山形県 酒田の幼稚園『若草幼稚園』です。
園内の様子や入園のご案内の情報をご紹介します。

幼稚園 〒998-0037 山形県酒田市日吉町1-4-34
TEL 0234-22-2132 FAX 0234-22-9740

ベビールーム 〒998-0062 山形県酒田市北新町1-1-58
TEL 0234-25-5191 FAX 0234-25-5192

前園長ブログ

カテゴリー: 日記

レッツゴーおとうちゃん!

2009.11.02

 昨日は、悪天候にも関わらず、「うさぎの秋まつり」においでいただきありがとうございました。親子で楽しんでいただけましたでしょうか?

 最後に披露した先生達の踊り「レッツゴーおとうちゃん!」では、保護者も含めた世の中の頑張るお父さん達へ、メッセージを送りました(そんな大げさな…(笑)。若草幼稚園のHPに、踊りの様子の動画をUPしています!)
 
 若草幼稚園のお父さん達も、「レッツゴーおとうちゃん!」と同じように、仕事に家族サービスに日々頑張っています。それだけでなく、さらに幼稚園の活動にも積極的に協力してくれる「スーパーおとうちゃん」達が多いです。

 そんな頑張るお父さん達の一例として、「チーム若草幼稚園」を紹介したいと思います。以前の「園長のつぶやき」でも何度か取り上げていますが、元々私が趣味で細々とやっていたトライアスロンに、数年前に保護者のお父さん達が数名加わりリレーチームを結成したことが始まりです。年々その数が増えていった結果、今年は6月のトライアスロン、10月のデュアスロンにそれぞれ30名以上の保護者(OB含む)が出場しました。さらに今年初の試みとして、酒田市巡回駅伝大会に年長組のお父さんを中心として12名が出場し、結果は最下位ながら、タスキを最後までつなぐことができました。タスキをつながなければというプレッシャーを感じながらも、だからこそ頑張るんだという気概を見せてくれました。

 30、40代の体力の低下を自覚する時期になり、また、「メタボ」のビールっ腹をつまみながら、「いっちょうやってみるか!」と決心したお父さん達が多いのですが、その相乗効果は大きいようです。「汗をかくことが気持ちいい、息切れしなくなった、体重がかなり減った、食事が美味い(ビールも)、子どもに頑張っている姿を見せることができた、何に対しても前向きにチャレンジできる」などなど、目標に向ってトレーニングすることで、様々な収穫があったことを報告してくれました。

 トレーニングは一人で黙々とやることが多いですが、大会ではチームして参加することで、メンバー間の結束、信頼感が養われ、終了後の充実感も一段と増したようです。大会(目標)に向ってトレーニング(努力)し、練習時間の確保や、故障、やる気の継続など様々な障害(試練)を乗り越え、当日は頑張り、家族の応援を受け(家庭)、チームメートにつなぎ(共同、人間関係)、ゴール(達成)することは、人生の縮図と言っても過言ではないでしょう(やっぱり大げさか…)。

 運動面だけでなく、若草のPTA活動においてはお父さん達の出番が多いのですが、それも、影に日向に支えてくれるお母さん達の存在があってこそです。それを忘れてはいけないと思います(私自身も)。

 仕事の疲れやストレス、家族への責任など、様々な重圧の中で日々生きているお父さん(お母さんもですが)にとって、若草幼稚園は、エネルギーを充電できる場でありたいと思っています。「子どもだけでなく大人も元気になれる!」、そんなパワースポットであり続けたいと願います。

 家族のサポートに感謝しながら、今後も「大人が輝けば子どもも輝く」を旗印に、保護者の様々な活躍の場を提示していきたいと思います。

 レッツゴー、おとうちゃん! 

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夜回り先生

2009.10.10

 昨日、文化センターで行われた教職員組合主催の講演会に行ってきました。講師は夜回り先生こと水谷修氏です。私は、これまで彼の著書を多数読んでおり、また、保護司として薬物犯罪の受刑者と関わるようになっていたこともあり、水谷先生の話を直接聞く機会を得られたことを大変嬉しく思いました。

 講演の冒頭から最後まで、ずっと話に引き込まれる状態で、本当に圧倒されました。
彼が、長年夜回り先生として、深夜に行動している「夜眠らない子ども達」を諭して回り、薬物や売春など未成年が陥りやすい非行の防止に努めるのにとどまらず、罪を犯してしまった若者達の更生にも全力を尽くす生き様を伺い、本当に感銘を受けました。話の内容は本に書いてあることも多かったのですが、間髪を入れずに、次々と様々な事例を直接私達に語りかける状況が、迫力を何倍にもしました。

 彼がこれまで受け取った少年、少女からのメールや電話は50万件を超えるそうです。彼はそれらに対して丁寧に対応し、メールや電話で励ましたり、時には直接会って彼らを夜の世界から救ってきました。でも、その中で死んでしまった子達も70人以上もいるということです。
 薬物中毒になってダンプに飛び込んだ少年、やっと更生できたのにエイズを発症し、やせ細って死んでいった少女、殺人を犯してしまった者、出産時に、薬物依存のため麻酔が効かず、心臓が持たず亡くなってしまった娘、そんな悲しくて切ない、生々しい出来事を、水谷氏は淡々と語っていきました。

 自らの睡眠時間も削り、病気と苦闘しながらも続ける夜回りや救出活動、何が彼をここまでやらせるのか?と思います。彼が言うには、地獄から救い人生のやり直しに向かうことができた少年、少女達から「先生、ありがとう」と言ってもらえることだと。「この感謝の言葉なしには、戦えない戦いである」という表現をされました。
 「人は誰かを幸せにするために生まれてきた」、水谷氏は若者に語ります。それを、立ち直った子ども達も理解すると同時に、水谷氏本人もそれを拠りどころにして戦っているのだと思います。

 私が保護司として、薬物犯罪の対象者と接している時、彼にこう尋ねたことがあります。「覚せい剤をまた使いたいという誘惑はあるの?」。彼はこう答えました。「あります。使用時のあの気持ち、感覚が突然フラッシュバックのように襲ってきます。もし手元にあればやってしまうかもしれません」。彼にとっては、覚せい剤を「完全にやめた」ということではなく、「その日一日使わずにすんだ」を繰り返して日々生きているのです。一生、薬の誘惑の恐怖から逃れることはできないのです。

 それほど恐ろしい薬物に対して、好奇心旺盛な若者がつい手を出してしまい、取り返しのつかない事態になる、これは何も都会だけの傾向ではありません。私もショックでしたが、水谷先生は断言しました。「この酒田でも、市内の学校の生徒から、薬物、リストカットなどの相談が自分の所に来ている、来てない学校は一つもない」。現代のような情報化時代では、田舎の素朴な少年、少女達という定義はあてはまらないのかもしれません。
 水谷氏は子どもを責めません。「このような世界を作ってしまったのは大人なんだ。薬を売るのも大人だし、少女の体を買うのも大人だ。我々大人が子ども達の不幸を作っているのだ」と。

 水谷先生の話の中で、世界の子ども達にアンケートした事例がありました。「一番居心地が良く、心が安らげる場所は?」。例えばシンガポールでは「家庭」と答えた子が80%で1位、2位が「学校」。他の国の子も「家庭」が一番多く、「学校」もベスト3に入っています。ところが日本では、「家庭」と答えた子は「14%」、「学校」という答えは5位以内にも入っていないのが現状なのです。
 一日の大半を過ごす学校は居心地のいい場ではなく、一番身近な存在である家族と一緒にいる家庭も、安らぎの場ではない。まさしく、子ども達の悲しみ、怒り、あきらめは、我々大人に責任があるのだということを思い知らされます。

 水谷先生は言います。「神社、仏閣などの宗教的施設では、子ども達は薬物を使う気持ちにはならないだろう、リストカットはしないだろう。なぜなら、古来からの伝統的なものに対して、子ども心にも多少の敬いの気持ちはある。だから、全国の宗教施設に対して、昼間、非行に走る子ども達に対して、建物をオープンしてもらうことを求めている」と。
 うちのお寺でも、時々、学校から連絡があり、校則違反を犯して停学になった生徒の受け入れをお願いされることがあります。私は彼らを出来る限り受け入れ、お寺の掃除をしてもらったり、坐禅を組んだり、畑作業を一緒にしたりしています。彼らの心の闇までは共有できませんが、何かに打ち込むことで、感じたり得るものがあればという思いでやってます。しかし、結局はその場かぎりの押しつけになってしまいがちです。そんな中、もっと効果的な方法があることに気づきました。

 彼らを、幼稚園の子ども達と触れ合わせることです。何の猜疑心もなく、大きいお兄ちゃんとして慕ってくれる子ども達と関わることで、彼らは思い出すのです。自分も幼少期に、何の屈託もなく遊んでいた時があった、じゃれ合った友だちもいた、けんかもしたけど仲直りできた、優しくいつも自分のことを心配して面倒を見てくれた先生がいた・・・。
 もちろん、すべての少年達がこのように思うわけはありませんが、思春期の自分の心を包んでいる固くて刺々しいカバーは、最初からあったわけではないことを実感できる場が、幼稚園だと思います。「人間は善き心を持って生まれてくる」、そこに戻ってほしいし、戻れるのです。

 夜回り先生の、自らを犠牲にして子ども達のために日夜努める行動力、気概、正直言って私には到底真似のできる事ではありませんが、お寺と幼稚園を運営している立場の者として、未来を担う子ども達のために、何か役に立てる事があるならばという気持ちは十分にあります。そんなふうに感じることができた講演会でした。主催者の皆さん、ありがとうございました。

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アンパンマン

2009.10.01

 今回の話題ですが、アンパンマンについて取り上げてみたいと思います。

 テレビや新聞で取り上げられたのでご存知の方も多いと思いますが、昨年、アンパンマンは、その原形が生まれて40年、テレビアニメ化されて20年の節目を迎えました。
 元々は、漫画家やなせたかしさんが1986年に発表した、大人向け連作童話の一遍だったそうです。最初は大人のヒーローで、頭部も普通の人間でした。ただし、空腹の人のところにパンを届けるという骨子は同じでした。

 5年後に子ども向けに絵本にした時に、あんパンのキャラクターに変えたところ、次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到するようになりました。読者の中心である子ども達に合わせ、アンパンマンの体型も初期作品の8等身から3等身へと変わります。

 絵本がシリーズを重ねていくに伴い、アンパンマンの仲間や敵のキャラクターが増えていきました。当初はアンパンマン1人だったのが、続編でしょくぱんまんやカレーパンマン、「話をおもしろくするための敵役」としてばいきんまん、さらに「1人じゃかわいそう」と仲間のドキンちゃんを生み出しました。「パン食が増えているのは、農協に申し訳ない」(やなせさん)と、おむすびまんを加える気配りもありました。
 
 1988年にアニメとして放送されることが決まった時、プロデューサーがやなせさんにこう持ちかけたそうです。「顔をちぎって誰かにあんパンを与える場面はグロテスクだ。どこか別の場所から取り出すことにしたい」。
 これに対し、やなせさんは拒否しました。「自分もおなかいっぱいじゃないのに、困っている子ども達にパンをあげる。人が正義を貫くときは、痛みを伴うということを表したものだ」と。また、アフリカ等でたくさんの子ども達が飢えで苦しんでいることに対しても、特別な思いがあったそうです。「自らが傷ついても他人を助ける」、底流にはやなせさんの信念が横たわっています。
 
 さて、おなじみのアンパンマンの歌ですが、この歌詞は本当にすごいですね。

 「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱い心燃える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ 胸の傷が痛んでも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

 何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ! 忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君は飛ぶんだ どこまでも そうだ 恐れないで みんなのために 愛と勇気だけが 友達さ ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

 時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ どんな敵が相手でも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため」

 「何のために生まれて 何をして生きるのか」。この哲学的な歌詞を、子ども達は何気なく口ずさむのですが、現代の若者は、自分が生まれてきた目的がわからず、日々もがいているような気がします。そして、凶悪な犯罪に走ってしまう者もいるのですが、アンパンマンの単純なストーリーや歌の中に、もしかしてその答えが見つかるのかもしれません。

 やなせさんは言います。「子どものころから、自分は何のために生まれてきて、何をするのかを考えていれば、ある時点で、人生の方向をはっきりとつかむことができるんです」と。

 これからもアンパンマンは、子ども達のヒーローであり続けるのでしょうね。

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くせになる踊り

2009.09.04

 今日は「踊り(私にとっての)」について話したいと思います。幼稚園ですから、子ども達はもちろん、我々教職員も何か行事があるたびに踊っています。先生たちは普段の保育で毎日のように踊っているし、それが仕事でもあるので全然不自然ではないのですが、私は、以前は本当に恥ずかしかったのです。

 何せ小さい時から体育会系で、男が踊るなんて「ヘッ」という感じで育ちました。大学卒業後は会社員として勤務し、その後坊さんになるため本山で修行して酒田に戻ってきたのですが、会社でも営業課は男ばかりだったし、本山でも200名の修行僧はもちろん全員男でした。

 それが若草で勤めることになったとたん、女性の中でもがく(?)ようになり、男性社会に慣れていた私には戸惑いの連続でした。中でも様々な場面で踊らなければならないことが、とても恥ずかしかったのです。やがて子どもの前では平気になりましたが、保護者がジーっと見ている前で踊るのは、かなり苦痛でした。

 しかし・・・、人間とは面白いもので、今では開き直って積極的に踊っています。やはり園長としての責任感(???)、いや、何よりも踊ることが楽しいのですね。子ども達と踊れば、みんなニコニコしてくっついてくるし、無邪気に元気よく踊る子どもからは、こちらがパワーをもらえます。

 また先生達との場合も、普段は一応(?)上司と部下の関係でも、一緒に踊ることで良き仲間のような雰囲気で、親しみやすい関係になります(向こうはそう思ってないかもしれませんが…)。

 そんなわけで、なかよしうさぎの祭りなどでは、かおる先生の考えた振り付けでみんなで楽しく踊っています。周囲によると、私の踊りは動きがどうも固いようです。柔軟性がないからですが、こちらが一生懸命踊れば踊るほど、笑われるのが逆に快感にもなってきました。

 先日は、全国的にも人気の「あきらちゃんとラーメンちゃん」の「遊びうたコンサート」(酒田市私立幼稚園研修会の場)に参加し、「はなまる温泉」(7月のうさぎの夏祭りでも披露)を飛び入りで踊ってきました。この曲の本家本元の前で踊るのはちょっと心配でしたが、大うけで、ブログにも動画をUPしてくれたほど褒めていただきました。やって良かったなあ。

 ますます図に乗る園長以下若草軍団。これからもガンガン新しい踊りをかおる先生に創作してもらって、子どもや保護者達の前で披露していきたいと思っています。(たとえ見たくなくても)

 あ~くせになりそう。

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夏バテに負けるな~ながらトレーニングのすすめ~

2009.07.22

 さて、今回は、体を鍛えるトレーニングについて、ちょこっと書いてみたいと思います。

 私は太りやすい体質で(よく食べ、よく飲むので)、普段から体を動かしていないとたちまち太ってしまいます。ベストは70キロぐらいなのですが、一時85キロまでいってしまったことがあります。これは、15年ほど前に、坊さんになるため福井県の永平寺というところで修行していた時に、60キロまで落ちたのですが、2年間の修行が終わって開放感にひたっているうちに、みるみる太ってしまった結果です。さすがに80キロを超えると、園児と鬼ごっこをしていても息切れするようになりました。

 そんなこともあり、ダイエットも兼ねてジョギングを始めたのですが、その後トライアスロンなどにも出場するようになり、トレーニング=汗をかくことが、私の趣味にもなりました。
忙しい毎日の中で、普段どのようにトレーニングの時間を確保しているかというと、やはり早朝ジョギングです。畑仕事や事務仕事などの雑務も朝に行うので毎日はできませんが、大体5時半ぐらいから1時間ゆっくり走ります。コースはその時の気分によって変えています。ただこのジョギングも、雨が降ったり、冬の期間など、恒常的に続けることは難しいです。

 そんなわけで、なかなかトレーニングを日課にするのは容易でないですが、私は自分なりにいろいろ試してみて、これがいいなあと思って続けているのが、「ながらトレーニング」です。

 それは、室内でのエアロバイク(ペダルをこぐマシーン)やランニング(ルームランナー)のトレーニングなのですが、ただ黙々とこいだり走るのでは飽きてしまいます。そこで、いろいろな要素を取り入れて一緒に行うのです。

 例えば、落語のCDを聞きながらのトレーニング、これはけっこう楽しく、ニヤニヤしながらペダルをこいでいます。外でのジョギングにも活用しており、すれ違う人は、さぞ気味悪いと思っていることでしょう。昔の名人の落語は、聞いていて味があります。

 また、テレビのスポーツ中継を見ながらのエアロバイク、特に日本代表のサッカーの試合は、アドレナリンが体中にしみわたりながら、超ハイテンションでペダルをこげます。得点シーンは、まるで自分がゴールしたような感覚で、バンザイしながらペダルを回します。マラソンや駅伝の中継も、自分が走っているように(勘違いし)、沿道の声援を一身に受けながら、ルームランナーの上でピッチを上げます。

 あるいは映画のDVDを見ながらのトレーニング、感動の涙は、汗と共に身体中を流れていきます。お勧めは「ロッキー」や「インディジョーンズ」、「小林サッカー」(古い・・・)。「おくりびと」はやめた方がいいと思います。

 しかし、私にとっての「ながらトレーニング」の最大の魅力、それは読書をしながらのエアロバイクです。本が好きで常に何がしかの本を読んでいたい私は、読書とトレーニングという相容れない両者を、ドッキングすることに見事に成功しました。

 ペダルをこぐ時、上半身がぶれないように注意しながら、本を持ち、ページをめくります。下半身はひたすら回転していますが、上半身は静かに優雅にページをめくりながら、感動を味わっています。汗がポタリと本に落ちないように、顔の真下でなく、斜め前方に本を位置し、姿勢をしっかりと保ちながら読書するのです。本のジャンルは問いません。心躍るアクションものから、胸を打つ悲恋ものまで、何でもエアロバイクのサドル上でストーリーは展開していくのです。このスポーツと文化の融合が、「ながらトレーニング」の最大の魅力であります。

 というわけで大分講釈が長くなりましたが、皆さんも是非「ながらトレーニング」を活用して、夏バテを乗り切ってはいかがでしょうか?

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対象者N君の死

2009.07.15

 先日、N君のお母さんから電話があり、息子のN君の死を知らされました。私は驚きで声も出ませんでした。なぜなら、その前日、N君のお母さんの家を訪ね、N君が他県で元気で働いていることを聞いたばかりだったからです。ここ数年、N君とは会うことも電話で話すこともなかった私ですが、なぜかその日、ふとN君のことを思い出し、お母さんに近況でも聞こうと訪問したのでした。その翌日、N君は心筋梗塞のような発作で倒れ、そのまま意識が戻らず亡くなったそうです。「虫の知らせ」と言いますが、私はN君からの何かしらのメッセージを受け取ったのかもしれません。

 私は、6年程前から保護司を務めています。犯罪を犯して刑に服した人が、出所してから、社会で更生できるようにサポートする役割です。刑の重さにより保護観察期間は長短ありますが、短いので数ヶ月、長くなると数年間にわたり、1ヵ月に1~2回会って、真面目に生活しているか、きちんと遵守事項を守っているかなどを確認し、保護観察所に報告します。保護観察する相手のことを対象者といい、時には対象者からの相談に乗ったり、対象者と親族間で人間関係がうまくいってなければ、その仲介をしたりします。

 N君は、私が保護司になって初めての対象者でした。当時30代前半、覚せい剤使用等の罪(2度目)で、数年間服役して出所してきました。会って話してみると、素直で優しそうな感じで、とても犯罪を犯すような印象ではありませんでした。事件の詳細やその背景を探ると、友人からの誘いにずるずるとはまり、薬物依存になってしまった結果でした。薬物事件は再犯率が非常に高く、彼も一度失敗しています。彼が今度こそ薬への依存を断ち切れるか、それが私の懸念でした。

 N君本人も十分に反省し、もう二度と犯罪を犯すことはしないと私に誓いました。やはり刑務所での生活には戻りたくないという気持ちが強いだろうし、家族に迷惑をかけた分、その償いもしなければという思いもありました。
 
 私も保護司として初めてのケースであり、何とかN君の更生の役に立ちたいと強く思いました。まずは、彼が地元で生活していくために、仕事を見つけなければなりません。ハローワークに一緒に行き、彼が以前やっていた鳶職の求人を探します。何社かあり履歴書を送るのですが、いぜ面接にこぎつけても、前科があるということが分かると、この不況の時代に採用してくれるところはなかなかありませんでした。私も一緒に知り合いの会社を訪れ、採用をお願いするのですが、いい返事はもらえませんでした。

 仕事が見つからない間、N君からは時々、すくすく畑の作業の手伝いをしてもらいました。薬に依存した生活から刑務所の中での生活と、明るい日差しの下で健康的に毎日を送る機会が長い間なかったN君にとって、土や野菜、虫達に触れることは、かなりの刺激だったようです。採れたてのトマトやキュウリをガブリと美味そうに食べたり、堆肥作業でミミズやカナブンの幼虫を見つけ、歓声を上げていました。ナスをその場で焼いて食べさせると、「ナスってこんなに美味しいものなのですね」としみじみ呟くのものでした。また、森の山まつりの準備でも、運搬作業等を頑張ってもらい、最終日の反省会では少しながらお酒も口にし、周りの人と交流も持つことができました。もちろん薬への依存は、きっぱり断ち切っていました。

 少しずつ社会に適応していき、ようやく鳶の仕事が見つかったと聞いた時は、私も嬉しく、ホッとしたものです。保護観察期間が終わり、晴れて自由の身になったN君は、県外にも仕事の口を見つけ、出稼ぎにも行くようになりました。私はもう心配いらないだろうと安心し、また、保護観察が終わったこともあり、その後N君との連絡は途絶えがちになりました。

 それが何年もたってから彼のことを思い出し、自宅に近況を訪ねた翌日に、彼の死に直面するとは、本当に衝撃でした。N君の死を、私の潜在意識の中で予知し、こんな行動をとらせたのかもしれません。
 
 しかし、死とは、今生での役割を終え本来の世界に戻っていくことと理解している私は、彼の死を悲しむというよりも、彼がこれまで何を成し遂げてきたかということを考えました。彼のお母さんから、仕事場では一生懸命真面目に働き、同僚からも信頼されていたということを聞き、彼は十分に更生したのだなと確信しました。早すぎる死でしたが、彼はこの世の生を全うし、本来の世界に帰っていったのだと思います。

 N君との出会いから、その後5人の対象者の保護観察を行いました。薬物や窃盗、傷害などいろんな犯罪を犯してきた者に会いましたが、彼らの更生にかける思いは真剣なものです。なかなか難しいことですが、底辺からはい上がり、更生しようと努力している者もいるのだということを、社会からも理解いただきたいと思います。

 初めての対象者、N君の死を通して、いろんなことを考えさせられたこの頃でした。

 先日、N君のお母さんから電話があり、息子のN君の死を知らさ…続きを読む

1ヵ月遅れのクラス通信

2009.07.03

 若草HPの「トピックス」のページの更新が、このところ頻繁に遅れます。トップページのオープニングショットの画像だけは、何とかリアルタイムでUPしていますが、子ども達の活動の様子を撮影した画像は、以前はその日にトピックスにUPできていましたが、最近は2,3日から時には1週間かかることがあります。保護者が楽しみに見てくれているのでできるだけすぐにUPしたいのですが、最近はいろいろな仕事も重なり、机に向かってPCを打つ時間が以前より大分減りました。

 そんなわけで、今回(6/30-7/2)東京出張が入ったので、往復の電車の中でまとめて更新作業を行いました。(この文章も帰りの電車の中で書いて(打って)います。)トピックスの1つ1つのページには、画像だけでは味気ないので、先生達のクラス通信をコメントとしてUPしています。そのコメントが、ここ1ヵ月全くUPできていませんでした。反省、反省…。

 先生達がほぼ毎日のように発行しているクラス通信、それを1ヵ月分コピーして、行きの電車の中で広げて打ち込みます。
 正直、(面倒だなあ)という思いは当然あります。でも、先生達が寝る間を惜しんで一生懸命手書きで発行するクラス通信は、それぞれのクラス名がタイトルであり(かもめ通信、かなりや通信…)、そのクラスの活動、思いが凝縮されています。どの通信も50号を超えており、保育日数で計算すると、ほとんど毎日発行されているのがわかります。そんな血と汗と涙(?)の結晶の通信を、是非皆さんに広く紹介したいという思いでこれまでUPしてきたので、「面倒だ」ということは言えません。

 通信を打ちこんでいると、1ヶ月前の活動が私の頭の中によみがえってきます。画像としてはすでにHPにUPしており、どんな状況かはもちろん把握できていますが、クラス通信を読み、それを打ちこむことによって、その時の子どもの状態、背景、先生の思いなどが表れ、写真だけのイメージにさらに深みを増してくれます。私が不在だった場合でも、通信を読み、打つことによって、あたかも自分も子ども達と一緒にその活動に参加している気持ちにさせてくれます。これは、ホームページを見て、我が子の姿を確認する保護者の方々も、同じような気持ちになるのではないでしょうか?

 ですから、打ち始めは少々面倒くさいと思っていても、だんだん気持ちがほのぼのしてくるこの「通信打ちこみ作業」は、人に任せない方がいいのかもしれません。最近は、山形市出張でも車を使わずバスで行き、この作業に没頭して、ちょこっと悦に入っています。園長の仕事ではないのではないか?と人には言われますが、園児と接する時間が少ないこの頃、先生達の通信を通して子ども達と触れ合うことができる機会は、ある意味貴重です。

 また、トピックスには行事や園外保育などの特別な活動の様子をUPすることが多いのですが、行事にかかわらず、クラスの日常の様子が掲載されているところが、クラス通信の面白さの一つでもあります。
 
例えば、クラスで生きものを飼育することになって、水の取り換えやエサの選択などで奮闘する子ども達の様子や、それに伴いいろいろな気づきを子ども達が得ていく過程を先生がきちんとまとめていく描写、あるいは、子どものふとしたつぶやきから、それをクラス全体の話題として取り上げ、集団としての力に発展させていこうとする取り組み、さらには、保護者からの手紙を紹介し、そこに先生なりの考察を加え、子どもの成長のしるしとして示していく様子など、非常に盛りだくさんであります。
 
子ども達の何気ない日常こそが、日々の成長を伝えていくクラス通信の目的、真骨頂であるのでしょう。できれば、こういった内容のものこそ、皆さんに紹介していきたいと思います。(でもやっぱり行事になってしまう・・・。今後の検討課題です)

 ということで、1ヵ月分の通信打ちこみ、ようやく終了しました。大変でしたが、とっても充実した電車の旅でした(???)これからもなるべく画像・コメントをためないように、頑張ります!

 若草HPの「トピックス」のページの更新が、このところ頻繁に…続きを読む

雨ニモアテズ

2009.06.11

 今回は、宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」をまず最初に紹介します。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 
慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ 
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ」

 こんな人になりたいと思いますが、難しいですね・・・。でも努力はしたいです。

 次は、そのパロディ版(作者不詳)で、「雨ニモアテズ」です。

「雨ニモアテズ 風ニモアテズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ
ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ 意欲モナク 体力モナク
イツモブツブツ 不満ヲイッテイル
毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ 
朝カラ アクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ
アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ
作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ
リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ
東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ 
西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ 
南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ 
北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ
日照リノトキハ 冷房ヲツケ ミンナニ勉強勉強トイワレ 
叱ラレモセズ コワイモノモシラズ
コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ」

 うーん、耳が痛いですね・・・。こんな子ども達(小学生~高校生)、いっぱいいそうですね。

 でも、皆さんのお子さんは、まだまだこれからです。まだ十分間に合います。
 こんなふうにならないように、今からいっぱい、「雨ニモアテテ 風ニモアテテ 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテテ」いきましょう(???)

 今回は、宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」をまず最初に紹介し…続きを読む

若さの秘訣

2009.05.25

 昨日は、「うさぎの春まつり」においでいただきありがとうございました。最後のところで、先生達を少し紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

 今年度、初めて男性教諭を採用したので、文字通り老若男女(?)、若手からベテランまでバラエティ豊かな先生達の集団になったのではないかと思います。

 でも、幼稚園の先生は、実際の年齢よりも若く見られることが多いようです。ベテランの先生達は、「○○先生、全然変わらないですね」とか昔の保護者に言われて、ニンマリしている場面をよく見ますが、どうしてでしょうか?何か「若さの秘訣」でもあるのでしょうか?

 やはり子ども達と接していることで、歌ったり踊ったり、表情豊かに笑顔を絶やさず、少々オーバーアクション気味で毎日過ごしているので、年をとらないのかもしれません。また、子ども達の果てしない輝きとパワーを体に受けて、若返りのエキスとして吸収していることもあるでしょう。

 でも一番の理由は、子ども達の日々の成長を間近で見て、その喜びをまるごと受けとめることで、先生達自身のハートが常に輝き続けるという心情的なものにあるのでしょう。
 アンチエイジングという言葉が流行っていますが、肉体的に体を鍛錬することよりも、むしろ精神的なものが、人間を生き生きとさせ、輝きを維持していくのだと思います。

 私は老化を否定する気はありません。若草ホームページの「園長のつぶやき」の「秋まつり御礼(11/1)」にも書きましたが、檀家さんであるお年寄りの方々とお話しするのは楽しいです。自然に年を重ねてきた方々の、日々のつつがない暮らしに感謝しながら生きていく姿勢に心が落ち着きます。

 でも、幼稚園で現役で働いている間は、心も身体も「キープヤング」を目指していってほしいと思います。

 私自身も現在44才、中年真っ只中でありますが、毎日子ども達と遊び、保護者と交流することで充実した経験をさせてもらっているので、「年をとっているヒマなんかない!」といった心境です。(たまにギックリ腰などやり、強がれない場合もあります)

 幼稚園は、お子さんを保育することで保護者の皆さんから保育料をいただいてますが、園で働く私達が心身共に若さを保ち、感動をいただく場でもあるのですから、本当にありがたい、幸せな職場だと思います。

 幼稚園で働くことの幸せを常に感じ、感謝しながら日々を過ごしていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

 昨日は、「うさぎの春まつり」においでいただきありがとうござ…続きを読む

志田前園長への弔辞

2009.05.11

 志田賢前園長が、5月7日逝去されました。9日に葬儀並びに告別式が営まれ、私が弔辞を読みました。この「園長のつぶやき」は、志田前園長が始めたものなので、ここに弔辞を掲載させていただきます。

「志田先生の訃報を聞いて本当に驚きました。そして、奥さんのそばに行かれたのだなと思いました。

 昨年の十一月に奥さんが亡くなり、ご自宅にお悔やみに行った時、久々にお会いした志田先生は、すごくやせていました。奥さんの闘病生活に対して、ご自分も一緒になって戦った結果だったと思います。言葉が出ない私に対して、「退職してから、幼稚園に全然行けなくて申し訳ない」と涙を流して仰いましたが、在職中から、奥さんの病気に対してとても心配されていた志田先生の姿を思うと、私の方こそ、傍観者にすぎず力になれなかったことを、とても申し訳なく思っております。

 思えば、平成九年に若草幼稚園の園長になられてから九年間、本当にお世話になりました。豊富な教育経験を生かして、園児の健やかな成長のために尽力して下さいました。いつもニコニコして穏やかな志田先生に対して、子ども達もおじいちゃんのような安心感で接していました。でも、園児のお父さんの中に、志田先生の中学校教師時代の教え子がいて、当時はとても怖かったという話を聞くと、そのギャップの激しさに、先生達と大笑いしたものです。昔はこわもてだった志田先生は、やはりお遊戯は苦手だったようで、「大きな栗の木の下で」を照れながら踊っていたのが印象的です。

 ペエペエだった私にもいろいろ指導していただきました。ご自宅にも何度が連れていっていただき、奥さんの美味しいコーヒーとお菓子をごちそうになりました。「うぢんな幼稚園でちゃんとやっていますか?それが心配での」と私に聞く奥さんに対して、「よげいだごと言うな」と笑いながら返す様子を見て、ご夫婦の仲の良さが伺えました。

 志田先生とはよく、生と死について話しました。魂の存続や生まれ変わりについて真面目に書かれた書物を読み合いながら、お互いの死生観を述べ合いました。これらの本を読んで、死は怖くないのかもしれないと仰っていましたね。また、夫婦は魂の伴侶として、何度も一緒の生を繰り返すことが多いという話には、とても感銘を受けていたようでした。闘病中の奥さんに対して、「今度生まれ変わってもまた一緒になろう」と話していたと娘さんから聞いて、当時のやり取りが思い出されました。今頃は、ご夫婦仲良く一緒におられるのだと思います。

 若草幼稚園のホームページに、「園長のつぶやき」というページを作り、志田先生が幼稚園教育に対する思いを紙に書いて、それを私がパソコンに向って打ち込んで、ネット上で公開する作業を五年間続けました。キーボードを打ちながら、志田先生の見識の深さを感じずにはいられませんでした。タイトル数はいつの間にか百十四を数え、今、私が新たに引き継いでおりますが、志田先生の「つぶやき」は、今後もずっとホームページに残していきたいと思います。そして、今後の幼稚園経営の拠り所としていきます。

 志田先生、本当にありがとうございました。今はゆっくりと奥さんとお過ごしください。ご冥福をお祈りいたします。

平成二十一年五月十日
学校法人龍州学園 若草幼稚園 
園長 大滝宗徳 合掌」

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