酒田市巡回駅伝(「若草リレーブログ」より転載)
2013.09.139月8日は、恒例の酒田市巡回駅伝が行われ、若草からはPTA・OBの2チームが参加しました。今回で5年連続の出場となります。2チーム合計24名のメンバー、そのほとんが現役の保護者または保護者OBです。上の写真は、PTA・OBそれぞれのチームの同じ区で走るメンバーの2ショットです。皆さん走る直前で、内心はとても緊張しながらも、まだ余裕の表情です。
でも、走り終わると・・・・
こんな風になるのです。たった3キロから5キロなのですが、その分ペースはマラソンなどよりもだいぶ速くなり、短時間ながらかなり自分を追い込んでしまいます。だから、襷をつないだ直後は、ホッとすると同時に力尽きてしまいます。まあ、回復も早いですが。
そして、すべての走者が走り終えれば、もう後は笑顔のオンパレード。実はトップから30分以上離されると、その時点で襷が切れ繰上げスタートになるのですが、過去何度もその経験をしている若草チームなので、プレッシャーもけっこうあるのです。でも今回は2チームとも襷が無事につながり、みんな達成感でいっぱいです。それどころか、毎年最下位争いをしている2チームですが、今回はPTAチームが2部部門の7チーム中堂々の3位(1部は学区チームでレベルが高い)。閉会式で賞状と盾をいただき、思わぬご褒美でした。左下の写真は、5回連続出場で記念のメダルを貰った加藤選手と佐原選手。やはり継続は力ですね。
駅伝なんてハードルが高くてとてもとても・・・と思う方もいると思いますが、参加しているお父さんたち(お母さんも)は、過去にメタボ体型だったり、運動なんかほとんどしたことがなかったりなど、皆さん中年になり自分の健康に不安になり走り始めたという人が多いのです。今回走った選手で、過去に120キロの体重を誇った(?)方もいるぐらいです。あるお父さんからは、「健康診断の数値がすべて改善した。走るようになって本当に良かった!」との嬉しい報告がありました。
タイムも速い人もいれば、遅い人もいる、それでいいのです。みんなでカバーし合えばいい。走っているうちに、汗をかく気持ちよさを知り、大会に恐る恐る参加してみる、襷をつなぐことの意味を知る、やってよかったという心境になるようです。
また、2チーム合計24名の大所帯なので、選手の搬送や写真の撮影など、サポートの役割を担うメンバーにも今回はとても助けられました。皆が自分の役割を全うし助け合って頑張った結果なので、ゴール後はとても清々しい気持ちになりました。反省会も盛り上がったのは言うまでもありません(笑)。
若草幼稚園のPTA活動の根幹には、「大人が輝けば子どもも輝く!」という理念があります。駅伝に限らずどんなことでもいいから、大人が情熱を持って何かに取り組む姿勢を見せれば、子どもはその背中を見て自らが輝くきっかけになるのだろうと思います。
メンバーの皆さん、お疲れさまでした! 興味を持った方、一緒に走りましょう!
お茶しませんか
2013.07.24(フェイスブック-7/23-より転載 )
昨日22日は幼稚園の1学期終業式だったのですが、教頭先生に式のことはお願いして、私は南三陸の仮設住宅へ行茶、傾聴活動に行ってきました。庄内の曹洞宗の若手僧侶達が、震災直後から現地でボランティア活動を行っており、2年以上が経過した今でも、毎月被災地へ赴き、住民の方々と交流を深めています。私は若手ではありませんが、彼らの情熱、行動力には素直に頭が下がり、自分も時々仲間に入れてもらっています。
今回は南三陸の歌津地区の6ヶ所の仮設住宅を、3班(計11名)に分かれ、午前と午後そ…れぞれ訪問してきました。お坊さんだけでなく、寺族の会(お寺の奥さん達の組織)の方々も一緒だったので、前回私が参加した時よりも華やいだ雰囲でした。
行茶とは、仮設住宅の皆さんにお茶やお菓子をふるまうことで、そこで皆さんの話し相手になることが傾聴です。集会所に10名前後の方々から集まっていただき、和やかな雰囲気の中で世間話をしました。寺族の皆さんが持参したナスやきゅうりの漬物が好評で、そのせいか地元の野菜談義に花が咲きました。私も畑の話は得意分野なので、傾聴でなく自分が率先してしゃべってしまったようでした(笑)。
津波に関しては、皆さん淡々と話していました。印象的だったのは、90代のお婆さんの話でした。過去において2度の津波(1933年の三陸津波、1960年のチリ地震後の津波)を経験したことで、「大きい地震の後には必ず津波は来る、ゆれが治まっても絶対に戻ってはだめだ」という教訓を守ったそうです。しかし多くの住民が、地震と津波の間のタイムラグを軽視して、自宅に戻り犠牲になってしまったということでした。長い人生で「経験がものを言う」ということをまざまざと感じました。
また、逃げる時に何を一番に持っていったかという話に、年配の方々は、財産よりも亡き夫(妻)の位牌だったと答えていました。夫の位牌を置いてきてしまったご婦人は、「今でもそれが悔やまれる」としみじみ話していました。形はなくても、自分が一番心を寄せた存在の証が、何よりも大切なのです。震災から2年以上が過ぎ、皆さん淡々と話す姿から、身内を亡くした悲しみを乗り越えつつあるのかと思いました。しかし、以前に訪問した際(私は参加せず)、一人のお坊さんが御詠歌を唱えた時、その詩と調べに、その場にいた住民の方々は号泣したそうです。
最近は、新たな居住地に移る人も出てきて、去る人、残る人それぞれの葛藤もあり、仮設住宅のコミュニティの存続も問われています。また、雇用の確保や老後の生活の不安等、様々な問題を抱えているのが被災地の皆さんの現状です。
私自身は中途半端な関わりしかできませんが、今後も、できる範囲で活動を続けていきたいと思います。庄内の若手僧侶のこれまでの活動に敬意を表すると共に、活動の一端も紹介させていただきます。もし良かったら下記をのぞいてください。
http://blog.goo.ne.jp/sugarsoul44822
デジャブ
2013.07.24(フェイスブックより転載)
1週間ほど前、昼食後にホールでサッカーに興じていた年長の子ども達。かもめ組VSかなりや組は、惜しくもかなりやが負けました。そして、悔しくなったY君は、大粒の涙をこぼすのでした。それが上段の写真です。その顔を見て、(この顔と状況、前に見たなあ~)と思った私。思い当りました!7年前に兄のK君も、同じようにサッカーで負けて泣いたのでした。それが下段の写真です。
この写真は、たまたま若草HPの「子どもの名言」(https://wakakusayouchien.com/quotation/559.html)に掲載した写真です。その時の文章は、
(タイトル「立つんだジョー!」)「12月12日、雨上がりのグランドでサッカーに励む年長達。この日はかもめ組がかなりや組を大差でリードしていました。途中4点差が付いたところで、K君が悔しさのあまり泣き出しました。
悔しさを素直に表すところも彼のいい部分ですが、私が「試合中に泣くな!頑張ればここから逆転できるぞ!」と叱咤激励しました。そこからのK君の奮闘ぶりがすごかった。グランドを走り回り、1点差まで詰め寄る活躍を見せました。
結局負けましたが、試合後はすがすがしい表情のK君でした。(肝心のその写真は撮ってなくてすみません。) 」
やっぱり兄弟ですね。7年間の時を超え、デジャブ現象を体験しました。しかも同じかなりや組だ。季節は違うけど。
兄の背中を追え!Y君。
2年前の記事「被災地での供養」(寺報第34号より)
2013.07.037/3付けの「PTA会長の寝言」で、16歳で亡くなった太郎君(仮称)の死について松田会長が言及されています。その中で、私と会長との間での「死」についてのやり取りが記されています。私は2年前に寺報「境内と園庭」で、津波で亡くなった親子について、そして「死」について書かせていただきました。こちらで再掲いたします。
『五月に宮城県のある被災地へ、津波で亡くなった方の供養に行ってきました。その方が酒田出身ということで、全くの偶然で私に供養の依頼があったのですが、現地へ行ってみると、親族の方で私と旧知の方もいらっしゃり、非常に縁を感じました。
供養の依頼をいただいたTさんはまだ若い男性で、今回の津波で奥さんと生後半年のお子さんを失ったのでした。結婚して二年も経たぬうちに、最愛の伴侶と一粒種を亡くすという事実は、本当に痛ましく、遺族の方々の慟哭の中で、静かに読経させていただきました。
テレビや新聞の報道では、被害の甚大さはある意味ひとくくりにして語られることが多く、見ている我々も、一つの大きな災害として感じてしまいます。しかし、今回現地に行き、被災された方々それぞれのご不幸があり、深い悲しみがあるのだということを、改めて実感しました。
今回火葬場に立ち会ったのは、奥さんの供養のためでした。実は、お子さんはまだ見つかっていなかったのです。二人を一緒に見送れないTさん達遺族の胸中を思うと、言葉もありませんでした。しかし、二人の魂は間違いなく一緒にあり、安らかな本来の世界へ共に旅立つところであるということは、私が言わなくてもTさんも理解していると感じました。
このような時に僧侶の私が、付け焼き刃的な仏教の話をしても慰めにもならないだろうし、遺族の方々に、元気を出してとか、早く立ち直ってというようなことは言えません。今は悲しみの時だし、何をおいても、深い悲しみに沈むべき時なのだと思います。
結婚してわずかで、そして生まれてすぐに逝ってしまった奥さんと子ども、この二人には、これからまだまだ大きな、様々な可能性があるはずでした。でも、それらが奪われたからといって、二人の生が無意味だったのではありません。
奥さんは、Tさんと出会うまでの、そしてTさんと結婚してからの短いながらも幸せな人生がありました。その過程で関わったたくさんの人々に影響を与えてきました。お子さんは、この世に生まれてくることで、親になる喜びを両親に与えてくれました。半年間、お父さんとお母さんに大切に育てられる中で、反対に二人を親として育ててきたのです。奥さんとお子さんはそれぞれの役割を果たしたことで、肉親や関わった人から受けた、あるいは与えた愛情や慈悲の心が、いつまでもずっと残り続けるのです。
私は、一人一人の人生とは、はるか昔から絶え間なく流れる海の水のようだと感じています。海の水は蒸発して雲となり、やがて雨や雪となって地上に降りてきます。そして地下水や川の水となって、再び海へと戻ります(今は、海はどうしても津波を連想してしまいますが…)。
水滴のような人間の生も、一度で終わるものではなく、長い歴史の中で、何度も生と滅を繰り返しているのではないかと理解しているのです。その一つの生で、何かの役割を持って生れてきて、その役割を果たして本来の世界に帰っていく。だから、そこに早い遅いはなく、幸、不幸もない。ただひたすら連綿と続く魂の成長の過程が、刻印され残されていくのではないかと…。肉体の死はあっても、命(魂)の死はないのです。
そして、肉親や親しい者同士の魂は、その流れの中で常に行動を共にし、役割を果たすべく、因果に従いながら精進しているのではないかと考えるのです。この関係をソウルメイトあるいは魂の伴侶と呼ばれることもありますが…。
「袖すり合うも他生の縁」の「たしょう」を「多少」と思っている人は多いのですが、正しくは「他生」あるいは「多生」です。道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは何度も繰り返された過去の生の縁によるものであるということです。
そう考えれば、Tさん一家はたとえ短い間だったとしても、夫婦としての幸せな時を過ごし、新たな命を授かった喜びを味わうことができたほどの「縁」は、「袖すり合う」どころか、過去に何度も関わって愛情を注ぎ合ったぐらいの深さで結ばれていたのでありましょう。
Tさんには、悲しみから立ち直るにはまだまだ時間がかかります。しかし、どんなに悲しくても、それでも人は生きていかねばなりません。それが遺された者の責任だからです。しかし、そこで歯を食いしばって悲しみに立ち向かうような生き方をするのではなく、深い縁で結ばれている二人の魂に、(またいつか会えるね)と語りかけるような気持ちで過ごしていけば、二人も今後のTさんの人生をずっと見守っていくことができるし、Tさんもその存在を身近に感じ、生きる糧となっていくのではないかと思います。
被災者それぞれに深い悲しみがあるように、生きる希望も被災者それぞれが持っています。復興に向けて踏み出していく動きを決してひとくくりに見るのではなく、一人一人の努力が集結していけるように、我々も応援していかねばならないと考えます。 』
手作りの木のおもちゃで有名な「いなほ幼稚園(千葉県市川市)」視察 記事をクリップする
2013.07.02(フェイスブックより転載)
先週28日、酒田、遊佐地区の各幼稚園の先生達と一緒に、東京の幼稚園視察に行ってきました。午前は港区立白金台幼稚園を視察、そして午後からは、千葉県市川市のいなほ幼稚園に行ってきました。
このいなほ幼稚園に度肝を抜かれた!この幼稚園、最近テレビや雑誌などのメディアに取り上げられることが多いのですが、それはいわゆる山崎園長の存在。教育者であり経営者でありますが、同時に科学者であり発明家であり、茶人であり、デザイナーであり大工さんでもあるのです。
幼稚園内にプラネタリウムの設備があり、山崎園長が発明した科学のおもちゃもいっぱい(特許の関係で写真は撮れず)。茶室は自分で設計、工事し、園児に茶道を教える。無重力体感装置という不思議な遊具があるかと思えば、トラクターを改造して汽車ぽっぽも作り、園児を乗せて出発進行。園庭のモダンな大型遊具は、メーカーからの購入ではなく、自らデザインし鉄工所に特注して作る。焼き物の窯も園内にあり、親子の作品が所狭しと並ぶ。
テレビで紹介された「木のおもちゃ」の作りの精密さは驚異的で、すごいアイデアの数々。すべてオリジナルで、我々大人が夢中になるほど。釘の打ち方を訓練するものや、ハサミの正しい使い方を促すおもちゃも・・・。全部の作品が、子どもの興味、関心、育ちを考えて作られていました。フランスでも出展され大盛況だったそうです。
彼のような突出した才能がなければと思ってしまうが、山崎園長自身は理工系出身ではなく、独学でコツコツやってきたという。子どもにこんな体験をさせたいという思いのみで。
私達に次から次へとおもちゃを紹介していく園長の表情を見ていると、もう70才近い山崎氏の、自分の作品を見てほしいという少年の心そのままの、素直でまっすぐの気持ちが微笑ましく伝わってきました。
自分もあんな風に年をとりたい。すごい刺激を受けた視察でした。
若草リレーブログ(5/29)より転載「5月はいっぱい汗をかいた!」
2013.06.04今日は園長の番です。
5月ももう終わろうとしています。年長組にとっては、短期間に大きな行事が続きました。連休後の10日に遠足があり、20日に酒田祭りがありました。その間の15日のタケノコ掘りも含めると、10日間で3つの「いっぱい汗をかく活動」が続いたことになります。何かと慌ただしいですが、この力のかぎり頑張る活動を、私も一緒になって行うことで充実感に満たされます。
まずは遠足。年長は子ども達だけで羽黒山登山に挑戦しました。お父さん先生も何人か同行しますが、基本的に手は貸さず、子ども達を見守りながら共に頂上を目指します。今年は天気もよく絶好のコンディション。途中少しへばりそうになりましたが、おやつタイムでパワーを注入し、見事最後まで登りきりました。何年かぶりに外でお弁当を食べることができ、昔からある土俵の上で相撲大会も行いました。例年になく暑い遠足でしたが、その暑さが嬉しかったです。
タケノコ掘りは、お寺敷地にあるすくすく畑の竹林で行いました。顔を出したばかりの孟宗竹をせっせと掘り出します。孟宗と言っても山にあるものと違ってとても細いですが、子ども達にとって、根っこから掘り出すのはとても手ごわい作業なのです。それでも何人かで懸命にシャベルを突き刺し、土をかき上げるうちに徐々にタケノコがグラグラしてきて、最後にグッととれた瞬間、皆で獲物をつかんで頭上に掲げます。その顔がとても誇らしくて微笑ましいです。採ったタケノコは、すぐに炭火でホイル焼きにして食べます。新鮮で美味しく、あっという間になくなりますが、後からえぐみ効いてきてのどがイガイガしたりします(笑)。
そして最後の酒田祭り山車行列。今年は「パイレーツ・オブ・ワカクサン」ということで、大人も子どもも海賊に扮しました。子ども達は手作りの海賊衣装、バンダナ、そして短剣、ばっちり決まってます。保護者も有志のお父さん達が本格的な衣装に身を包み、雰囲気を盛り上げてくれました。「わっしょい、わっしょい!」と声を出しながら力いっぱい山車を引っ張り、沿道からの応援を受けて更に熱が入ります。卒園生の飛び入り参加もどんどん増えてきて、最後は一大集団となって見事ゴールしました。かなりの距離を歩きましたが、子ども達は晴れ晴れとした顔でした。裏方で支えてくれたお父さん、お母さん達に感謝の気持ちでいっぱいでした。
年長園児にとって、この5月はきっと思い出に残る月になったことでしょう。一人ではとても継続が難しくても、友だちと一緒になって頑張ることで、最後までやり遂げることができることを身をもって実感した月だったと思います。でも、サポートしてくれた保護者、先生達のことも忘れないでくださいね。子ども達のひたむきさに感銘を受け、我々大人も年甲斐もなく(?)頑張ることができました。その相乗効果はすごい!まさに「大人が輝けば子どもも輝く!」、「子どもが輝けば大人も輝く!」でした。
考えてみればまだ5月末、新年度は始ったばかり。大人も子どもも、まだまだいっぱい汗をかこう!
「キッチンオーケストラ」(うさぎの春まつり参加者へ)
2013.05.2725日のうさぎの春まつり(未就園児親子の遊びの場)に参加していただき、どうもありがとうございました。天気もよくさわやかな日でしたね。このイベントを通して、たくさんの子ども達と会うことができるのが楽しみであります。皆さん楽しんでいただけたでしょうか。
最後に、先生達で「キッチンオーケストラ」という曲を踊りました。台所用品を使っての演奏(?)はいかがでしたか?普段の先生達は、キッチンでいつもつまみ食いばかりしているようです(笑)。
でもキッチンの主役は、やはり食材。これからの季節、いろいろな旬の野菜が登場しますね。うちの園でも、先日年長組が夏野菜の苗を植えました。お寺の裏側にある広い「すくすく畑」で、30種類以上約500個の苗が暖かい日差しを受け、日々生長しています。
子ども達も随時苗の様子を観察しますが、細かい維持、管理作業は園長の仕事。毎朝畑に出て、土にまみれています。少々しんどいですが、とても気持ちいいです。6月には早くも、昨年植えた玉ねぎやいちごの収穫が始まります。また、きゅうりやズッキーニも6月からどんどん収穫できるでしょう。昨年子ども達に一番人気だったのはアイスプラント。葉っぱが地を這うようにアメーバ-状に伸びてくる珍しい野菜ですが、これを生、またはしゃぶしゃぶにして食べると美味しいのです。7月の夏季保育までには、トマト、パプリカ、ジャガイモ、とうもろこし、かぼちゃなど、たくさんの夏野菜が収穫を迎えます。今から本当に楽しみです。
すくすく畑の野菜は、「収穫したらその場で食べる」、これが基本です。そのためにバーベキュー道具、調理用品は欠かせません。だから畑でも、「キッチンオーケストラ」はいつも奏でられているのです。皆さんも、一度すくすく畑を見に来てください。
ということで、次回の夏まつりもお待ちしております。
「温海さくらマラソン」(若草リレーブログ4/23より転載)
2013.04.30園長です。一昨日は温海のさくらマラソンに参加しました。実は、まだ両足の太ももの裏側が筋肉痛で、歩き方がぎこちないです。私にとって、このさくらマラソンのジャイアントコース(30キロ)が、一番きついコースです。今まで何度も参加していますが、まともにしっかりと走れたことは数えるほどです。リタイアしたことはありませんが、前半で走力を使い果たし、最後はひたすら歩いてゴールにたどりついたことが何度もあります。
フルマラソンよりもきついと言われるこのジャイアントコース、なぜそう言われるか、それは何と言っても2つの山越えがあるからです。標高100メートル以上と200メートル以上の2つの峠があるのですが、これを何とかクリアして、ようやく最後の10キロの下り坂に挑みます。ですが、この下り坂の地点では、もう足が棒の状態になりつつあり、後はゴールまでどう足を持たせるかの戦いになります。
過去に何度も苦い思いをしているので、今回はスタートからの入りをかなりのスローペースに抑えていきました。もう40代後半になり、タイムや順位には昔ほどこだわりがありません。ゆっくりでもいいから、一定のペースで最後まで走り続けることができればとの思いでした。
雨が降り続き、さらに山頂付近では雪まで落ちてきて、寒さに耐えながらのレースでした。給水所でお湯を飲み、手にも湯をかけて温めての繰り返しでした。最初にスローペースで行ったおかげで、最後の10キロの下りにかかっても、ガクッとペースが落ちることはありませんでした。ただ今回減量には失敗し体重5キロオーバーで臨んだため、支える両足がどんどん重くなっていったのは言うまでもありません。完全に準備不足です。何でこんな苦しいことやっているんだろうと思いながら、1キロごとの表示「ゴールまで後○キロ」を目標に、フラフラ走り続けました。一度立ち止まったら、再び走りだすことはできないと、心の中でわかっていました。
ゴール地点では先にゴールした仲間や、10キロに参加したメンバーが待っててくれ、すごい形相でゴールした私をねぎらってくれました。ゴールした瞬間、棒の状態の足はマヒしたようになり、ロボットのような動作でカクカクしながら歩くしかありませんでした。完走証をもらい、ようやくレースが終わったと実感し、ホッとしました。
今回も厳しく、つらいランでした。が、きっとまた来年も参加するんだろうなあと思います。やっぱりゴールした後の達成感や爽快感は何事にも代え難いし、その日の反省会で仲間達で飲むビールの美味しさも捨てがたい(笑)。何よりも普段の練習を通じて、体力強化にも役だっています。マラソンって人生そのもの。コツコツとマイペースで行く道のり、乗り越えねばいけない山もあり、寒かったりくたびれたり、いろいろつらいけど、仲間と励まし合い、ゴール目指して頑張る。人生はリタイアできないですからね。
ただ、もっと準備をしっかりしないととダメだな。6月にはおしんレースがあるので、後2ヶ月、きっちりと準備するぞ…??
佐藤初女さんの「森のイスキア」
2013.04.22今週16日、青森県の岩木山の山麓にある「森のイスキア」という施設を、永平寺時代の修行仲間3名で訪れました。まだ周りに大分雪が積もっているその施設は、佐藤初女さんという方が、悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場として長年運営されています。以前に初女さんの著書「おむすびの祈り」を読み、また龍村仁監督の『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番』で初女さんが出演されている映像を見て大変感銘を受け、一度お会いしたいと思っていたところ、今回その機会に恵まれました。
初女さんは今年92才になりますが、耳が少し遠いぐらいで、大変お元気です。「遠い所からよく来てくれましたねえ」と私達を手厚く迎えてくれました。敬虔なカトリック信者である彼女は、たくさんの悩める人々を救ってきた歴史があり、「日本のマザーテレサ」とも言われています。自殺願望が強…い人がこの「森のイスキア」に来て、彼女と話しているうちに元気になって帰っていったという例が数多くあります。
その秘密は「食」なのです。彼女は悩める人が来た時に、自らが作った食事を提供するのです。手間をかけて作った心のこもったものを一緒に食べているうちに、今まで頑なに心を開かなかった人が、ポツポツと自分の境遇を話し出すそうです。
「私は何も説得したり、解決しようとしたりはしません。ただ話に耳を傾け、一緒に食べます。最初全くしゃべらなかった人でも、徐々に悩みを打ち明けてくれます」と、初女さんは言います。
私達にも手作りの食事を出してくれました。一品、一品がとても美味しくて箸が進みました。特に自家製の梅干しが入った温かいおむすびは、「おむすびの祈り」を読んでいたせいもあり、味わいながら心に沁みました。その日は施設のスタッフの方々も交え、夜遅くまで和やかにお話しました。翌朝帰る私達に、初女さんはまた温かいおむすびを3個ずつ持たせてくれました。
『食は「いのち」だと昔から思っています。その後、「科学」でもあり「物理」でもあると理解しました。そして今は、食は「哲学」だと思うようになりましたうようになりました』。初女さんの言葉が印象的でした。
佐藤初女さん、ありがとうございました。
ワクワクする「すくすく畑」 (若草リレーブログ3/25より転載)
2013.04.22 園長です。彼岸も過ぎ、ようやく暖かい春がやってきました。この時期一番ワクワクするのは、畑作業の段取りを考える時です。雪に埋もれていた土がむき出しになり、「さあ、早く耕して!」と催促してるようです。
前年に植えたいちごや玉ねぎの苗が、冬の厳しさに耐えて小さな姿を元気に見せてくれます。多年草のハーブ(ミントやフェンネル、コモンタイムなど)が、ここから勢力を盛り返そうと、ちっぽけながらも自ら広がり始める気配が感じられます。
まずは明日26日、春彼岸で出たお供えの花の粉砕作業があります。これはシルバー人材センターの方々から協力いただきますが、幼稚園のプレイスクールの園児たちからも手伝ってもらいます。お供えの花はビニールに包まれたり、ゴムで巻かれたりしてますが、これらは有機肥料にならないので、ハサミでそれらを切って取り除いてもらうのです。
そして大量の花を、機械にかけて次々に砕いていきます。米ぬか、鶏ふん、油かすなどもこの時点で混ぜます。また、昨年秋彼岸で作った堆肥も、この時にすくすく畑に運びます。半年経って、良質な堆肥に生まれ変わっています。
30日の土曜日は、お父さん達から集まってもらい、その良質な堆肥を畑一面にすきこんでもらいます。かなりの重労働ですが、みんなで汗をいっぱいかいて、土と格闘しながら頑張ります。土の匂いを感じると、人間はやはり自然と一体なのだなあと清々しい気持ちになります。お父さん達同士も、汗にまみれ、土にまみれ、堆肥の臭さにまみれ、でも笑顔で声を掛け合います。
だからすくすく畑は、一番ワクワクするのです。