3/14 卒園児にエコ風船を頂き、飛ばしました
2017.03.19動画リンク https://www.facebook.com/wakakusa0234/videos/1387406767949319/
酒田市公認マスコットキャラクター「「もしぇのんあののん音頭」に年長園児がコラボした縁で、主催の「酒田みなとまちづくり市民会議」さんより、卒園記念としてヘリウムガス入りのエコ風船を頂きました(土に還るもの)。ありがとうございました。14日に飛ばしました。
一昨日の「さよならパーティ」で、年長園児の卒園間近の園生活の様子をムービーで流したのですが、最後がエコ風船を飛ばしたシーンでした。「みんなの夢がかないますように!」と叫んで飛ばした風船は、横風が強かったため、いくつかが松の木の枝に当り「パンパン!」と割れてしまったのでした(引っかかるし)。パーティ会場でも、その瞬間笑いが起きました。園長としては、本当は一番感動するシーンの予定でしたが、なかなかドラマのようにうまくいきませんね(笑)。
でも、沢山飛んでいった風船が空の彼方に消えるまで、ずっと見つめていた子ども達の表情が印象的でした。風船が、大空に飛び立っていった卒園児の姿にだぶりました。このシーン、繰り返し見てしまいます。いい思い出になりました。
3/10 震災供養
2017.03.14東日本大震災で亡くなった方々の供養を、幼稚園ホールで毎年行っています。今年は11日が土曜日だったので10日に行いました。
1枚目の画像は、3/12の山形新聞一面に掲載された記事です。ご縁があって6年前にこの母子の供養をさせて頂きました。女川の火葬場で、娘さんの亡骸の前で読経しました(お孫さんは現在も行方不明です)。ただ読経するしかできなかったのですが、お母さんの菊池さんからは「沢山の遺体が、(お坊さんがいないので)供養されずに火葬されている。和尚さんがここまで来てくれて、拝んでくれるだけで有難い」と言って頂きました。後日酒田で葬儀を行いました。
あれから6年が経ち、一周忌、三回忌と経て今回が七回忌の法要でした。ご家族の皆さんはとても朗らかで明るいのですが、この記事にあるように「笑って過ごせるようになったが心の中では泣いている。自分の命と代えてもいいほど大切な2…人を失った悲しみは決して癒えない。それだけ深く愛していたのだから」というお母さんの心情は、法要の度に痛いほど伝わってきます。
幼稚園ホールでの供養では、年長園児が供物を捧げ、ナムナムしました。来月から小学校に行く彼らですが、本来であれば孫の凜君も、ランドセルを背負って元気に通うはずでした。そのランドセルを菊池さんは準備したそうです。
もう1度だけ2人に会えるのなら…「あったかいご飯を食べさせてあげたい。そして抱き締めてあげたい」。この思いは、きっと2人に届いていると思います。
61年前の広報わかくさ創刊号
2017.02.26屋上初体験
2017.02.21年長園児が、新園舎の屋上に初めて上がりました!卒園記念誌「巣立ち」に掲載する、上空からの写真を撮るためです。
ドローンで撮影して頂いたのは、年長かもめ組保護者のH君のお父さん(プロの専門業者さん)。この日は晴れ間を見て屋上に上がりましたが、変わりやすい天候で突然吹雪に…。しかし年長全員の「晴れろ!」コールのおかげで、雪が治まった瞬間を狙いパチリ!うまくいきました。
ちなみに掲げていた「あさあさ61」とは、両担任の名前と創立61周年から付けた、学年の名前です。昨年の「あったか60」と同様に、タイムカプセルも含めずっとこの名称を使います。…
上空からの画像UPは、来月「巣立ち」が完成するまでのお楽しみとします(手元にはあるのですが笑)。
H君のお父さん、思い出に残る撮影、本当にありがとうございました!
日本一おめでとう!
2017.02.14「日本一おめでとう!」(2/15付 荘内日報)
保護者OBの中谷さんが、「技能グランプリ」の「染色補正の部」で見事日本一に輝きました。おめでとうございます!中谷さんは一見寡黙で職人肌の印象ですが、チーム若草で駅伝にトライしたり、バンドでギターを弾いたりPTAでも活躍されました。これまで3位、2位とステップアップしてきて、今回が初の栄冠。今度その極意を聞いてみたいと思います
受賞おめでとう!2
2017.02.09「荘内日報(2/9付)の記事」
昨日、「努力賞」を受賞した2人を紹介しましたが、何と最高賞の「科学賞」も卒園生の門田君でした。「せみの研究」が受賞対象です。おめでとうございます!素晴らしいですね。園児の頃から探求心旺盛な子でした。小学1年生からせみの生態の研究をコツコツと続け、その集大成が実を結んだのですね。
その他、受賞者名にさらに3人の卒園生(小学生2、中学生1)の名前も見つけました。計6名!皆さん、おめでとう!今後は、酒田の「いきものがかり」輩出幼稚園として名を売っていこう…(園長の妄想)。
受賞おめでとう
2017.02.080~2才児の受け入れについて
2017.02.08若草ベビールームは定員33名(0~2才児)と、幼稚園の定員200名(3~5才児)と比べて小規模なので、平成29年度の在籍予定が定員いっぱいとなっております。しかも入園の決定や調整が酒田市なので、私たちは市の取り決めに従うだけなのです。
卒園生、あるいは在園児の弟や妹がベビーに入園を希望しても現在は受け入れできないのが実情で、保護者の方々からの切なるお願いや苦情に対して、大変申し訳なく心苦しいです。3~5才児では、定員の空きが約50名もあるのですが…。(2才児の場合は、「満3才児クラス」での私的契約での入園は可能です。)
保護者OBのお孫さんの入園等、問い合わせが最近頻繁にあるので、フェイスブックでもお知らせさせて頂きました。保護者の皆さん、どうぞ事情をご理解頂ければと思います。よろしくお願いいたします。
ウルトラマンについて
2017.01.15前の投稿で「初代ウルトラマン」の話題を出しましたが、10年前の「広報」に園長が書いた文を掲載させて頂きます。皆さんもウルトラマンの思い出がありますか?
「帰ってきたウルトラマン」 (平成19年度「広報わかくさ」 第1号 園長 大滝宗徳)
数ヶ月前、年中組の息子と一緒に三川ジャスコに「ウルトラマンメビウス」の映画を見に行ってきました。息子のためにちょっと付き合うかというような気持ちでした。
ところが、映画が始まってしばらく経ってから、私はスクリーンに釘づけになっていました。なぜならそこには、私が幼児期に夢中になっていた初代ウルトラマンやウルトラセブン等の変身前の人間の俳優達が、そのまま四十年の時を経て出演していたからでした。
(お~、ハヤタ隊員、白髪頭だ。大分太ってしまったなあ)(モロボシ隊員、今でも地球を守ってたのか)などと心の中でツッコミを入れながらも、懐かしさに感激している自分がいました。彼らの変身シーンでは、当然一緒に変身し(心の中で)、怪獣とも一緒に戦っていました。六十代になっても、子ども達の夢のために一生懸命演じている俳優達に感銘を受け、同時に、当時無邪気に友達とヒーローごっこをして遊んでいたシーンが一挙によみがえり、何とも言えないほのぼのとした気持ちになりました。
商業目的のメディアが作るキャラクターに翻弄されていると言われればそれまでですが、子ども達は、ヒーロー、ヒロインに自分を重ね合わせ、愛や正義、勇気を学ぶ側面があるのも事実です。私自身も映画がきっかけで、正義のために戦っていた自分(?)を思い出し、古き良き時代を回想する事ができました。
幼稚園では子ども達がヒーローで、私はもっぱら怪獣役でやられてばかりいます(これがけっこう痛いんです・・・)。さすがにウルトラマンに変身するのは無理ですが、今の子ども達が成人して、子どもを連れて幼稚園に帰ってきた時、映画の俳優達のように、「園長、大分年とったけど、いまだに元気あるなあ」と思われるように、気持ちはもちろん、体力でも充実していけるように日々鍛えていきたいと思います。シュワッチ!