ある講師の苦悩
2012.12.18「私は昨日、息子をぶん殴ってしまいました。実は一睡もしていないんです」
ある研修会の席上で、突然講師の先生が発した言葉に、私は衝撃を受けました。この方は、ある施設の長をされています。この施設は、罪を犯し刑務所に服役した人に対して、出所後に宿泊場所や食事を提供したり、就職指導を行い社会復帰を手助けする施設です。更生を誓って社会に戻ったとしても、頼ることのできる人がいなかったり生活環境に恵まれなかったり、あるいは本人に社会生活上の問題があるなどの理由で、すぐに自立更生ができない人がいます。こうした人たちを一定の期間保護し、その円滑な社会復帰を助け、再犯を防止するという重要な役割を担っています。
そんな大切で尊い役割を担う講師の先生が、今にも泣き出しそうな表情で自らの個人的な事情を語りだしたのです。それは、彼も含め施設の職員皆で、被保護者達への指導姿勢について言及している時でした。
「厳しく指導することも必要だが、その人の長所を褒めて伸ばしてやることが大切です。『ピグマリオン効果』と言って、期待を込めれば人は伸びるという心理学的用語もあるのです」と話した後、「でも、そう言いながら、自分自身は全然できていないのです。うちの息子は非行に走り、何度も補導されているのです。昨日も警察から呼び出され、その後ずっと息子と向き合って話をしたけど、ついカッとなり、初めて息子を殴ってしまいました。自分は皆さんに、こうして高い所から何かを教える資格なんてないのです」。
しばらく沈黙が続きました。その後彼は再び落着きを取り戻し、施設の現状について話を続けました。自分自身が取り乱したことを反省したのか、いたって冷静に、淡々とした口調でした。しかし、一瞬のことでしたが、私には彼の苦悩が痛いほど伝わってきました。そして、彼のことを心から応援したくなりました。
このような施設はなくてはならないものですが、いざ建てようとすると付近の住民からは迷惑施設として猛烈な反対運動を起こされます。近所に犯罪歴のある人が暮らすことに対して、誰もが拒否するのです。長い交渉の末やっと建てた後も、被保護者の更生のために日夜奮闘する中、時には彼らが再び犯罪を犯すことで、職員の努力が無に帰することもあります。「人間は変われるのだ」という強い信念のもと、被保護者の更生に向け日々奔走する彼にとって、息子の非行は、まさに足元から自分自身が崩されるような思いがあるのでしょう。内と外、両方でもがき続けなければならない苦悩…。
でも、私は彼にエールを送ります。絶対に息子は更生できると思います。身近でこんな父親の背中を見てれば、人のために一生懸命努力している親父の姿を見ていれば、いつか必ずわかってくれる時が来ると思います。父親を誇りに思い、自らが正しく歩き出す時が来ると。それまではもがき続ける日々かもしれませんが。いつの日か、 彼も息子も試練を乗り越えてほしい。
同時に私は、自分が恥ずかしくなりました。幼稚園の園長、そしてお寺の副住職という立場上、自らを取り繕う自分がいます。理想と現実のギャップに悩みながら、それで良しとしまっている自分がいます。この講師の先生のように、公衆の面前で正直に思いを吐露することに対して、真摯に頭が下がります。
「人は変われるのだ」という言葉は、自分自身肝に銘じていきたいと思います。この講師の先生に、いつかまた会ってみたいです。
塀の中の宇宙
2012.12.0911月29〜30日の2日間、曹洞宗保護司会の研修会が東京で行われました。保護司とは、法務大臣から委嘱されたボランティアで、保護観察官と協力して罪や非行を犯した人に対し、生活上の助言や就労の援助を行い、その更生を手助けする役割を持ちます。研修初日は、首都圏のある刑務所の視察でしたが、非常に印象に残りました。
その刑務所は広大な敷地に建てられ、男性受刑者約千名が服役しております。刑期8年以上の初犯者(重罪初犯者)を収容する刑務所なのですが、驚くべきことに無期懲役が約半数を占めているのです。つまり、ここの服役者は、殺人などの凶悪な犯罪を犯した者が多く、10年、20年は当たり前、中には最長服役期間の50年と、私が生まれる前からここで生活している者も1名おりました。
私達は彼らの独居房が並ぶ廊下に案内され、扉のガラス窓越しから、実際の彼らの日常生活の一端を垣間見ることができました。また、グランドで黙々と走っている姿や野球やサッカーに打ち込んでいる様子も間近で見ました。以前、別の刑務所を視察した時は、服役者の姿を遠くから眺める程度でしたが、今回のように一人一人の顔つきまで把握できるぐらいの距離での視察は初めてでした。その表情からは、凶悪な犯罪に手を染めたという事実は、全くうかがい知ることはできませんでした。
当たり前なのですが、すべてが秩序立っていました。きちんと整理整頓された部屋、工場内での作業工程、そして何よりも、刑務官の指令に一糸乱れず行動する受刑者の姿。それらはもちろん、刑務官の日頃の厳しい指導、監視によって成り立っているものです。しかしただ厳しいだけでなく、時には彼らの悩みにも耳を傾けたりして、信頼を得ることも大切だということです。「威あって猛々しからず、親しみあって馴れず、ただ彼、人たるを知るべし」、この言葉が、刑務官の服役者に対する態度、心情なのでした。
案内していただいた刑務官のかたが、ポツリと言いました。「受刑者は、この塀で囲まれた世界を『宇宙』だと考えるようになる」。「最初の4、5年は娑婆(シャバ)恋しさからなかなか落ち着かない。でもしばらく経つと、この世界が全てと思い、外の世界は存在しないと考える。そして彼らは、自分も含め、服役している者は全て路傍の石と考える」と。路傍の石…、どこにでも転がっていて、取るに足りない、皆同じで個性がない、そんなふうに考えるのだろうか。ここまで自分を客観視できるのか?
思えば私は永平寺の修行中、初めは、この修行が終わる日を毎日指折り数えて逆算し、残りの期間の長さをとても恨めしく思ったものです(たった2年なのですが)。しかし、坐禅と法要と作務の繰り返しの日々を過ごすうちに、厳しいながらもその流れにそって生きていくことで、時間の流れを早く感じるようになりました。それはやはり、この修行にも終わりが来る、自分はいずれ娑婆に出られるのだという確信(と言うよりも希望)があったからだと思います(何しに修行に行ったのか…?)。
一方、服役囚達が自らを路傍の石に例えるのは、獄中で途方もない期間を過ごさなければならない絶望感への自己防衛反応かもしれません。そこには希望はあるとは思えません。もちろん、自らが犯した罪を長い時間をかけてつぐなうのは当然だし、遺族にしてみれば、愛する人の命を奪った者が、この世で生きながらえている事自体が納得できないでしょう。私も、犯罪被害者、そしてその遺族の心情を思うと、軽々しく「更生」という言葉を出すのも忍びないです。
しかし保護司という役割は、自らが受け持つ対象者が例えどんな罪を犯したとしても、社会に出てからの更生をサポートしなければいけません。今回の視察に参加した保護司は、ほとんどが私よりも年配の方々だったので、中にはこの刑務所の受刑者と長く交流(環境調整)している方もいました。いずれ仮釈放になった場合、身柄を受け入れる親族等との調整を図るのです。しかし、調整が最初からうまくいくのは稀で、受刑者との縁を切りたいと考える親族も多いのです。
仮釈放になり社会に出ても、結局適応できず、また罪を犯して刑務所に戻ってくる者も少なからずいるのが現状です。刑務所の中で亡くなってもお骨が親族から引き取られず、共同墓地で密かに埋葬される場合も多いそうです。
以前、獄中で自ら命を絶った受刑者がいました。まだ20代の若者だったそうですが、後日母親がお骨を引き取りに来ました。小さくなった息子の姿を見て、もちろん母親は涙を流しましたが、後でこんな心境も話してくれたそうです。「これまでは毎朝目が覚めるとまず考えるのは、息子が刑務所で過ごしているのだという事でした。これが何十年もずっと続くのだと思うとやりきれなくなる。でも、今は息子は骨になって自分の元に帰ってきた。朝目が覚めても刑務所に想いを馳せることもなくなる。それを思うと、ホッとしている自分がいます」と。犯罪者家族の苦しみも、計り知れないものがあると刑務官は話してくれました。
私はこれまで窃盗や傷害、薬物などの犯罪歴の対象者を何人も保護観察してきましたが、この刑務所のような長期受刑者との接点はまだありません。「塀の中の宇宙」で路傍の石として存在する受刑者に対して、現実世界への帰還を円滑に進めることが、果たして可能なのか疑問に思うところもあります。
しかし、全ての者が仏性を具えているとするならば、罪の軽重を問わず、その者の更生をサポートしていくことが、保護司の役割であることは間違いありません。今回の視察は、その役割と責任の重さをひしひしと感じる研修でありました。
傾聴
2012.11.09傾聴(けいちょう)とは、耳を傾けると書きます。
昨日8日の朝早くに南三陸に向かいました。庄内在住のお坊さん達5名で、被災地の仮設住宅を訪れるためです。私以外は若手僧侶なのですが、自らお願いして彼らの仲間に入れてもらいました。私は恥ずかしながら被災地での活動はまだ三度目で、南三陸は初めてだったのですが、フットワークが軽く志しの高い彼らは、震災後間もなくから炊き出しなどを始め、南三陸を中心に幅広いボランティア活動を行っていました。
今回の活動は仮設住宅に伺い、被災者の皆さんにお茶やお菓子を振る舞うこと(行茶)です。既に震災から一年半が過ぎ、衣食住など生きていく上で最低限のものはある程度足りてはいるので、なぜ今行茶ボランティアなのかと言うことですが、飲食というよりも、話し相手になることが目的なのです。
震災から日が経ち生活面では落ち着いてはいるものの、仮設での快適とはいえない暮らし、家族を失った悲しみや今後の人生の展望など、被災者の胸の内には様々な葛藤が去来していることと思います。そんな方々の言葉に耳を傾け、話し相手になることで少しでも慰めにもなればという思いで行っています。それが、傾聴ボランティアなのです。
集会所に集まった被災者は、男女のお年寄り約20名ほどでした。私達を見ると、「遠くからよく来てくれたね」と皆さん笑顔で迎えてくれました。話し相手を求めているということもありますが、やはり若手のお坊さん達が、これまで何度も足を運んで信頼関係を築いてきた結果でした。初参加の私にまで手を合わせて迎えてもらい、とても申し訳なくありがたい気持ちでした。
最初は世間話がほとんどでしたが、時間が経つにつれ、津波の恐ろしさ、亡くなった家族のことや現在の心情などポツポツと話してくれました。お坊さん相手なので、親族の供養、お寺やお墓のことなどにどうしても話は行きます。もしかして彼らは、先に逝った親族が今どうしているのかを知りたい気持ちがあったのかもしれませんが、それは言葉にしませんでした。たとえ聞かれたとしても、非常にデリケートな部分で、私なりに考えはあるのですが、彼らの慰めになる話が果たしてできたか、自信はありません。
僧侶として、いったい自分は人を救える立場にあるのだろうかと、自問自答してしまいます。生き方が伴って初めて言葉に説得力がでてくるのです。今は耳を傾けることに徹するべきだと思いました。
傾聴はこれからも続けていきたいと思います。
鉄人ドクター川島さん「酒田から被災地に通って」
2012.10.31 10月24日、倫理法人会のモーニングセミナー講師は、年中組保護者の川島実さんでした。講演テーマは「酒田から被災地に通って」です。昨年は全国放送でも彼のドキュメンタリーが何度か取り上げられたので、御存じの方も多いと思います。
トライアスロンや駅伝でチーム若草メンバーとして一緒に汗を流す川島さんですが、本来の彼の姿を自ら語っていただきました。
現在気仙沼の本吉病院の院長を務めている川島さん、家族を酒田に残しての単身赴任です。でも、昨年までは、震災後すぐに現地に医療活動に入り、その後は毎週末3時間かけて、軽トラックで被災地に通う生活を続けていました。本吉病院の医師2人があまりの激務に震災後すぐに辞任したため、その患者さんのために酒田から通い続けたのです。そして現地の患者さんのたっての願いを受け入れ、昨年10月から院長に就任しました。そのあたりの経過を詳しく話していただきました。
また、彼のこれまでの道のりも大変興味深かったです。大学医学部在学中にプロボクサーになり、西日本新人王を取るなど活躍したが、その後なかなか勝てなくなり、どうやって家族を食べさせていこうかと考えた結果米作りに従事した話や、いろいろな人との縁で医者として再出発した話など、波乱万丈の川島さんの人生は、聞いている分にはすごい面白かったです。でも、相当な苦労があったのだろうなと思いますが、彼の明るく前向きなキャラクターで何でも乗り越えてきたのだろうなと感じました。
思えば川島さんと私の出会いもユニークでした。トライアスロンのおしんレースでお互いがゴールした時に知り合ったのですが、私は彼が医者と聞いて、「俺と同じような風貌だなあ。鉄人ドクターもいるんだなあ」と思いました。彼は彼で「園長でお坊さんか。まあ、走る坊さんに悪い人はいないだろ」と、ちょうど長男が翌年から幼稚園に入る頃で、その場で若草への入園を決めたそうです。普通そんな話ないですよね。
彼は性格的に人と関わるのが好きだということで、患者さんとは、診断というよりいろいろな話をするそうです(特にお年寄りとは田んぼの話は盛り上がるそうです)。震災後しばらくは、犠牲になった家族の話を毎日して泣いていた患者さん達も、一周忌を過ぎると涙がピタっと止まった、やはり節目というものは不思議なものだとも語っていました。
現在の医療体制は細分化されていて、お医者さんでも例えば内臓のどの部分担当とか分けられているが、自分は救急医療現場が長かったので、専門家ではないが、その分身体全体を診る、それが老若男女が沢山集まってくる要因ではないかと。そしてスタッフが徐々にそろってきたので、ここを地域医療の教育の拠点にしたいとも仰っていました。
彼が以前語っていたことがあります。「ボクシングも医者も同じエンターテイメントの世界だ」と。「ボクサーは、リング上のパフォーマンスで見に来てくれた観客を楽しませる、医者は来てくれた患者に対して、お互いにコミュニケーションを楽しみ、安心を与えて帰してやる」と。
お年寄りたちに対しての姿勢は、「死はいずれやってくる、でも私はあなたを見捨てない」とのことでした。
あっという間の講演でした。来年は、親子登園日で彼から保護者の皆さんにお話ししていただこうと思います。
デンマークの幸福度
2012.09.27現在デンマーク人のクリストファーが毎日幼稚園に来ています。彼は卒園生でお母さん(日本人)が酒田在住ということで、滞在予定の10月中旬まで、若草幼稚園でお兄さん先生として手伝ってもらっています。イケメンで優しい性格、日本語もペラペラなので、子ども達からも絶大な人気があります。今から16年前、彼がデンマークの幼稚園に通っていた頃に、先生達みんなでデンマークを研修旅行で訪れる機会がありました。首都コペンハーゲンの美しい街並みに感銘を受け、また陽気な人々との交流もでき大変思い出に残る旅行でありました。
デンマークってどんな国なのか、なかなか思い浮かばないと思いますが、クリストファーのお母さんから以前教えてもらったことは、デンマーク人の国民性は「のんびり、ゆっくり、たっぷり」、「人は人、自分は自分」。とても税金が高く(消費税は25%)、社会保障と合わせ国民一人当たりの負担率は約7割にもなるそうです。その分、医療費は無料、大学までの教育費も無料と、国民に対する手厚い社会保障サービスや福祉政策を提供しているのです。
2010年にギャラップ社が発表した「世界の幸福度ランキング」において、155ヵ国中デンマークが1位に輝きました。ちなみに日本は81位でした…。この差はどこから来るのでしょうか?クリストファーが言うには、日本のように経済的に発展はしていないが、子育て支援はもちろん、教育や福祉制度を充実させることで、国が国民一人一人の生活をある程度はきちんと保障してくれるのです。国民はその点で国を信頼しているので、税金がすごく高いとしても不平不満はあまり生じないとのことでした。
さらに職業選択においても、日本のようにただ大学に入るのではなく、将来の夢を早くから考え、高校から専門的に学べるコースの選択が充実しており、また、人生途中での転職も自由で、そのためのセイフティネットもきちんと機能しているとのことです。「のんびり、ゆっくり、たっぷり」の国民性からイメージするに、日本のように受験戦争、出世競争の世界で翻弄されずに、あくせくしないでマイペースで生きている人が多いのでしょう。
決して物質的に豊かではなくとも、仕事も一生懸命しながら、家族も含め自由闊達に人生を謳歌できるライフスタイルが出来上がっているのであれば、それは幸福度を実感することに直結していくのであろうと思います。果たして日本はどうか・・・、考えさせられますね。
ロンドンオリンピック
2012.08.11今はロンドンオリンピックの真っ最中。連日深夜までテレビで応援して、寝不足のご家庭も多いのではないでしょうか。私も、先日はサッカーの試合や体操競技を最後まで見てしまい、そのまま寝ないで保護者と週一回行っている早朝ジョギングに参加したのですが、さすがに途中で歩きました。身体に悪いことやってますね…。
オリンピックはどうしても、見ている方は結果に一喜一憂し、メダルの色や数にもこだわってしまいます。選手にとっては、オリンピックに賭ける思いや日々のトレーニングの長い積み重ねがあるのですが、その背景も知らない我々視聴者が、結果が出なかったことに対してあーだこーだと批判するのは、申し訳ない気もします。でも、そんなプレッシャーも含め、乗り越えなければならないのがオリンピックですからね。
体操の個人総合で金メダルに輝いた内村選手ですが、予選ではミスを連発していました。オリンピック前までは「プレッシャーというものがどんなものか知らない」とまで豪語していた内村選手も、やはり人の子、苦しみを経験し、そこから這いあがって見事結果につなげました。優勝後のセレモニーでは、両親や周囲の人々への感謝の気持ちを口にしていました。
このようにいい結果を出して、表彰式でメダルを掲げながらインタビューに答える選手の話を聞いていると、共通するものがあります。「みんなの支えがあって取れたメダルです。これまでサポートしてくれた皆さんに感謝したい」。選手としての自分の力量への自信ももちろんですが、人間として周囲の人々に感謝の気持ちを表すことができる、これが本当のアスリートなのでしょうね。心技体の充実です。
うちの幼稚園からも、将来オリンピックに出られるような子が出てくれればそれは素晴らしいことですが、何よりも人に感謝され、感謝することができる人材に育つことがより大切なことは言うまでもありません。
地獄の絵本
2012.07.13皆さん「地獄」の絵本を見たことがありますか?1980年に発行されたロングセラーですが、年に2千冊売れればいい商品だったのですが、ここ数ヶ月で10万部近く売れ、なぜか爆発的な人気になっているそうです。若い保護者が買っていくケースが多いそうです。(参考―北陸中日新聞・4月18日朝刊)
死ねば閻魔大王に裁かれ、悪いことをしていれば、地獄で鬼達に苦しめられる。そんなシンプルな内容ですが、挿入される絵が生々しく衝撃的なのです。絵本を発行する出版社の社長によると、「本を見ただけで泣く幼稚園児もいる。乱暴で癖のさる作品だが、これによって子どもに死の怖さや生命を大切にするという気持ちを育てたい」と説明しています。残画表現に対するクレームはなく、「子どもが地獄を怖がって、ウソをつかなくなった」「子どもが言うことを聞くようになった」等の声があるそうです。
「地獄」の効用について、中村広光・別府大学幼児・児童教育研究センター長は、「悪いことをすれば、責め苦が待っていることを教えることは、昔からあることで悪いことではない。むごい絵によって、子どもが残虐な行為に向かうこともないだろう」と指摘します。ただ、「あまり小さなうちに見せれば、恐怖に過剰反応するようになる」と、現実と虚構の区別がつく4、5歳以降に見せるべきとアドバイスします。こんな意見もあります。「恐怖で善悪を教えるのは良くない。自分が地獄で苦しむので悪いことをしないというよりも、悪いことをされた側の痛みや悲しみを教えるべきだ」(碓井幸子准教授・清泉女子短大児童学)。もっともだと思います。
実は、うちのお寺に、古くから伝わる地獄の掛軸(3つ)があり、8月23~25日の森の山まつりで展示しておりました。過去形なのは、一昨年の11月のお寺の火事で、その掛軸が燃えてしまったからです。檀家さんや幼稚園の関係者の方々に言われるのは、「あの地獄の掛軸が焼失したのは、本当に残念だね」と。皆さん、子どもの頃から毎年地獄の掛軸を見て、子ども心にいろいろ思い、考えてきた歴史があります。「あの掛軸で、絶対悪いことはしないと思った」と懐かしがる方がほとんどで、残酷な絵を展示するのはやめてほしいという意見は全くありませんでした。
幼稚園で、地獄の絵本を読み聞かせすることはありませんが、毎年の夏の風物詩(?)として、地獄の掛軸を子ども達で眺め、私が説明していました。本当に地獄があるんだよということではなく、悪いことをすれば、自分の心の中でこの絵のように苦しんでしまうのだよというように話しています。子ども達なりに、それぞれ考えています。
残念ながらあの掛軸は焼失してしまいましたが、今日本中の掛軸屋さん、骨董品屋さんをあたって、探しているところです。復活を望む声も本当に多いのです。ちょうど今、前の地獄図と似ているものを見つけました。もしかして8月の森の山まつりでは、新たな地獄図が展示されているかもしれません。
皆さんのお子さんには、そんな地獄の絵本を無理に見せる必要もありませんが、なぜ今の時代に地獄の絵本がブームになっているのかということも、少し考えてみるのもいいかもしれませんね。
人生=700,800
2012.05.30この数字、知っている人もいるかと思いますが、何かと言うと・・・、まず1日の時間24時間を1年間にすると、24×365=8,760時間になります。
人の一生を約80年間とすると、8,760×80=700,800となるのです。人生を時間に換算すると、約700,800時間あるのです。
この数字を見てピンと来ませんか?
そう、人生は「七転び八起き」なのです。
何度挫折を繰り返しても、そのたびに起き上がり乗り越えていこうとする。それが人生なのです。困難が起きるのは当たり前、それを打ち破り突き進んでいくのも当たり前。ちょっとくさいですか?
いやあ、数字って面白いですね。でも、なーんだ…と思った方も多いかもしれません。私は素直に感動しました。単純なんですかね。
「お菓子大好き!」だった時期
2012.05.30今年の入園式で「お菓子だいすき!」という曲を踊って以来、うさぎの春まつりやくりの木会など、何度も踊る機会がありました。そのたびに「お菓子大好き~!」と声を張り上げていますが、実際そんなにお菓子が好きか?と言われると、先生達は本当に大好きで、ダイエットの話をしながらお菓子をモリモリ食べています。新製品には敏感な先生達です。私はそうでもなく、やはりお酒のつまみの方がいいかなと思ったりしますが、実はお菓子を食べる時間がとても待ち遠しい時期がありました。
それは、今から20年前、お坊さんの資格を取るために福井県の永平寺という山奥のお寺で修行していた時です。平成4年から2年間修行したのですが、この時は食事も最低限のものしか食べられませんでした。
でも、1ヶ月のうちで4と9の付く日、四九日(しくにち)というのですが、4日、9日、14日、19日、24日、29日、これらの日はお菓子を食べてもいい日なのです。
四九日はその他にも、起床時間が1時間遅くて4時半でいい、お風呂にも入れるなど特典があったのですが、何といってもお菓子が食べられるのが一番の楽しみでした。
普段糖分に飢えている私達は、5日に1回、故郷の両親から送ってもらったお菓子を皆で分け合ってむさぼるように食べるのです。大の大人が、お菓子を食べる日を待ち遠しく思うなんてちょっと信じられないかもしれませんが、その日が来ると朝からもう楽しみ楽しみ。この日だけは我々も子どもに帰るのでした。皆で分け合うと言っても、ちょっと自分の分が足らないと文句の言い合いになったりして、子どもより始末が悪い時もありました。恵まれた世の中だからこそ、修行の場においては人間の卑しい、悲しい部分も味わう機会にもなりました。
だから、「お菓子が美味しい!お菓子大好き!いっぱい食べたい!」という気持ちはよくわかります。でも今、園長がそんなふうだったら、子ども達から笑われますね。
天職
2012.05.09清水秀雄さんという方が「天職」という詩を作っています。先日職員会議の時に、幼稚園やベビーの先生達に紹介しました。毎日こんなふうにありたいですね。皆さんはいかがですか?
「いくら働いても疲れを知らない
お客様からおこごとを頂戴しても少しも腹が立たない
周りの人々のイヤなところに目がいかない
日々進歩発展、現状打破の意欲があふれている
朝早く起きて誰よりも早く会社へ行く
とにかく毎日毎日が充実していて楽しい
こんな気持ちで仕事ができる
うれしい、たのしい、おもしろい
これが天職、私の天職
本当にうれしい
天職であって本当にありがとう」