鉄人ドクター川島さん「酒田から被災地に通って」
2012.10.31 10月24日、倫理法人会のモーニングセミナー講師は、年中組保護者の川島実さんでした。講演テーマは「酒田から被災地に通って」です。昨年は全国放送でも彼のドキュメンタリーが何度か取り上げられたので、御存じの方も多いと思います。
トライアスロンや駅伝でチーム若草メンバーとして一緒に汗を流す川島さんですが、本来の彼の姿を自ら語っていただきました。
現在気仙沼の本吉病院の院長を務めている川島さん、家族を酒田に残しての単身赴任です。でも、昨年までは、震災後すぐに現地に医療活動に入り、その後は毎週末3時間かけて、軽トラックで被災地に通う生活を続けていました。本吉病院の医師2人があまりの激務に震災後すぐに辞任したため、その患者さんのために酒田から通い続けたのです。そして現地の患者さんのたっての願いを受け入れ、昨年10月から院長に就任しました。そのあたりの経過を詳しく話していただきました。
また、彼のこれまでの道のりも大変興味深かったです。大学医学部在学中にプロボクサーになり、西日本新人王を取るなど活躍したが、その後なかなか勝てなくなり、どうやって家族を食べさせていこうかと考えた結果米作りに従事した話や、いろいろな人との縁で医者として再出発した話など、波乱万丈の川島さんの人生は、聞いている分にはすごい面白かったです。でも、相当な苦労があったのだろうなと思いますが、彼の明るく前向きなキャラクターで何でも乗り越えてきたのだろうなと感じました。
思えば川島さんと私の出会いもユニークでした。トライアスロンのおしんレースでお互いがゴールした時に知り合ったのですが、私は彼が医者と聞いて、「俺と同じような風貌だなあ。鉄人ドクターもいるんだなあ」と思いました。彼は彼で「園長でお坊さんか。まあ、走る坊さんに悪い人はいないだろ」と、ちょうど長男が翌年から幼稚園に入る頃で、その場で若草への入園を決めたそうです。普通そんな話ないですよね。
彼は性格的に人と関わるのが好きだということで、患者さんとは、診断というよりいろいろな話をするそうです(特にお年寄りとは田んぼの話は盛り上がるそうです)。震災後しばらくは、犠牲になった家族の話を毎日して泣いていた患者さん達も、一周忌を過ぎると涙がピタっと止まった、やはり節目というものは不思議なものだとも語っていました。
現在の医療体制は細分化されていて、お医者さんでも例えば内臓のどの部分担当とか分けられているが、自分は救急医療現場が長かったので、専門家ではないが、その分身体全体を診る、それが老若男女が沢山集まってくる要因ではないかと。そしてスタッフが徐々にそろってきたので、ここを地域医療の教育の拠点にしたいとも仰っていました。
彼が以前語っていたことがあります。「ボクシングも医者も同じエンターテイメントの世界だ」と。「ボクサーは、リング上のパフォーマンスで見に来てくれた観客を楽しませる、医者は来てくれた患者に対して、お互いにコミュニケーションを楽しみ、安心を与えて帰してやる」と。
お年寄りたちに対しての姿勢は、「死はいずれやってくる、でも私はあなたを見捨てない」とのことでした。
あっという間の講演でした。来年は、親子登園日で彼から保護者の皆さんにお話ししていただこうと思います。