山形県 酒田の幼稚園『若草幼稚園』です。
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前園長ブログ

被災地での供養(寺報「境内と園庭」第34号より)

2011.06.08

 五月に宮城県のある被災地へ、津波で亡くなった方の供養に行ってきました。その方が酒田出身ということで、全くの偶然で私に供養の依頼があったのですが、現地へ行ってみると、親族の方で私と旧知の方もいらっしゃり、非常に縁を感じました。

 供養の依頼をいただいたTさんはまだ若い男性で、今回の津波で奥さんと生後半年のお子さんを失ったのでした。結婚して二年も経たぬうちに、最愛の伴侶と一粒種を亡くすという事実は、本当に痛ましく、遺族の方々の慟哭の中で、静かに読経させていただきました。

 テレビや新聞の報道では、被害の甚大さはある意味ひとくくりにして語られることが多く、見ている我々も、一つの大きな災害として感じてしまいます。しかし、今回現地に行き、被災された方々それぞれのご不幸があり、深い悲しみがあるのだということを、改めて実感しました。

 今回火葬場に立ち会ったのは、奥さんの供養のためでした。実は、お子さんはまだ見つかっていなかったのです。二人を一緒に見送れないTさん達遺族の胸中を思うと、言葉もありませんでした。しかし、二人の魂は間違いなく一緒にあり、安らかな本来の世界へ共に旅立つところであるということは、私が言わなくてもTさんも理解していると感じました。

 このような時に僧侶の私が、付け焼き刃的な仏教の話をしても慰めにもならないだろうし、遺族の方々に、元気を出してとか、早く立ち直ってというようなことは言えません。今は悲しみの時だし、何をおいても、深い悲しみに沈むべき時なのだと思います。
 
 結婚してわずかで、そして生まれてすぐに逝ってしまった奥さんと子ども、この二人には、これからまだまだ大きな、様々な可能性があるはずでした。でも、それらが奪われたからといって、二人の生が無意味だったのではありません。

 奥さんは、Tさんと出会うまでの、そしてTさんと結婚してからの短いながらも幸せな人生がありました。その過程で関わったたくさんの人々に影響を与えてきました。お子さんは、この世に生まれてくることで、親になる喜びを両親に与えてくれました。半年間、お父さんとお母さんに大切に育てられる中で、反対に二人を親として育ててきたのです。奥さんとお子さんはそれぞれの役割を果たしたことで、肉親や関わった人から受けた、あるいは与えた愛情や慈悲の心が、いつまでもずっと残り続けるのです。

 私は、一人一人の人生とは、はるか昔から絶え間なく流れる海の水のようだと感じています。海の水は蒸発して雲となり、やがて雨や雪となって地上に降りてきます。そして地下水や川の水となって、再び海へと戻ります(今は、海はどうしても津波を連想してしまいますが…)。

 水滴のような人間の生も、一度で終わるものではなく、長い歴史の中で、何度も生と滅を繰り返しているのではないかと理解しているのです。その一つの生で、何かの役割を持って生れてきて、その役割を果たして本来の世界に帰っていく。だから、そこに早い遅いはなく、幸、不幸もない。ただひたすら連綿と続く魂の成長の過程が、刻印され残されていくのではないかと…。肉体の死はあっても、命(魂)の死はないのです。

 そして、肉親や親しい者同士の魂は、その流れの中で常に行動を共にし、役割を果たすべく、因果に従いながら精進しているのではないかと考えるのです。この関係をソウルメイトあるいは魂の伴侶と呼ばれることもありますが…。
  
 「袖すり合うも他生の縁」の「たしょう」を「多少」と思っている人は多いのですが、正しくは「他生」あるいは「多生」です。道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは何度も繰り返された過去の生の縁によるものであるということです。

 そう考えれば、Tさん一家はたとえ短い間だったとしても、夫婦としての幸せな時を過ごし、新たな命を授かった喜びを味わうことができたほどの「縁」は、「袖すり合う」どころか、過去に何度も関わって愛情を注ぎ合ったぐらいの深さで結ばれていたのでありましょう。

 Tさんには、悲しみから立ち直るにはまだまだ時間がかかります。しかし、どんなに悲しくても、それでも人は生きていかねばなりません。それが遺された者の責任だからです。しかし、そこで歯を食いしばって悲しみに立ち向かうような生き方をするのではなく、深い縁で結ばれている二人の魂に、(またいつか会えるね)と語りかけるような気持ちで過ごしていけば、二人も今後のTさんの人生をずっと見守っていくことができるし、Tさんもその存在を身近に感じ、生きる糧となっていくのではないかと思います。

 被災者それぞれに深い悲しみがあるように、生きる希望も被災者それぞれが持っています。復興に向けて踏み出していく動きを決してひとくくりに見るのではなく、一人一人の努力が集結していけるように、我々も応援していかねばならないと考えます。 

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