受賞の喜び
2011.12.05トピックスにも載せましたが、11月30日に開かれた山形県食育県民運動大会で、食育推進活動において若草幼稚園が優秀賞をいただきました。
すくすく畑の活動が表彰対象で、お供えの花で作る堆肥を利用する有機無農薬栽培に、年間を通して年長組の子ども達が関わった結果です。保護者の皆さんの協力があったからこそで、本当に嬉しいです。
野菜の有機、無農薬栽培を始めてから7年ほどになりますが、私自身も素人ながら野菜作りにのめり込むようになりました。
無農薬の新鮮な野菜の美味しさは、食べてみて初めて実感します。堆肥作りから収穫までの一連の活動を、保護者の協力を仰ぎながら園児と一緒に続けていくことで、自然活動の楽しさ、仕事の大変さ、食の喜び、感謝の気持ちが育くまれていくのではないかと思います。
また、園庭には「いのちの塔」と呼ばれるお墓があり、園で飼育している小動物(ウサギやカメなど)や園庭で生息する昆虫などの亡骸を埋葬し、供養の機会も設けています。子ども達には、堆肥作りや畑作業と合わせて、生き物の供養を通して、環境に配慮する心、命の尊さ、食物連鎖(命の循環)も同時に学んでいってほしいと思います。
今回の賞を励みにして、今後もすくすく畑の活動を頑張ります。皆さんからのご協力もよろしくお願いいたします。
おなかの中のおそうじ(「あんふぁん」東北版11月号のコラムに掲載)
2011.10.12「お母さんのおなかの中とっても暖かかったんだよ」、「おなかの中でお母さんが話しかける声を聞いた」、「中は暗かったけど、外へ出たらとても明るかったの」、私が園児に尋ねると、そんなふうに答える子が時々います。皆さんも、お子さんからそのような言葉を聞いたことがありませんか?
胎内記憶を研究している池川医師(横浜市の池川クリニック院長)が、六歳までの子どもを持つお母さん達に対して調査を行った所、おなかにいた時や生れた時の様子を表現する子どもの数はかなりの割合にのぼったそうです(その記憶も、小学校に行く頃にはなくしてしまう事が多いそうですが)。
あるお母さんが、「うちの子ったら、『お母さんのおなかの中を、よくおそうじしてあげたんだよ』なんて言うんですよ。何を言いだすかと思ったら…」と笑いながら話す事がありました。
池川氏の著書には胎内記憶の事例が沢山掲載されておりますが、「おそうじ」という表現は複数出てくるようです。ある男の子の言葉にこんなものがありました。「おなかの中にいた時、おそうじしてたんだよ。お母さんが疲れてる時は、おなかの中が汚れてるから、おそうじしてあげるの」。
「おそうじ」の謎が解けました!何とおなかの中の赤ちゃんは、自分を産むために頑張っているお母さんに、一生懸命励ましの念を送っているのです。妊娠中のお母さんの疲れやストレス、不安を「おそうじ」してあげて、お母さんに満ち足りた気持ちになってもらい、この世に誕生する日を待っているのです。
そう考えると、どんなに子育てが大変で疲れたとしても、「おそうじまでしてくれて、私のもとへ生まれて来てくれてありがとう」なんて気持ちになりませんか?
当たり前への感謝
2011.07.30「PTA会長の寝言」でも触れられていますが、夏季保育の2日目の朝の本堂のお参りの時、年長組のみんなに少しお話をしました。
お父さん、お母さんに元気に「行ってきまーす!」と夏季保育に向かった子ども達。そして、無事楽しいイベントが終了し、「ただいま!」と父母のもとへ帰る風景。全く当たり前のことなのですが、3月11日の大震災は、そんな当たり前の日常をがらりと一変させてしまいました。
当たり前のことが当たり前でなくなった時でないとなかなか実感できないものですが、私達が普通に生活を送れることのありがたさを、子ども達からも少しは理解してほしいと思いお話しました。
木下晴弘さんという方が書いた『できる子にする「賢母の力」』 という本があるのですが、あとがきにこんなことが書いてあります。
「2001年7月、ある花火大会で悲惨な事故が起こりました。あまりにも大勢の人が押しかけたために、歩道橋で群集雪崩が起こり、11人の方が亡くなられたのです。しかもその11人のうち9人が、10歳未満の子どもたちでした。
それからずいぶんと月日が流れたある日、新聞の記事に当時その事故でお子さんを亡くしたお父さんの手記が掲載されていました。
その日の朝、お父さんはお子さんと花火大会に行く約束をして会社に向かいました。しかし、あいにくとても仕事が忙しく、約束の時間に帰れそうにありませんでした。お父さんはお子さんに連絡を入れます。
「遅れても必ず行く。だから先にみんなと行っていなさい。」
そして、日が沈み、花火の時刻になりました。もうすぐ仕事が終わる。約束だから、早く行ってやらねば。そう思っていた矢先にお父さんに悲報が知らされたのです。
お父さんは、何が起こったのか現実を受け入れられませんでした。呆然としながら、わが子が運び込まれた病院へと猛スピードで車を走らせます。そして彼は運転しながら自分を責め続けるのです。
「俺が一緒にいてやったら助けてやれたはずだ!俺が約束を守っていたらあいつは死なずにすんだはずだ!俺が仕事を早く済ましていれば…俺が…」。
涙があふれて止まらない。でも、どんなに泣いてもどんなに悔やんでも、もう子供は戻ってこないのです。
「行ってきます!」と家を出たお子さんが、必ず「ただいま!」と帰って来られる保証など、どこにもありません。
「おやすみ」と言った人に、「おはよう」と言える保証はどこにもないのです。
もし、あなたと、あなたの大切な家族が今日を元気で生きているのなら、こんなに幸せなことはありません。
だから、多少のことならお子さんを許してあげてください。
そして多少のことなら自分自身を許してあげてください。
いずれ、巣立ちは必ずやってきます。
ならばせめてそのときまで、ともに出会えたことに感謝し、ともに人生を歩めることに感謝し、その一瞬一瞬を輝いて生きてゆこうではありませんか。
人間は、一人では生きていけません。母親として、父親として生きている以上、あなたは一人ではありません。どうぞ安心してください。
(『できる子にする「賢母の力」』 著:木下晴弘 出版:PHP研究所)
私は、死は決して終わりでないことを理解しており、愛する者同士が永遠に離れることはないと思っています。しかし、たとえ故人が役割を果たして本来の世界に帰っていき、いずれまた再会できるとわかっていても、今生での突然の別れは、身につまされるつらさがあるでしょう。
誰もが生と死を繰り返し、一つ一つの生では必ず出会いと別れがあることを自覚しながら、普段から当たり前であることへの感謝の気持ちを持ちながら生きていくことの大切さを、この頃強く感じます。
なでしこジャパン
2011.07.2523日(土曜日)は、うさぎの夏まつりに参加していただき、どうもありがとうございました。天気に恵まれ、外での活動がたくさんできて良かったです。私はもっぱら泥んこプールで茶色に染まっていました。マリマルモリモリの踊りは、覚えるのにちょっと苦労しましたが、やってみるととても楽しい踊りですね。子ども達も一緒に楽しんでくれたでしょうか。
さて、なでしこジャパン!快挙でしたね。見事金メダル!サッカーのワールドカップで金メダルなんて、男子の世界では夢のまた夢。私も20年以上前にイタリア大会(男子)で現地観戦した経験がありますが(当時は日本チームは出場すらできない時でしたが)、国の威信をかけてピッチ上で戦う試合の白熱した展開、それぞれの国のサポーターの熱狂ぶりに感動した思い出があります。
今回のなでしこジャパンの戦いぶりは本当に驚きでした。以前は男子と比べると迫力や技術面で見劣りしていましたが、今回の日本チームは、まずパスワークが各国から称賛を浴びるほど多彩で、それぞれの選手の役割分担がはっきりし、澤を中心にチームが一つにまとまり、戦術面でも素晴らしかったと思います。
何よりも、決勝の米国戦で見せた、「最後まであきらめない」という姿勢が、スポーツを超え、被災地の人々も含め、我々日本人の今後の人生の指針としても大いに勇気づけられた感がありました。
それに、何といっても佐々木監督のチーム作りの手腕も見逃せませんね。うちも女性の職場なので見習わないといけません。佐々木監督が「私なんか女子寮に閉じ込められているようなもんだ」とのコメントがありましたが、何となく分かります(笑)。
ちなみに「なでしこ」の花言葉は、純愛、無邪気、可憐、貞節…。うちの先生達にぴったりですね…。
毎年園児サッカー大会が、保護者サポーターの熱狂的応援のもと繰り広げられますが、今年度は女子のブロックが大いに盛り上がりそうです。
「なでしこ若草」、可憐に戦ってください。
それでは、次回もお待ちしております。
魔法の質問
2011.07.14昨日(13日)は、文化センターで開催された、マツダミヒロさん(質問家、日本メンタルヘルス協会公認カウンセラー、コーチング部門で発行部数NO.1のメールマガジン「魔法の質問」主催)の講演会に参加しました。酒田市と若草幼稚園の共催だったので、園の保護者(ほとんどがお母さん)からも多数参加いただきました。
講演のタイトルは「子どものやる気と能力を引き出す講座」で、6人で1グループを作り、それぞれにマツダさんが質問を投げかけ、その答えを自分で考え紙に書き、グループ内で発表していくというやり方でした。
最初の質問は、「この講座が終わったら、どんな状態になっていたいですか?」という質問で、私がいたグループでは、「子どもに対して素直におだやかに接することができる」とか、「前向きな気持ち」などの答えが挙がりました。次に「最近、自分でうまくいっていると思うことを3つ書いてください」という問いには、「自分の時間を持つことができている」とか、「思春期の子どもといい関係が何とか築けている」、「夫婦の仲がいい」、「いい本と出会った」、「仕事の段取りがうまくいっている」など、6人それぞれいろんな回答がありました。
このようにマツダさんは、どんどん肯定的な質問を投げかけていくのです。それは、人は足りないところに目がいきがちなので、自分自身あるいはお子さんのできている、うまくいっているところを探し、認めたりほめたりするきっかけにしてほしいとの願いがこめられているのでした。
面白かったのは、「人から言われてうれしいことを、妄想でもいいから(笑)10個書きなさい」との問いです。みんなで「こんなこと書いていいのかしら」と大笑いしながら書いていき、出てきた答えは、「若く見えますね」、「やせていますね」、「お母さんの料理美味しい!」、「センスがいいね」、「あなたと結婚して良かった」、「いつも元気ですね」などなど。そして何と、1人1人に他の5人が次々と、その言われて嬉しいことを言ってあげるのです。私も実際言われてみてとても照れて恥ずかしかったのですが、例えお世辞でも嬉しくなるのです。お子さんに対しても、(何て言われたら嬉しいのだろうなあ~)と日々考えることが大事なのだということでした。
最後に、シャンパンタワーの話がありました。一番上のグラスは自分、2段目は家族、3段目は職場のスタッフや友人、4段目はお客様だとすると、どこからシャンパン(エネルギー)を注ぐか?ということです。仕事一筋の人(父親に多い)は4段目という人もいますが、母親の場合は2段目が多いのではないかと。子どもやだんなさんのために、まず時間と労力を使い、自分のことを後回しにしがちで、そんな一生懸命な母親は、自分のことはさておき、誰かの為に尽くすことが当たり前と思っています。でも、それはすごく疲れるし、どこかでムリをためているということです。
シャンパンタワーは、一番上から満たしてこそ、すべてのグラスにシャンパンが行き渡るので、家族や周囲の人達が潤うためには、てっぺんの自分自身を満たすことが大事だとマツダさんは説きます。
マツダさんの著書「子どもが『やる気』になる質問」の最後にはこう結んであります。「まずは、母親自身が、キラキラして、心から愛とエネルギーに満たされている状態をつくることが、子どもの、そして家族みんなの幸せのためには大事です。『満たされた状態をつくるために、なにができるだろう?』 今日からは、そう考えながら、行動してみませんか」。
大変実りのある講演会でした。
「想定外」を生き抜く力
2011.07.04 先日、山形県の私立幼稚園の設置者、園長研修会が開催されたのですが、その中の研修の一つで「幼稚園おける危機管理」というテーマでパネルディスカッションが行われ、私もパネリストの1人として参加しました。
私は、被災地の幼稚園で園児が犠牲になったケースを取り上げ(話をするのも大変痛ましかったのですが)、今後の地震、津波への教訓として生かしていけるように各園長先生方にお話ししました。
その中で、片田敏孝群馬大教授の「『想定外』を生き抜く力」(月刊「WEDGE」5月号掲載)について簡単に報告したのですが、大変印象に残る記事だったので、こちらで詳しく紹介したいと思います。
岩手県釜石市では、市内の小中学生、ほぼ全員が津波の難を逃れました。生存率は何と99.8パーセント。他の被災地に比べ大変高い割合を示しています。多くの人たちは、これを「奇跡」と呼びました。しかし、そうではなかったのです。「教育」で子どもたちが身につけた対応力が、「想定外」を乗り越えさせたのです。
(以下記事より抜粋)「釜石市の鵜住居(うのすまい)地区にある釜石東中学校。地震が起きると、壊れてしまった校内放送など聞かずとも、生徒たちは自主的に校庭を駆け抜け、「津波が来るぞ」と叫びながら避難所に指定されていた「ございしょの里」まで移動した。日頃から一緒に避難する訓練を重ねていた、隣接する鵜住居小学校の小学生たちも、後に続いた。
ところが、避難場所の裏手は崖が崩れそうになっていたため、男子生徒がさらに高台へ移ることを提案し、避難した。来た道を振り向くと、津波によって空には、もうもうと土煙が立っていた。その間、幼稚園から逃げてきた幼児たちと遭遇し、ある者は小学生の手を引き、ある者は幼児が乗るベビーカーを押して走った。間もなく、ございしょの里は波にさらわれた。間一髪で高台にたどり着いて事なきを得た。
釜石市街の港近くにある釜石小学校では学期末の短縮授業だったため、地震発生の瞬間はほとんどの児童が学校外にいた。だが、ここでも児童全員が津波から生き残ることができた。
ある小学1年生の男児は、地震発生時に自宅に1人でいたが、学校で教えられていた通り、避難所まで自力で避難した。また、小学6年生の男児は、2年生の弟と2人で自宅にいた。「逃げようよ」という弟をなだめ、自宅の3階まで上り難を逃れた。授業で見たVTRを思い出したからだ。既に自宅周辺は数十センチの水量で、大人でも歩行が困難になっており、自分たちではとても無理だと判断した。彼らは、自分たちの身を自ら守ったのである」(以上記事より抜粋)
三陸地方は歴史的に津波の災害が多いところで、古くから津波に対する対策が取られてきました。過去に多くの死者を出した経験から、高くて長い防潮堤が何十年もかけて造られました。その後大きな津波の被害がなかったことから、住民はいつの間にか、津波警報が発令されても、結果として「到来した津波は数十センチ」という繰り返しに慣れてしまい、「本当に津波が来たときには、指示された避難所に行けばよい」と思う人が多くなり、さらには「それでも、堤防があるから大丈夫」という油断が生まれていきました。(結果的に、防潮堤は今回の津波では役に立たなかったわけですが)。
片田教授は、8年前よりこの地で防災教育を行ってきました。しかし最初の頃は、先に挙げた理由で防災教育に無関心な人が多かったそうです。
そこで教授は、子ども達にアンケートをとる作戦を考えました。
「家に1人でいるとき大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?」と質問したところ、ほとんどの回答は、「お母さんに電話する」「親が帰って来るまで家で待つ」というものだったのです。教授はそのアンケート用紙に、「子どもの回答をご覧になって、津波が起きた時に、あなたのお子さんの命は助かると思いますか?」という質問文を添付し、子どもたちに、家に帰ってから親に見せるように指示しました。効果はてきめんで、「我が子のためなら」という思いが、大人達を動かしました。保護者の多大な協力で、子ども達への防災教育が始まりました。
(以下記事より抜粋)「授業では、津波に対するリアリティーを持ってもらうことを最初の目的にした。祖父母から津波の話を聞いているが、自分の身に降りかかる出来事とは思っていなかったからだ。まずは、過去の津波で犠牲になった4041人という数字、そして亡くなった方を遠目に写した白黒の写真など具体的な資料を見せた。さらに、地震発生から逃げる時間が早ければ早いほど死者が減少するというシミュレーション動画を見せるなど視覚的に訴えた。こういった工夫を重ねることで、それまで他人事と思っていた子どもたちの目つきが変わり、授業の中身に真剣に耳を傾けるようになった。
子どもたちには、津波の恐ろしさや特徴だけでなく、実際に避難する際の注意点を教えた。特に重点をおいたのは、その時にできる最善を尽くせということだ。津波は毎回その形を変えて襲ってくる。地震の直後において、どんな津波なのかはわからない。ハザードマップに示された津波より大きいかもしれないし、小さいかもしれない。しかし、どんな津波であっても気にする必要はなく、できることは、その時にでき得る最善の避難をすれば良いということだ。
こうして彼等なりの最善策を探る取り組みが始まった。具体的には、地図に自宅と通学路を書き入れ、避難場所に印をつけて、自分だけの津波避難場所マップを作成させた。マップには、地震が起きたらすぐに行動すること、とにかく高いところへ行くこと、津波は川をかけ上がって内陸部の低い場所にも到達するので海から遠いといって安心しないこと、一度高いところに避難したら降りてこないことなどを記した。
(中略・・・)
防災教育の総仕上げとして子どもや親に教えたことは、端的に言うと「ハザードマップを信じるな」ということだ。ハザードマップには、最新の科学の知見を反映させた津波到達地点や、安全な場所が記されているが、これはあくまでシナリオにすぎない。最後は、自分で状況を判断し、行動することの大切さを伝えたかった。そうは言っても、子どもたちには不安が残る。だから、どんな津波が来ても助かる方法があると伝えた。それが逃げることだ。
もう一つは、自分の命に責任を持つことだ。三陸地方には、「津波てんでんこ」という昔話が伝えられている。地震があったら、家族のことさえ気にせず、てんでばらばらに、自分の命を守るために1人ですぐ避難し、一家全滅・共倒れを防げという教訓である。私はそこから一歩踏み込み、子どもに対しては「これだけ訓練・準備をしたので、自分は絶対に逃げると親に伝えなさい」と話した。親に対しては子どもの心配をするなと言っても無理なので、むしろ、「子どもを信頼して、まずは逃げてほしい」と伝えた。(以上記事より抜粋)
今回の大震災に対しては、政府はもちろん、我々市民も、「想定外」という言葉を口にしてしまいます。しかし、災害に対しては、「想定内」は存在しないことも痛感したのではないでしょうか。
防潮堤などの「ハード」は、予想される災害の被害を想定しますが、それ以上の被害に対しては無力です。しかし、災害に対する対応力(ソフト)は、教育しだいで、想定を超えるものに対しても、最善を尽くすことで乗り越えることができるのです。
片田教授の地道な取り組みは、生きていく上での教育の重要性を、文字通り証明した結果になりました。
被災地での供養(寺報「境内と園庭」第34号より)
2011.06.08五月に宮城県のある被災地へ、津波で亡くなった方の供養に行ってきました。その方が酒田出身ということで、全くの偶然で私に供養の依頼があったのですが、現地へ行ってみると、親族の方で私と旧知の方もいらっしゃり、非常に縁を感じました。
供養の依頼をいただいたTさんはまだ若い男性で、今回の津波で奥さんと生後半年のお子さんを失ったのでした。結婚して二年も経たぬうちに、最愛の伴侶と一粒種を亡くすという事実は、本当に痛ましく、遺族の方々の慟哭の中で、静かに読経させていただきました。
テレビや新聞の報道では、被害の甚大さはある意味ひとくくりにして語られることが多く、見ている我々も、一つの大きな災害として感じてしまいます。しかし、今回現地に行き、被災された方々それぞれのご不幸があり、深い悲しみがあるのだということを、改めて実感しました。
今回火葬場に立ち会ったのは、奥さんの供養のためでした。実は、お子さんはまだ見つかっていなかったのです。二人を一緒に見送れないTさん達遺族の胸中を思うと、言葉もありませんでした。しかし、二人の魂は間違いなく一緒にあり、安らかな本来の世界へ共に旅立つところであるということは、私が言わなくてもTさんも理解していると感じました。
このような時に僧侶の私が、付け焼き刃的な仏教の話をしても慰めにもならないだろうし、遺族の方々に、元気を出してとか、早く立ち直ってというようなことは言えません。今は悲しみの時だし、何をおいても、深い悲しみに沈むべき時なのだと思います。
結婚してわずかで、そして生まれてすぐに逝ってしまった奥さんと子ども、この二人には、これからまだまだ大きな、様々な可能性があるはずでした。でも、それらが奪われたからといって、二人の生が無意味だったのではありません。
奥さんは、Tさんと出会うまでの、そしてTさんと結婚してからの短いながらも幸せな人生がありました。その過程で関わったたくさんの人々に影響を与えてきました。お子さんは、この世に生まれてくることで、親になる喜びを両親に与えてくれました。半年間、お父さんとお母さんに大切に育てられる中で、反対に二人を親として育ててきたのです。奥さんとお子さんはそれぞれの役割を果たしたことで、肉親や関わった人から受けた、あるいは与えた愛情や慈悲の心が、いつまでもずっと残り続けるのです。
私は、一人一人の人生とは、はるか昔から絶え間なく流れる海の水のようだと感じています。海の水は蒸発して雲となり、やがて雨や雪となって地上に降りてきます。そして地下水や川の水となって、再び海へと戻ります(今は、海はどうしても津波を連想してしまいますが…)。
水滴のような人間の生も、一度で終わるものではなく、長い歴史の中で、何度も生と滅を繰り返しているのではないかと理解しているのです。その一つの生で、何かの役割を持って生れてきて、その役割を果たして本来の世界に帰っていく。だから、そこに早い遅いはなく、幸、不幸もない。ただひたすら連綿と続く魂の成長の過程が、刻印され残されていくのではないかと…。肉体の死はあっても、命(魂)の死はないのです。
そして、肉親や親しい者同士の魂は、その流れの中で常に行動を共にし、役割を果たすべく、因果に従いながら精進しているのではないかと考えるのです。この関係をソウルメイトあるいは魂の伴侶と呼ばれることもありますが…。
「袖すり合うも他生の縁」の「たしょう」を「多少」と思っている人は多いのですが、正しくは「他生」あるいは「多生」です。道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは何度も繰り返された過去の生の縁によるものであるということです。
そう考えれば、Tさん一家はたとえ短い間だったとしても、夫婦としての幸せな時を過ごし、新たな命を授かった喜びを味わうことができたほどの「縁」は、「袖すり合う」どころか、過去に何度も関わって愛情を注ぎ合ったぐらいの深さで結ばれていたのでありましょう。
Tさんには、悲しみから立ち直るにはまだまだ時間がかかります。しかし、どんなに悲しくても、それでも人は生きていかねばなりません。それが遺された者の責任だからです。しかし、そこで歯を食いしばって悲しみに立ち向かうような生き方をするのではなく、深い縁で結ばれている二人の魂に、(またいつか会えるね)と語りかけるような気持ちで過ごしていけば、二人も今後のTさんの人生をずっと見守っていくことができるし、Tさんもその存在を身近に感じ、生きる糧となっていくのではないかと思います。
被災者それぞれに深い悲しみがあるように、生きる希望も被災者それぞれが持っています。復興に向けて踏み出していく動きを決してひとくくりに見るのではなく、一人一人の努力が集結していけるように、我々も応援していかねばならないと考えます。
野菜の苗
2011.05.093月の地震以来、被災地の惨状に心が痛み、また原発などの不安定な状況もあり、気持ちが沈む日が続きましたね。それに加え4月になってもなかなか暖かくならず、今年ほど春の到来を待ち遠しく感じた年もなかったなあと思います。被災地の方々も、暖かい日差しの下で元気を取り戻し、復興に向けて前向きに活動していってほしいと願います。
私にとって、この時期一番ワクワクさせてくれるものが、野菜の苗です。来週年長園児と一緒にすくすく畑に植えるために、私も8日の日曜日に買い出しに出かけました。ホームセンターではたくさんの苗が売り出され、お客さんで賑わっていました。トマトやナス、パプリカ、きゅうり、スイカ、かぼちゃ、ズッキーニ、トウモロコシなどなど夏野菜をいっぱい購入してきました。人気のある野菜はいろいろな品種が所狭しと並べられ、どの苗も魅力的で選択に苦労しました。私はファッションには疎いのですが、女性が洋服を選ぶのに悩む感覚に似ているのですかね??
すくすく畑のスペースや日当たり具合を頭に浮かべ、また、連作障害を防ぐために植え付け場所のローテーションも考慮しながら、どの苗をどこに植えるかなどを考えるのが楽しいのです。苗を植えるだけでなく、風対策で支柱を補強したり、ウリ科の野菜はツルを這わせるためネットをかけたりと、野菜の生長のためいろんな支援作業が必要なのですが、その構想を練るのもまた面白いのです。
植え付けてからは、水やりや草取り、虫対策などいろんな苦労がありますが、次第に大きくなり、園児と共についに収穫を迎える時の喜びは格別で、新鮮な野菜を収穫後すぐに食べて、子ども達とその美味しさを共有できることに感謝します。手をかけて育てれば、報われるものも大きいです。
なんだか子育てにも共通しますね。ご家庭で、お子さんと一緒に野菜を育ててみるのもいいかもしれませんね。
タイムカプセル(広報第3号)
2011.03.18卒園する時に思い出の品を入れたタイムカプセルを大仏さんのお堂に納め、二十歳になった時に取りに来ようという企画は、私が酒田に戻った平成六年度から始まり、昨年度に一回目のオープン式を迎え、今年度で二回目です。
八月の初めの週末に行うこともあり、全国に散らばっている卒園生が皆参加することはできませんが、それでも成長してりっぱになった姿を見せてくれ、先生達も懐かしさで胸がいっぱいになりました。幼い頃の表情そのままで、すぐに「○○くん」、「○○ちゃん!」と声をかけられる子もいれば、あまりにもたくましかったり、また化粧バッチリと流行のファッションのせいか本人に確認しないとわからない子もいたりして、それはそれで楽しい再会の場となりました。
卒園生だけでなく、保護者からも参加していただきました。当時は私も三〇歳そこそこでペエペエでしたが、若さにあふれていたこともあり(?)、子ども達とは毎日泥だらけになって遊び、保護者、特にお父さん達とは夜な夜な熱く語り合った日々を思い出しました。
卒園生はタイムカプセルを開けて、当時友達と一緒に撮った写真、自分が描いた絵や先生からのメッセージ、保護者からの愛情あふれる言葉を見て、感慨深そうに微笑んでいました。ある保護者のメッセージに、「二十歳になったら一緒にお酒を飲もう」と書いてあったのですが、それがその日の懇親会の場で現実のものとなり、親子で楽しそうにグラスを傾けていたのが印象的でした。また、当時のビデオを見た時は、卒園生も保護者も先生も、十五年前と今の自分の姿のギャップに大笑いしていました。
今回卒園する子ども達からも、想い出の品をタイムカプセルに入れてもらいました。これからの長い人生を考えれば幼稚園生活も一瞬の出来事かもしれませんが、大人になって振り返る時に、友達や先生、保護者と楽しく過ごした日々を少しでも懐かしく思い出してくれれば、それだけで十分かなと思います。まだまだ先の話ですが、ぜひ、オープン式には参加してくださいね。卒園生も保護者も。待ってます!
卒園おめでとうございます。