時、おそうじしてたんだよ。お母さんが疲れてる時は、おなかの中が汚れてるから、おそうじしてあげるの」。
「おそうじ」の謎が解けました!何とおなかの中の赤ちゃんは、自分を産むために頑張っているお母さんに、一生懸命励ましの念を送っているのです。妊娠中のお母さんの疲れやストレス、不安を「おそうじ」してあげて、お母さんに満ち足りた気持ちになってもらい、この世に誕生する日を待っているのです。
そう考えると、どんなに子育てが大変で疲れたとしても、「おそうじまでしてくれて、私のもとへ生まれて来てくれてありがとう」なんて気持ちになりませんか?
当たり前への感謝
2011.07.30「PTA会長の寝言」でも触れられていますが、夏季保育の2日目の朝の本堂のお参りの時、年長組のみんなに少しお話をしました。
お父さん、お母さんに元気に「行ってきまーす!」と夏季保育に向かった子ども達。そして、無事楽しいイベントが終了し、「ただいま!」と父母のもとへ帰る風景。全く当たり前のことなのですが、3月11日の大震災は、そんな当たり前の日常をがらりと一変させてしまいました。
当たり前のことが当たり前でなくなった時でないとなかなか実感できないものですが、私達が普通に生活を送れることのありがたさを、子ども達からも少しは理解してほしいと思いお話しました。
木下晴弘さんという方が書いた『できる子にする「賢母の力」』 という本があるのですが、あとがきにこんなことが書いてあります。
「2001年7月、ある花火大会で悲惨な事故が起こりました。あまりにも大勢の人が押しかけたために、歩道橋で群集雪崩が起こり、11人の方が亡くなられたのです。しかもその11人のうち9人が、10歳未満の子どもたちでした。
それからずいぶんと月日が流れたある日、新聞の記事に当時その事故でお子さんを亡くしたお父さんの手記が掲載されていました。
その日の朝、お父さんはお子さんと花火大会に行く約束をして会社に向かいました。しかし、あいにくとても仕事が忙しく、約束の時間に帰れそうにありませんでした。お父さんはお子さんに連絡を入れます。
「遅れても必ず行く。だから先にみんなと行っていなさい。」
そして、日が沈み、花火の時刻になりました。もうすぐ仕事が終わる。約束だから、早く行ってやらねば。そう思っていた矢先にお父さんに悲報が知らされたのです。
お父さんは、何が起こったのか現実を受け入れられませんでした。呆然としながら、わが子が運び込まれた病院へと猛スピードで車を走らせます。そして彼は運転しながら自分を責め続けるのです。
「俺が一緒にいてやったら助けてやれたはずだ!俺が約束を守っていたらあいつは死なずにすんだはずだ!俺が仕事を早く済ましていれば…俺が…」。
涙があふれて止まらない。でも、どんなに泣いてもどんなに悔やんでも、もう子供は戻ってこないのです。
「行ってきます!」と家を出たお子さんが、必ず「ただいま!」と帰って来られる保証など、どこにもありません。
「おやすみ」と言った人に、「おはよう」と言える保証はどこにもないのです。
もし、あなたと、あなたの大切な家族が今日を元気で生きているのなら、こんなに幸せなことはありません。
だから、多少のことならお子さんを許してあげてください。
そして多少のことなら自分自身を許してあげてください。
いずれ、巣立ちは必ずやってきます。
ならばせめてそのときまで、ともに出会えたことに感謝し、ともに人生を歩めることに感謝し、その一瞬一瞬を輝いて生きてゆこうではありませんか。
人間は、一人では生きていけません。母親として、父親として生きている以上、あなたは一人ではありません。どうぞ安心してください。
(『できる子にする「賢母の力」』 著:木下晴弘 出版:PHP研究所)
私は、死は決して終わりでないことを理解しており、愛する者同士が永遠に離れることはないと思っています。しかし、たとえ故人が役割を果たして本来の世界に帰っていき、いずれまた再会できるとわかっていても、今生での突然の別れは、身につまされるつらさがあるでしょう。
誰もが生と死を繰り返し、一つ一つの生では必ず出会いと別れがあることを自覚しながら、普段から当たり前であることへの感謝の気持ちを持ちながら生きていくことの大切さを、この頃強く感じます。