セミの一生
2014.03.28「セミの一生」という歌があります。英語の歌でとてもシンプルなのですが、非常に印象に残ります。歌詞だけわかるのですが、メロディをどなたか知りませんか?
今年度の広報「わかくさ」最終号に、卒園生へのメッセージとしてその歌を紹介しました。
「平成十四年夏に「カブトムシの家(KK牧場)」をお父さん達と制作し、その年から幼虫の孵化が始まりました。ただ、土の中から出てきたのはカブトだけでなく、セミの幼虫も一緒でした。カブトの家が建つ前から、その地にはセミが産卵していたのです。セミの幼虫は土中で6~7年間過ごす(アブラゼミの場合)と言われていて、確かに平成20年過ぎまでセミは毎年出てきていたので、その説の正しさは私も確認しました。ただカブトの家はネットで囲われていたので、セミの成虫を毎年外へ出してやるのが私の仕事でした。何となく、カブトの家を建てなければ、自由に空へ飛びたてたのに「ごめんなさい」と…いう気持ちでした。
セミの成虫は約一週間の寿命と言われています。6、7年という長い年月を土の中で過ごし、やっと空を自由に羽ばたくことができたのに、一週間とはあまりにも短いですね。人間は同じくらいの期間を家庭や保育園、幼稚園で過ごし、そして新たな巣立ちをして、それでもまだ何十年という人生を過ごします。あまりにも違いますね。
「セミの一生」という英語の歌があります。
I come on Monday. It is my first day.
I fly on Tuesday. It is my second day.
I play on Wednesday. It is my third day.
I sing on Thursday. It is my fourth day.
I date on Friday. It is my fifth day.
I sleep on Saturday. It is my sixth day.
I go on Sunday. It is my seventh day.
Oh … It is my last day.
何だかせつない歌ですね。でも、セミは自分の生を全うして終えていく。そこに長い、短いはないし、満足、不満もない。人間ももしかしたら同じかもしれません。生を全うすることが本質なのです。この世に生れ、歩き出し、友だちと遊び、歌い、成長して伴侶を得、子孫を残し、死んでいく。生き物はすべて同じなのですね。どうぞ巣立つ皆さんも、自分の一生を全うしてください。何があっても、生きてください。
卒園おめでとうございます。」
鬼のお面の歴史
2014.02.05今回の豆まきには9頭の鬼が登場しましたが、そのうち7頭は、手作りのお面を使用しました(他の2頭は市販のもの)。このお面は古くからありましたが、いつ作られたかは不明でした。しかし最近、70歳の知り合いの方から、「自分が中学生の時に、幼稚園でお父さん達が紙粘土で作っているのを見た」という証言を得ました。ということは何と、55年前頃の作品だったのです。
若草は今年創立58周年なので、創立間もない頃に作られたのですね。建て替え工事等のたびに古い物は処分されてきましたが、このお面はお寺のそばの倉庫に保管されていたので、ずっと残され使用されてきました。鬼役の運転手さん(当時は)、お父さん達、父や私の汗と鼻水、そして子ども達の涙が55年分こびりついた伝統のお面です。子ども達から角を折られたり、髪の毛を引きちぎられたり、色がはげるたびに修復され、何とか今でも現役で活躍(?)しています。子ども達にとっては怖くてつらい出来事ですが、成人してからは良き思い出として振り返ってくれます。
これからも使い続けていくつもりですが、来年には新たな手作りお面も、保護者の皆さんと作ってみようかなと思います。またそれが何十年も使い続けられ、さらなる歴史を作っていってもらえれば嬉しいです。
家族の使命
2014.02.01この作文(1/31付「荘内日報」)を読んで、自分の中、高校時代を思い出しました。私の身内も精神的な病で入退院を繰り返し、そのことで家庭内が不安定だった時期が長く続きました。当時それを他人に話すことはせず、自分の鬱屈した内面を部活動や友との付き合いで発散させていました。私にとってはできるだけ考えたくないことであり、(何でうちだけが…)というような被害者意識もありました。今となっては、家庭内のいろいろな問題、葛藤は多かれ少なかれどの家庭にもあり、皆その試練を受け止め、乗り越えながら生きているのだと理解しています。
この作文の作者は中学生ですが、兄の病で家族が壮絶な経験をしてきた経過を踏まえながらも、「私達以上に本人がとてもつらい思いをしてきた」と書き、兄を思いやっています。そして兄のサポートを「家族の使命」として受け入れ、その使命ゆえ今回実名を出して公表し、多くの人から発達障害への理解を深めてもらい、支えの一助となるように働きかけています。私自身の頃を振り返ると、本当に頭が下がります。
この作文を紹介することで、少しでも彼女を応援できればとの思いを持ちました。
もうすぐもちつき(若草リレーブログ12/11より転載)
2013.12.16日々寒くなってきましたね。「さんぶの~」と言ってると、気持ちまで冷えてきますが、常に心はホット!でいきましょう。ところで、12月の大行事と言えば、やはりもちつきです。
去年のもちつきの時の若草ホームページのトップページは、こちらでした。
2年前はこちらです。
今年ももちつき人募集しています。「へっぴり腰でもいい、ぺったんこしてくれれば、それでいい」。
今年もジャンボ雪だるま作るか! (若草リレーブログ/11/12より)
2013.12.16今日は園長の番です。11月中旬だというのに、ついに雪が降ってきました。大人はちょっとつらいのですが、子ども達は雪が降るとウキウキしてきますね。特に子ども達が喜ぶのが、保護者と一緒に毎年作っている「ジャンボ雪だるま」。今回はいつ作れるかなあ。去年は1月14日に作ってました(今年でした)。で、UPしたのが上の写真です。これを見て騙された人が多かったようです。すみません。2重に合成していました。大仏さんに肩を並べるように雪だるまのサイズを伸ばし、大仏の横に貼り付けたのが1点(これは分かりやすい)、そして、人々の姿を小さくして雪だるまにはめ込んだのが2点目です。これがわかりにくかったので、本当にこんな大きいのを作ったのか!!と思われたようです。ごめんなさいね。
実際の大きさは下です。
と言うことで、今年もジャンボ雪だるま、みんなで作りましょう。
やなせななさんの歌
2013.12.1212月8日は成道会(じょうどうえ、お釈迦様が悟りを開いた日)ということで、お寺の本堂で檀家さん対象で供養を行いました(幼稚園児対象は4日に行いました)。いつも法要前の空き時間に何か企画するのですが、今回はシンガーソングライターで「歌う尼さん」こと、やなせななさんの曲を映像で紹介しました(やなせさんに関する情報は、10/17のタイムラインの記事にUPしました)。
4曲流しましたが、すべて被災者、被災地への心情を綴った曲です。作曲は全部やなせさんで、作詞は、宮城県のお寺の早坂…住職です(3曲)。早坂住職は津波でお寺も墓も流され、多数の檀家さんを失いました。
10月にやなせさん本人の歌を生で聴き、大変感銘を受けました。うちの檀家さん達にも是非聴かせたいと思い、やなせさんからも許可をいただき、映像でのコンサートとなりました。早坂住職の詩に込められた思い、やなせさんの優しくも力強い歌声、美しいメロディが印象深いです。亡き人、亡き故郷に捧ぐ鎮魂歌であり、明日への生きる希望の歌でもあります。檀家さん達も涙ぐんでいました。
以下、当日流した曲です。最初の3曲は以前タイムラインでもUPしましたが、4曲目は初めて紹介します。
1.「春の雪」 http://www.youtube.com/watch?v=dJ9AZkOBanA&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw
2.「まけないタオル」 http://www.youtube.com/watch?v=kJhadSWD3oU&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw
3.「千年眠れ」 http://www.youtube.com/watch?v=Uvg6LNZeqM0&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw
4.「ほんとうの空の下で~“フクシマ”を想うとき~」 http://www.youtube.com/watch?v=5NF-T4L-4Kw&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw
秋のすくすく畑
2013.11.01今日から11月です。10月中も、すくすく畑は自然の恵みをたっぷりと与えてくれました。夏野菜はほとんど姿を消しましたが、ミニトマト、パプリカ、ナスは10月いっぱい粘ってくれました。トマトは熟成して甘みを増し、パプリカは赤、黄の色合いが鮮やかです。ナスはあえて肥大化させ、園で飼育しているスズムシのえさに重宝してます。
ツリーハウスが出来たおかげで、年長ばかりか年中、年少も頻繁に遊びに訪れます。春のお彼岸で出た大量のお供えの花も、半年以上が過ぎ良質な堆肥に生まれ変わりました。黒柴犬クウも毎朝畑を飛びまわり、堆肥の基になるお土産をちょこちょこ残してくれます。年中さんは玉ねぎやイチゴの苗植えをして、来年6月の年長時に収穫するのを楽しみにしております。年長は大きな栗をいっぱい拾いました。年少さんはサツマイモをどんどん掘り上げ、その場でホイル焼きにして食べました。
現在は畑一面に、大根がすくすく生長しています。昨年は日照りにやられて発芽率が悪かったのですが、今年は8月末雨が続き、そのおかげで200本以上が順調に生育しています。1か月後、年長園児全員からでかいのを1本ずつ自宅に持ち帰ってもらいます。また、キャベツも丸まるまでもう少し。年長から収穫したてを生かじりしてもらおうと思います。有機無農薬栽培を10年続けると、虫の被害がほとんどなくなるのを実感しています。すくすく畑、11月もよろしく!
アンパンマン
2013.10.1512日の「うさぎの秋まつり」で、アンパンマンのダンスを先生達が踊ったばかりですが、そのアンパンマンの生みの親であるやなせたかしさんが、13日に94年の生涯を閉じました。ご冥福をお祈りいたします。以前「園長のつぶやき」で、アンパンマンの歴史と作者の思いについて紹介したのですが、今回やなせさんの訃報を聞き、改めて掲載させていただきます。(長文すみません)
『テレビや新聞で取り上げられたのでご存知の方も多いと思いますが、昨年(2008年)、アンパンマンは、その原形が生まれて4…0年、テレビアニメ化されて20年の節目を迎えました。
元々は、漫画家やなせたかしさんが1986年に発表した、大人向け連作童話の一遍だったそうです。最初は大人のヒーローで、頭部も普通の人間でした。ただし、空腹の人のところにパンを届けるという骨子は同じでした。
5年後に子ども向けに絵本にした時に、あんパンのキャラクターに変えたところ、次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到するようになりました。読者の中心である子ども達に合わせ、アンパンマンの体型も初期作品の8等身から3等身へと変わります。
絵本がシリーズを重ねていくに伴い、アンパンマンの仲間や敵のキャラクターが増えていきました。当初はアンパンマン1人だったのが、続編でしょくぱんまんやカレーパンマン、「話をおもしろくするための敵役」としてバイキンマン、さらに「1人じゃかわいそう」と仲間のドキンちゃんを生み出しました。「パン食が増えているのは、農協に申し訳ない」(やなせさん)と、おむすびまんを加える気配りもありました。
1988年にアニメとして放送されることが決まった時、プロデューサーがやなせさんにこう持ちかけたそうです。「顔をちぎって誰かにあんパンを与える場面はグロテスクだ。どこか別の場所から取り出すことにしたい」。
これに対し、やなせさんは拒否しました。「自分もおなかいっぱいじゃないのに、困っている子ども達にパンをあげる。人が正義を貫くときは、痛みを伴うということを表したものだ」と。また、アフリカ等でたくさんの子ども達が飢えで苦しんでいることに対しても、特別な思いがあったそうです。「自らが傷ついても他人を助ける」、底流にはやなせさんの信念が横たわっています。
さて、おなじみのアンパンマンの歌ですが、この歌詞は本当にすごいですね。
「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱い心燃える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ 胸の傷が痛んでも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため
何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ! 忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君は飛ぶんだ どこまでも そうだ 恐れないで みんなのために 愛と勇気だけが 友達さ ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため
時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ どんな敵が相手でも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため」
「何のために生まれて 何をして生きるのか」。この哲学的な歌詞を、子ども達は何気なく口ずさむのですが、現代の若者は、自分が生まれてきた目的がわからず、日々もがいているような気がします。そして、凶悪な犯罪に走ってしまう者もいるのですが、アンパンマンの単純なストーリーや歌の中に、もしかしてその答えが見つかるのかもしれません。
やなせさんは言います。「子どものころから、自分は何のために生まれてきて、何をするのかを考えていれば、ある時点で、人生の方向をはっきりとつかむことができるんです」と。
これからもアンパンマンは、子ども達のヒーローであり続けるのでしょうね。』
「研修の成果」って?
2013.10.15(若草リレーブログより転載)
園長です。今日は幼稚園を臨時休園させていただき、天真幼稚園の公開保育&全体研修会(酒田地区私立幼稚園連合会主催)に参加しました。他の園の保育を見ることは普段なかなかないので、本当に貴重な機会です。天真さんの保育の様子で、自園にも取り入れたいことなど気づきがたくさんあり、うちの先生達、皆熱心に勉強してました。講演会も充実した内容で、非常に刺激を受けました。
最後に、「今回の研修の成果を、我が園の保育に活かしていきたいと思います・・・」と書けばそれで終わりですが、「研修の成果」って、いったいどうやって把握できるのだろうか?と時々思います。以下は、昨年度の「鳥海」(酒田地区私立幼稚園連合会発行の研修報告集)に寄せた文章です。
「今年度の教育研究会の活動、お疲れ様でした。様々な研修がありましたが、皆さんしっかりと身に付かれたでしょうか?よく、先生達の研修後の感想文に、「研修の成果を保育に活かしていきたい」とありますが、成果ってどうやって把握するのでしょうか?
成果には、数値化できるものとできないものがあります。数値化できるものとして、従事する仕事の実績の変化があります。例えば営業マンを対象にセールス・スキルに関する研修を行います。 その後営業マンの売上実績が、 研修を境にして向上し、本人も「研修で学んだことが役にたった」 という認識を持てば、 研修は成果があったと言えます。
一方数値化できないものは、態度や意欲など、人の内部の意識から来る変化です。「人間がどのように変わったか?」ということを、数値化することは困難です。幼稚園の先生達の場合もこちらに当てはまるでしょう。
しかし、例えば研修後に、自分が幼稚園教諭として更にやる気に満ち向上心に溢れ、保育の現場で、具体的に研修内容を活用する方法を理解しているのであれば、それは成果があったと言えるかもしれません。しかしそれだけでは不十分です。主観的に把握するだけでなく、客観的に把握されなければいけません。それは職場の上司、同僚であったり、保護者であったりしますが、何よりも、子ども達から把握されなければならないのではないでしょうか。子ども達は無意識のうちに、教師を判断し、評価し、把握しているのです。
その意味で、成果とは本当に根気がいるものであり、先生達の日々の努力、そしてそれを取り巻く人々の客観的裏付けによって、初めて獲得ができるものなのです。」
「おかえり」
2013.10.09 (フェイスブックより転載)
保護司になって10年が経ちました。罪を犯して服役した後、出所した人を一定期間保護観察します。「おかえり」は、なかなか難しいですが、人生はやり直しの連続です。4年前に書いた文章ですが、N君のことは時々思い出します。
「対象者N君の死」(「園長のつぶやき」2009-7-15より)
…
先日、N君のお母さんから電話があり、息子のN君の死を知らされました。私は驚きで声も出ませんでした。なぜなら、その前日、N君のお母さんの家を訪ね、N君が他県で元気で働いていることを聞いたばかりだったからです。ここ数年、N君とは会うことも電話で話すこともなかった私ですが、なぜかその日、ふとN君のことを思い出し、お母さんに近況でも聞こうと訪問したのでした。その翌日、N君は心筋梗塞のような発作で倒れ、そのまま意識が戻らず亡くなったそうです。「虫の知らせ」と言いますが、私はN君からの何かしらのメッセージを受け取ったのかもしれません。
私は、6年程前から保護司を務めています。犯罪を犯して刑に服した人が、出所してから、社会で更生できるようにサポートする役割です。刑の重さにより保護観察期間は長短ありますが、短いので数ヶ月、長くなると数年間にわたり、1ヵ月に1~2回会って、真面目に生活しているか、きちんと遵守事項を守っているかなどを確認し、保護観察所に報告します。保護観察する相手のことを対象者といい、時には対象者からの相談に乗ったり、対象者と親族間で人間関係がうまくいってなければ、その仲介をしたりします。
N君は、私が保護司になって初めての対象者でした。当時30代前半、覚せい剤使用等の罪(2度目)で、数年間服役して出所してきました。会って話してみると、素直で優しそうな感じで、とても犯罪を犯すような印象ではありませんでした。事件の詳細やその背景を探ると、友人からの誘いにずるずるとはまり、薬物依存になってしまった結果でした。薬物事件は再犯率が非常に高く、彼も一度失敗しています。彼が今度こそ薬への依存を断ち切れるか、それが私の懸念でした。
N君本人も十分に反省し、もう二度と犯罪を犯すことはしないと私に誓いました。やはり刑務所での生活には戻りたくないという気持ちが強いだろうし、家族に迷惑をかけた分、その償いもしなければという思いもありました。
私も保護司として初めてのケースであり、何とかN君の更生の役に立ちたいと強く思いました。まずは、彼が地元で生活していくために、仕事を見つけなければなりません。ハローワークに一緒に行き、彼が以前やっていた鳶職の求人を探します。何社かあり履歴書を送るのですが、いぜ面接にこぎつけても、前科があるということが分かると、この不況の時代に採用してくれるところはなかなかありませんでした。私も一緒に知り合いの会社を訪れ、採用をお願いするのですが、いい返事はもらえませんでした。
仕事が見つからない間、N君からは時々、すくすく畑の作業の手伝いをしてもらいました。薬に依存した生活から刑務所の中での生活と、明るい日差しの下で健康的に毎日を送る機会が長い間なかったN君にとって、土や野菜、虫達に触れることは、かなりの刺激だったようです。採れたてのトマトやキュウリをガブリと美味そうに食べたり、堆肥作業でミミズやカナブンの幼虫を見つけ、歓声を上げていました。ナスをその場で焼いて食べさせると、「ナスってこんなに美味しいものなのですね」としみじみ呟くのものでした。また、森の山まつりの準備でも、運搬作業等を頑張ってもらい、最終日の反省会では少しながらお酒も口にし、周りの人と交流も持つことができました。もちろん薬への依存は、きっぱり断ち切っていました。
少しずつ社会に適応していき、ようやく鳶の仕事が見つかったと聞いた時は、私も嬉しく、ホッとしたものです。保護観察期間が終わり、晴れて自由の身になったN君は、県外にも仕事の口を見つけ、出稼ぎにも行くようになりました。私はもう心配いらないだろうと安心し、また、保護観察が終わったこともあり、その後N君との連絡は途絶えがちになりました。
それが何年もたってから彼のことを思い出し、自宅に近況を訪ねた翌日に、彼の死に直面するとは、本当に衝撃でした。N君の死を、私の潜在意識の中で予知し、こんな行動をとらせたのかもしれません。
しかし、死とは、今生での役割を終え本来の世界に戻っていくことと理解している私は、彼の死を悲しむというよりも、彼がこれまで何を成し遂げてきたかということを考えました。彼のお母さんから、仕事場では一生懸命真面目に働き、同僚からも信頼されていたということを聞き、彼は十分に更生したのだなと確信しました。早すぎる死でしたが、彼はこの世の生を全うし、本来の世界に帰っていったのだと思います。
N君との出会いから、その後5人の対象者の保護観察を行いました。薬物や窃盗、傷害などいろんな犯罪を犯してきた者に会いましたが、彼らの更生にかける思いは真剣なものです。なかなか難しいことですが、底辺からはい上がり、更生しようと努力している者もいるのだということを、社会からも理解いただきたいと思います。
初めての対象者、N君の死を通して、いろんなことを考えさせられたこの頃でした。」