山形県 酒田の幼稚園『若草幼稚園』です。
園内の様子や入園のご案内の情報をご紹介します。

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前園長ブログ

年別ア―カイブ: 2009

1ヵ月遅れのクラス通信

2009.07.03

 若草HPの「トピックス」のページの更新が、このところ頻繁に遅れます。トップページのオープニングショットの画像だけは、何とかリアルタイムでUPしていますが、子ども達の活動の様子を撮影した画像は、以前はその日にトピックスにUPできていましたが、最近は2,3日から時には1週間かかることがあります。保護者が楽しみに見てくれているのでできるだけすぐにUPしたいのですが、最近はいろいろな仕事も重なり、机に向かってPCを打つ時間が以前より大分減りました。

 そんなわけで、今回(6/30-7/2)東京出張が入ったので、往復の電車の中でまとめて更新作業を行いました。(この文章も帰りの電車の中で書いて(打って)います。)トピックスの1つ1つのページには、画像だけでは味気ないので、先生達のクラス通信をコメントとしてUPしています。そのコメントが、ここ1ヵ月全くUPできていませんでした。反省、反省…。

 先生達がほぼ毎日のように発行しているクラス通信、それを1ヵ月分コピーして、行きの電車の中で広げて打ち込みます。
 正直、(面倒だなあ)という思いは当然あります。でも、先生達が寝る間を惜しんで一生懸命手書きで発行するクラス通信は、それぞれのクラス名がタイトルであり(かもめ通信、かなりや通信…)、そのクラスの活動、思いが凝縮されています。どの通信も50号を超えており、保育日数で計算すると、ほとんど毎日発行されているのがわかります。そんな血と汗と涙(?)の結晶の通信を、是非皆さんに広く紹介したいという思いでこれまでUPしてきたので、「面倒だ」ということは言えません。

 通信を打ちこんでいると、1ヶ月前の活動が私の頭の中によみがえってきます。画像としてはすでにHPにUPしており、どんな状況かはもちろん把握できていますが、クラス通信を読み、それを打ちこむことによって、その時の子どもの状態、背景、先生の思いなどが表れ、写真だけのイメージにさらに深みを増してくれます。私が不在だった場合でも、通信を読み、打つことによって、あたかも自分も子ども達と一緒にその活動に参加している気持ちにさせてくれます。これは、ホームページを見て、我が子の姿を確認する保護者の方々も、同じような気持ちになるのではないでしょうか?

 ですから、打ち始めは少々面倒くさいと思っていても、だんだん気持ちがほのぼのしてくるこの「通信打ちこみ作業」は、人に任せない方がいいのかもしれません。最近は、山形市出張でも車を使わずバスで行き、この作業に没頭して、ちょこっと悦に入っています。園長の仕事ではないのではないか?と人には言われますが、園児と接する時間が少ないこの頃、先生達の通信を通して子ども達と触れ合うことができる機会は、ある意味貴重です。

 また、トピックスには行事や園外保育などの特別な活動の様子をUPすることが多いのですが、行事にかかわらず、クラスの日常の様子が掲載されているところが、クラス通信の面白さの一つでもあります。
 
例えば、クラスで生きものを飼育することになって、水の取り換えやエサの選択などで奮闘する子ども達の様子や、それに伴いいろいろな気づきを子ども達が得ていく過程を先生がきちんとまとめていく描写、あるいは、子どものふとしたつぶやきから、それをクラス全体の話題として取り上げ、集団としての力に発展させていこうとする取り組み、さらには、保護者からの手紙を紹介し、そこに先生なりの考察を加え、子どもの成長のしるしとして示していく様子など、非常に盛りだくさんであります。
 
子ども達の何気ない日常こそが、日々の成長を伝えていくクラス通信の目的、真骨頂であるのでしょう。できれば、こういった内容のものこそ、皆さんに紹介していきたいと思います。(でもやっぱり行事になってしまう・・・。今後の検討課題です)

 ということで、1ヵ月分の通信打ちこみ、ようやく終了しました。大変でしたが、とっても充実した電車の旅でした(???)これからもなるべく画像・コメントをためないように、頑張ります!

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雨ニモアテズ

2009.06.11

 今回は、宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」をまず最初に紹介します。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 
慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ 
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ」

 こんな人になりたいと思いますが、難しいですね・・・。でも努力はしたいです。

 次は、そのパロディ版(作者不詳)で、「雨ニモアテズ」です。

「雨ニモアテズ 風ニモアテズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ
ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ 意欲モナク 体力モナク
イツモブツブツ 不満ヲイッテイル
毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ 
朝カラ アクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ
アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ
作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ
リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ
東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ 
西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ 
南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ 
北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ
日照リノトキハ 冷房ヲツケ ミンナニ勉強勉強トイワレ 
叱ラレモセズ コワイモノモシラズ
コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ」

 うーん、耳が痛いですね・・・。こんな子ども達(小学生~高校生)、いっぱいいそうですね。

 でも、皆さんのお子さんは、まだまだこれからです。まだ十分間に合います。
 こんなふうにならないように、今からいっぱい、「雨ニモアテテ 風ニモアテテ 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテテ」いきましょう(???)

 今回は、宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」をまず最初に紹介し…続きを読む

若さの秘訣

2009.05.25

 昨日は、「うさぎの春まつり」においでいただきありがとうございました。最後のところで、先生達を少し紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

 今年度、初めて男性教諭を採用したので、文字通り老若男女(?)、若手からベテランまでバラエティ豊かな先生達の集団になったのではないかと思います。

 でも、幼稚園の先生は、実際の年齢よりも若く見られることが多いようです。ベテランの先生達は、「○○先生、全然変わらないですね」とか昔の保護者に言われて、ニンマリしている場面をよく見ますが、どうしてでしょうか?何か「若さの秘訣」でもあるのでしょうか?

 やはり子ども達と接していることで、歌ったり踊ったり、表情豊かに笑顔を絶やさず、少々オーバーアクション気味で毎日過ごしているので、年をとらないのかもしれません。また、子ども達の果てしない輝きとパワーを体に受けて、若返りのエキスとして吸収していることもあるでしょう。

 でも一番の理由は、子ども達の日々の成長を間近で見て、その喜びをまるごと受けとめることで、先生達自身のハートが常に輝き続けるという心情的なものにあるのでしょう。
 アンチエイジングという言葉が流行っていますが、肉体的に体を鍛錬することよりも、むしろ精神的なものが、人間を生き生きとさせ、輝きを維持していくのだと思います。

 私は老化を否定する気はありません。若草ホームページの「園長のつぶやき」の「秋まつり御礼(11/1)」にも書きましたが、檀家さんであるお年寄りの方々とお話しするのは楽しいです。自然に年を重ねてきた方々の、日々のつつがない暮らしに感謝しながら生きていく姿勢に心が落ち着きます。

 でも、幼稚園で現役で働いている間は、心も身体も「キープヤング」を目指していってほしいと思います。

 私自身も現在44才、中年真っ只中でありますが、毎日子ども達と遊び、保護者と交流することで充実した経験をさせてもらっているので、「年をとっているヒマなんかない!」といった心境です。(たまにギックリ腰などやり、強がれない場合もあります)

 幼稚園は、お子さんを保育することで保護者の皆さんから保育料をいただいてますが、園で働く私達が心身共に若さを保ち、感動をいただく場でもあるのですから、本当にありがたい、幸せな職場だと思います。

 幼稚園で働くことの幸せを常に感じ、感謝しながら日々を過ごしていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

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志田前園長への弔辞

2009.05.11

 志田賢前園長が、5月7日逝去されました。9日に葬儀並びに告別式が営まれ、私が弔辞を読みました。この「園長のつぶやき」は、志田前園長が始めたものなので、ここに弔辞を掲載させていただきます。

「志田先生の訃報を聞いて本当に驚きました。そして、奥さんのそばに行かれたのだなと思いました。

 昨年の十一月に奥さんが亡くなり、ご自宅にお悔やみに行った時、久々にお会いした志田先生は、すごくやせていました。奥さんの闘病生活に対して、ご自分も一緒になって戦った結果だったと思います。言葉が出ない私に対して、「退職してから、幼稚園に全然行けなくて申し訳ない」と涙を流して仰いましたが、在職中から、奥さんの病気に対してとても心配されていた志田先生の姿を思うと、私の方こそ、傍観者にすぎず力になれなかったことを、とても申し訳なく思っております。

 思えば、平成九年に若草幼稚園の園長になられてから九年間、本当にお世話になりました。豊富な教育経験を生かして、園児の健やかな成長のために尽力して下さいました。いつもニコニコして穏やかな志田先生に対して、子ども達もおじいちゃんのような安心感で接していました。でも、園児のお父さんの中に、志田先生の中学校教師時代の教え子がいて、当時はとても怖かったという話を聞くと、そのギャップの激しさに、先生達と大笑いしたものです。昔はこわもてだった志田先生は、やはりお遊戯は苦手だったようで、「大きな栗の木の下で」を照れながら踊っていたのが印象的です。

 ペエペエだった私にもいろいろ指導していただきました。ご自宅にも何度が連れていっていただき、奥さんの美味しいコーヒーとお菓子をごちそうになりました。「うぢんな幼稚園でちゃんとやっていますか?それが心配での」と私に聞く奥さんに対して、「よげいだごと言うな」と笑いながら返す様子を見て、ご夫婦の仲の良さが伺えました。

 志田先生とはよく、生と死について話しました。魂の存続や生まれ変わりについて真面目に書かれた書物を読み合いながら、お互いの死生観を述べ合いました。これらの本を読んで、死は怖くないのかもしれないと仰っていましたね。また、夫婦は魂の伴侶として、何度も一緒の生を繰り返すことが多いという話には、とても感銘を受けていたようでした。闘病中の奥さんに対して、「今度生まれ変わってもまた一緒になろう」と話していたと娘さんから聞いて、当時のやり取りが思い出されました。今頃は、ご夫婦仲良く一緒におられるのだと思います。

 若草幼稚園のホームページに、「園長のつぶやき」というページを作り、志田先生が幼稚園教育に対する思いを紙に書いて、それを私がパソコンに向って打ち込んで、ネット上で公開する作業を五年間続けました。キーボードを打ちながら、志田先生の見識の深さを感じずにはいられませんでした。タイトル数はいつの間にか百十四を数え、今、私が新たに引き継いでおりますが、志田先生の「つぶやき」は、今後もずっとホームページに残していきたいと思います。そして、今後の幼稚園経営の拠り所としていきます。

 志田先生、本当にありがとうございました。今はゆっくりと奥さんとお過ごしください。ご冥福をお祈りいたします。

平成二十一年五月十日
学校法人龍州学園 若草幼稚園 
園長 大滝宗徳 合掌」

 志田賢前園長が、5月7日逝去されました。9日に葬儀並びに告…続きを読む

カラスの巣立ち(広報第3号より)

2009.03.13

 6月のある日の午後、境内墓地の松の木の上で、2羽のカラスがけたたましく鳴いていました。それだけなら良かったのですが、ちょうど子ども達が幼稚園が終わって帰る頃で、お迎えに来たお家の人と一緒に園庭を歩いていると、それに対して大きく鳴き、さらに威嚇するように上空を急旋回する様子を見て、これは尋常じゃないと私は思いました。

 カラスが人を襲ったというニュースを以前に見聞きしていたこともあり、子ども達の安全を考え、傘をさして送迎の補助をしながら、しばらく様子を伺っていました。市役所にも電話して、対応策のアドバイスも求めました。完全にカラスに対して敵対心を燃やしていました。

 しかしよく観察していると、カラスが人を襲うそぶりはなく、人がある地点を通ると鳴き声が高くなり、旋回するのでした。その地点の上の方、松の葉っぱが茂っている部分に目をこらして見ると、子どものカラスがちょうど羽ばたこうとしているところでした。

 おそらくそこに巣があるのでしょう。子どもが巣立ちの時を迎え、カラスの両親が少し離れた所から心配して見守っているのでした。子ガラスは両親の姿を探しても見つからず、途方にくれてか細く鳴いていましたが、しばらくして意を決して巣から飛び上がりました。しかし大空に飛んでいくかと思ったのもつかの間、羽ばたき慣れていない体は、すぐ近くの木の枝へしがみつくしかありませんでした。

 枝から枝へと少しずつ飛んで移動する姿は非常におぼつかなく、その様子を見て二匹の親ガラスも場所を変えながら、しかし決して子どもから見つからない距離を保ちながら、移動するのでした。人間が近くを通ると警戒して甲高く鳴くので、その声は当然子ガラスにも届いているのでしょう。でも、決して子どものそばには行かずに、見守るだけでした。ようやく仮飛行を繰り返し体が温まった(?)子ガラスが、勢い良く空へ無事に飛び立つのを見届けると、親ガラスも安心して去っていきました。

 さきほどまでの敵対心は、すっかり私の中から消えていました。人間の立場から見ると、何事か災いをもたらすイメージで見てしまうカラスですが、子を想う親の気持ちはどの世界でも変わらないということを実感し、むしろ、自立を早い段階で促す親ガラスの姿勢に感心してしまいました。これが自然の摂理というものなのでしょうか。

 この春幼稚園を巣立つ子ども達は、今後もまだまだ保護者のサポートが必要なことでしょう。そばによって手助けしてしまうことも多いことでしょう。しかし遅かれ早かれ、徐々に見守ってやるだけ(放任とは違う)の存在になっていくことが、自然の摂理にかなう人間の本来の姿なのかもしれません。

 卒園おめでとうございます。

 6月のある日の午後、境内墓地の松の木の上で、2羽のカラスが…続きを読む

おくりびと

2009.02.23

 映画の「おくりびと」、アカデミー賞を獲得しましたね。私も本当に嬉しかったです。庄内の景色がふんだんに出てきますが、特に地元若草幼稚園界隈の日吉町、ここもいい場面で出てきます。実際、園児と歩いて日和山公園まで散歩に行った時に、直前までその付近で撮影していたという時もありました(生の本木と広末見たかった…)。

 今は大分さびれてしまった感のある日吉町があれだけ出てくる映画は、今後二度とないと思いますが、それがアカデミー賞だなんてすごいですね。映画の舞台になった小幡さんや港座は、映画を見て訪れる人が多いのですが、これからまた増えるでしょう。映画館だった港座を復活させようという動きがありますが、それに弾みがつくといいですね。

 私も仕事柄、あの映画のように死の場面に立ち会うことが多いのですが、いつもお経を読む前に、亡くなった方の顔にかけてある白い布巾を取って合掌します。そして毎回思うのですが、布を取った瞬間、安らかな顔にいつも出会うのです。亡くなり方は人それぞれで、もしかして亡くなる瞬間は苦悶の表情を浮かべていたかもしれませんが、いざ彼岸に旅立つ時、人は何かが抜け出たように、ホッとしたような顔を見せてくれるのです。今までたくさんの方々の枕経をさせていただきましたが、皆さん肉体を残して魂が旅立った後の、(もしかして抜け殻かもしれないけど)、いわゆる安心の表情でした。みんな本来の世界に帰っていくのです。

 しかしそれは、素の表情ではあるのですが、納棺師のプロの仕事としての、けれども心情として亡くなった方のため、そして何よりも遺族の方々のための努力が大きかったということに、今さらながら気付きました。あの映画を見るまでは、納棺師の仕事を当たり前のように思っていた自分がいましたが、私よりもずっと、遺族の方々の感情があふれ出てくるのを、彼らは真摯に受け止めているのですね。冷たく固くなっていく肌に、きれいに化粧が施され潤いが出てくる、そして今もしっかりと息づいているような故人を前にして、遺族の心はようやく癒されるのです。

 すべての人が経験する普遍的なテーマである死を通して、夫婦の絆、わが子への無償の愛、父、母に対する想いという家族愛のすべてが、自然に綿々と紡ぎだされてくるような映画でした。

 本場アメリカでのアカデミー賞は、一つの競争の結果にすぎませんが、愛する人の死に対する思いは万国共通であるという証であり、だからこそどのように生を送るのが大切かということを、世界の人は常に命題を持って生きているのかなと思います。

 英語でのタイトル名は、「Departure(デパーチャー)」(旅立ち)でした。『死とは、門である』。この物語の中にはそんなセリフが出てきます。「死」とは、終わりではなく、旅に向かうための通過点、つまり「新たな旅立ちの門出」なのでしょう。『まだ、あっちで会おの~』、庄内弁のお別れが身にしみました。

 素晴らしい映画に出会えて本当に嬉しいです。アカデミー賞おめでとうございます。

 映画の「おくりびと」、アカデミー賞を獲得しましたね。私も本…続きを読む

畏敬の念

2009.02.05

 今年も2月3日の節分に、森の山から鬼がやってきました。若草の豆まきは、鬼が怖いということで評判(!?)なのですが、今回は史上最多の7頭(匹?人?)、そして初めて、女性の鬼(通称「鬼嫁」)が登場しました。

 いつも腕白で強がり言う子ほど、鬼には弱く、泣いてしまうのですねえ。今回も我々鬼達がホールに現れたとたん、最初は豆を投げつけて頑張っていた子ども達も、もう逃げまどうばかりでした。

 でも、目に涙をいっぱいためて逃げる子ども達を見てかわいそうになり、ちょっと手加減すると、パンチやキックが飛んでくる場合もあります。特に年長の男の子は、テレビのヒーローになりきってポーズを決めてかかってきますので、こちらもそれに合わせて倒れたりします。勇気を出して鬼と戦ったという気持ちが自信になり、退治したという誇りで大満足の様子。またそこで生き返ると、びっくりして逃げるのですが・・・。

 鬼と向き合うことで自分の弱さを思い知らされ、そこにとどまるか乗り越えるかの選択を強いられる、そんな過程を子どもの中に見る思いがします。

 鬼のように有無を言わさない怖い存在、昔はお父さんであり、近所の頑固爺さんだったり、学校の先生だったりしたと思いますが、最近ではそういう存在がなくなったのかなと思います。私自身もそうですが。

 ちょっと話は飛躍しますが、オーストリアの哲学者で教育学者であったルドルフ・シュタイナーは、子どもの時代に、「畏敬の念」を持つことが大切だと言っています。「その対象に対して、内的には近づきたい、一体化したいと切望しつつ、外的には畏れおののいて、一定の距離を保つ」存在が子どもには必要だと言っているのです。

 自分には到底届かない存在、姿、あるいは現象に触れた時、人間は「畏敬の念」を感じ、自分の心の内に深い感動を呼び起こし、そしてその存在に対して少しでも近づきたいという強い気持ちがこみ上げ、そこに人間の無限の可能性を実感し、実践していく力になっていくのではないでしょうか。

 もちろん鬼に対しては、畏敬の念というよりも恐怖感が先にくるのですが、鬼の持つはかりしれないパワーと絶対的な存在感に子ども達が触れることで、自らの弱気の虫をやっつけるきっかけになってくれれば、若草の鬼達も本望と言えるでしょう。

 今年も2月3日の節分に、森の山から鬼がやってきました。若草…続きを読む

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