おくりびと
2009.02.23映画の「おくりびと」、アカデミー賞を獲得しましたね。私も本当に嬉しかったです。庄内の景色がふんだんに出てきますが、特に地元若草幼稚園界隈の日吉町、ここもいい場面で出てきます。実際、園児と歩いて日和山公園まで散歩に行った時に、直前までその付近で撮影していたという時もありました(生の本木と広末見たかった…)。
今は大分さびれてしまった感のある日吉町があれだけ出てくる映画は、今後二度とないと思いますが、それがアカデミー賞だなんてすごいですね。映画の舞台になった小幡さんや港座は、映画を見て訪れる人が多いのですが、これからまた増えるでしょう。映画館だった港座を復活させようという動きがありますが、それに弾みがつくといいですね。
私も仕事柄、あの映画のように死の場面に立ち会うことが多いのですが、いつもお経を読む前に、亡くなった方の顔にかけてある白い布巾を取って合掌します。そして毎回思うのですが、布を取った瞬間、安らかな顔にいつも出会うのです。亡くなり方は人それぞれで、もしかして亡くなる瞬間は苦悶の表情を浮かべていたかもしれませんが、いざ彼岸に旅立つ時、人は何かが抜け出たように、ホッとしたような顔を見せてくれるのです。今までたくさんの方々の枕経をさせていただきましたが、皆さん肉体を残して魂が旅立った後の、(もしかして抜け殻かもしれないけど)、いわゆる安心の表情でした。みんな本来の世界に帰っていくのです。
しかしそれは、素の表情ではあるのですが、納棺師のプロの仕事としての、けれども心情として亡くなった方のため、そして何よりも遺族の方々のための努力が大きかったということに、今さらながら気付きました。あの映画を見るまでは、納棺師の仕事を当たり前のように思っていた自分がいましたが、私よりもずっと、遺族の方々の感情があふれ出てくるのを、彼らは真摯に受け止めているのですね。冷たく固くなっていく肌に、きれいに化粧が施され潤いが出てくる、そして今もしっかりと息づいているような故人を前にして、遺族の心はようやく癒されるのです。
すべての人が経験する普遍的なテーマである死を通して、夫婦の絆、わが子への無償の愛、父、母に対する想いという家族愛のすべてが、自然に綿々と紡ぎだされてくるような映画でした。
本場アメリカでのアカデミー賞は、一つの競争の結果にすぎませんが、愛する人の死に対する思いは万国共通であるという証であり、だからこそどのように生を送るのが大切かということを、世界の人は常に命題を持って生きているのかなと思います。
英語でのタイトル名は、「Departure(デパーチャー)」(旅立ち)でした。『死とは、門である』。この物語の中にはそんなセリフが出てきます。「死」とは、終わりではなく、旅に向かうための通過点、つまり「新たな旅立ちの門出」なのでしょう。『まだ、あっちで会おの~』、庄内弁のお別れが身にしみました。
素晴らしい映画に出会えて本当に嬉しいです。アカデミー賞おめでとうございます。