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園長ブログ

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年別ア―カイブ: 2013

もうすぐもちつき(若草リレーブログ12/11より転載)

2013.12.16

 日々寒くなってきましたね。「さんぶの~」と言ってると、気持ちまで冷えてきますが、常に心はホット!でいきましょう。ところで、12月の大行事と言えば、やはりもちつきです。

去年のもちつきの時の若草ホームページのトップページは、こちらでした。

2年前はこちらです。

今年ももちつき人募集しています。「へっぴり腰でもいい、ぺったんこしてくれれば、それでいい」。

2013.12.16 もうすぐもちつき(若草リレーブログ12/11より転載)

今年もジャンボ雪だるま作るか! (若草リレーブログ/11/12より)

2013.12.16

今日は園長の番です。11月中旬だというのに、ついに雪が降ってきました。大人はちょっとつらいのですが、子ども達は雪が降るとウキウキしてきますね。特に子ども達が喜ぶのが、保護者と一緒に毎年作っている「ジャンボ雪だるま」。今回はいつ作れるかなあ。去年は1月14日に作ってました(今年でした)。で、UPしたのが上の写真です。これを見て騙された人が多かったようです。すみません。2重に合成していました。大仏さんに肩を並べるように雪だるまのサイズを伸ばし、大仏の横に貼り付けたのが1点(これは分かりやすい)、そして、人々の姿を小さくして雪だるまにはめ込んだのが2点目です。これがわかりにくかったので、本当にこんな大きいのを作ったのか!!と思われたようです。ごめんなさいね。

実際の大きさは下です。

と言うことで、今年もジャンボ雪だるま、みんなで作りましょう。

2013.12.16 今年もジャンボ雪だるま作るか! (若草リレーブログ/11/12より)

やなせななさんの歌

2013.12.12

 12月8日は成道会(じょうどうえ、お釈迦様が悟りを開いた日)ということで、お寺の本堂で檀家さん対象で供養を行いました(幼稚園児対象は4日に行いました)。いつも法要前の空き時間に何か企画するのですが、今回はシンガーソングライターで「歌う尼さん」こと、やなせななさんの曲を映像で紹介しました(やなせさんに関する情報は、10/17のタイムラインの記事にUPしました)。

 4曲流しましたが、すべて被災者、被災地への心情を綴った曲です。作曲は全部やなせさんで、作詞は、宮城県のお寺の早坂…住職です(3曲)。早坂住職は津波でお寺も墓も流され、多数の檀家さんを失いました。
 10月にやなせさん本人の歌を生で聴き、大変感銘を受けました。うちの檀家さん達にも是非聴かせたいと思い、やなせさんからも許可をいただき、映像でのコンサートとなりました。早坂住職の詩に込められた思い、やなせさんの優しくも力強い歌声、美しいメロディが印象深いです。亡き人、亡き故郷に捧ぐ鎮魂歌であり、明日への生きる希望の歌でもあります。檀家さん達も涙ぐんでいました。

 以下、当日流した曲です。最初の3曲は以前タイムラインでもUPしましたが、4曲目は初めて紹介します。

1.「春の雪」 http://www.youtube.com/watch?v=dJ9AZkOBanA&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw

2.「まけないタオル」 http://www.youtube.com/watch?v=kJhadSWD3oU&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw

3.「千年眠れ」 http://www.youtube.com/watch?v=Uvg6LNZeqM0&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw

4.「ほんとうの空の下で~“フクシマ”を想うとき~」 http://www.youtube.com/watch?v=5NF-T4L-4Kw&feature=c4-overview&list=UUPU8fUJalBhCVFlVTXTuoHw

2013.12.12 やなせななさんの歌

秋のすくすく畑

2013.11.01

 今日から11月です。10月中も、すくすく畑は自然の恵みをたっぷりと与えてくれました。夏野菜はほとんど姿を消しましたが、ミニトマト、パプリカ、ナスは10月いっぱい粘ってくれました。トマトは熟成して甘みを増し、パプリカは赤、黄の色合いが鮮やかです。ナスはあえて肥大化させ、園で飼育しているスズムシのえさに重宝してます。

 ツリーハウスが出来たおかげで、年長ばかりか年中、年少も頻繁に遊びに訪れます。春のお彼岸で出た大量のお供えの花も、半年以上が過ぎ良質な堆肥に生まれ変わりました。黒柴犬クウも毎朝畑を飛びまわり、堆肥の基になるお土産をちょこちょこ残してくれます。年中さんは玉ねぎやイチゴの苗植えをして、来年6月の年長時に収穫するのを楽しみにしております。年長は大きな栗をいっぱい拾いました。年少さんはサツマイモをどんどん掘り上げ、その場でホイル焼きにして食べました。

 現在は畑一面に、大根がすくすく生長しています。昨年は日照りにやられて発芽率が悪かったのですが、今年は8月末雨が続き、そのおかげで200本以上が順調に生育しています。1か月後、年長園児全員からでかいのを1本ずつ自宅に持ち帰ってもらいます。また、キャベツも丸まるまでもう少し。年長から収穫したてを生かじりしてもらおうと思います。有機無農薬栽培を10年続けると、虫の被害がほとんどなくなるのを実感しています。すくすく畑、11月もよろしく!

2013.11.01 秋のすくすく畑

アンパンマン

2013.10.15

 12日の「うさぎの秋まつり」で、アンパンマンのダンスを先生達が踊ったばかりですが、そのアンパンマンの生みの親であるやなせたかしさんが、13日に94年の生涯を閉じました。ご冥福をお祈りいたします。以前「園長のつぶやき」で、アンパンマンの歴史と作者の思いについて紹介したのですが、今回やなせさんの訃報を聞き、改めて掲載させていただきます。(長文すみません)

 『テレビや新聞で取り上げられたのでご存知の方も多いと思いますが、昨年(2008年)、アンパンマンは、その原形が生まれて4…0年、テレビアニメ化されて20年の節目を迎えました。
 元々は、漫画家やなせたかしさんが1986年に発表した、大人向け連作童話の一遍だったそうです。最初は大人のヒーローで、頭部も普通の人間でした。ただし、空腹の人のところにパンを届けるという骨子は同じでした。
 5年後に子ども向けに絵本にした時に、あんパンのキャラクターに変えたところ、次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到するようになりました。読者の中心である子ども達に合わせ、アンパンマンの体型も初期作品の8等身から3等身へと変わります。
 絵本がシリーズを重ねていくに伴い、アンパンマンの仲間や敵のキャラクターが増えていきました。当初はアンパンマン1人だったのが、続編でしょくぱんまんやカレーパンマン、「話をおもしろくするための敵役」としてバイキンマン、さらに「1人じゃかわいそう」と仲間のドキンちゃんを生み出しました。「パン食が増えているのは、農協に申し訳ない」(やなせさん)と、おむすびまんを加える気配りもありました。
 1988年にアニメとして放送されることが決まった時、プロデューサーがやなせさんにこう持ちかけたそうです。「顔をちぎって誰かにあんパンを与える場面はグロテスクだ。どこか別の場所から取り出すことにしたい」。
 これに対し、やなせさんは拒否しました。「自分もおなかいっぱいじゃないのに、困っている子ども達にパンをあげる。人が正義を貫くときは、痛みを伴うということを表したものだ」と。また、アフリカ等でたくさんの子ども達が飢えで苦しんでいることに対しても、特別な思いがあったそうです。「自らが傷ついても他人を助ける」、底流にはやなせさんの信念が横たわっています。
 さて、おなじみのアンパンマンの歌ですが、この歌詞は本当にすごいですね。

 「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱い心燃える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ 胸の傷が痛んでも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

 何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ! 忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君は飛ぶんだ どこまでも そうだ 恐れないで みんなのために 愛と勇気だけが 友達さ ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

 時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ どんな敵が相手でも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため」

 「何のために生まれて 何をして生きるのか」。この哲学的な歌詞を、子ども達は何気なく口ずさむのですが、現代の若者は、自分が生まれてきた目的がわからず、日々もがいているような気がします。そして、凶悪な犯罪に走ってしまう者もいるのですが、アンパンマンの単純なストーリーや歌の中に、もしかしてその答えが見つかるのかもしれません。

 やなせさんは言います。「子どものころから、自分は何のために生まれてきて、何をするのかを考えていれば、ある時点で、人生の方向をはっきりとつかむことができるんです」と。
 これからもアンパンマンは、子ども達のヒーローであり続けるのでしょうね。』

2013.10.15 アンパンマン

「研修の成果」って?

2013.10.15

(若草リレーブログより転載)

 園長です。今日は幼稚園を臨時休園させていただき、天真幼稚園の公開保育&全体研修会(酒田地区私立幼稚園連合会主催)に参加しました。他の園の保育を見ることは普段なかなかないので、本当に貴重な機会です。天真さんの保育の様子で、自園にも取り入れたいことなど気づきがたくさんあり、うちの先生達、皆熱心に勉強してました。講演会も充実した内容で、非常に刺激を受けました。

 最後に、「今回の研修の成果を、我が園の保育に活かしていきたいと思います・・・」と書けばそれで終わりですが、「研修の成果」って、いったいどうやって把握できるのだろうか?と時々思います。以下は、昨年度の「鳥海」(酒田地区私立幼稚園連合会発行の研修報告集)に寄せた文章です。

「今年度の教育研究会の活動、お疲れ様でした。様々な研修がありましたが、皆さんしっかりと身に付かれたでしょうか?よく、先生達の研修後の感想文に、「研修の成果を保育に活かしていきたい」とありますが、成果ってどうやって把握するのでしょうか?
 成果には、数値化できるものとできないものがあります。数値化できるものとして、従事する仕事の実績の変化があります。例えば営業マンを対象にセールス・スキルに関する研修を行います。 その後営業マンの売上実績が、 研修を境にして向上し、本人も「研修で学んだことが役にたった」 という認識を持てば、 研修は成果があったと言えます。
 一方数値化できないものは、態度や意欲など、人の内部の意識から来る変化です。「人間がどのように変わったか?」ということを、数値化することは困難です。幼稚園の先生達の場合もこちらに当てはまるでしょう。
 しかし、例えば研修後に、自分が幼稚園教諭として更にやる気に満ち向上心に溢れ、保育の現場で、具体的に研修内容を活用する方法を理解しているのであれば、それは成果があったと言えるかもしれません。しかしそれだけでは不十分です。主観的に把握するだけでなく、客観的に把握されなければいけません。それは職場の上司、同僚であったり、保護者であったりしますが、何よりも、子ども達から把握されなければならないのではないでしょうか。子ども達は無意識のうちに、教師を判断し、評価し、把握しているのです。
 その意味で、成果とは本当に根気がいるものであり、先生達の日々の努力、そしてそれを取り巻く人々の客観的裏付けによって、初めて獲得ができるものなのです。」

2013.10.15 「研修の成果」って?

「おかえり」

2013.10.09

 (フェイスブックより転載)
保護司になって10年が経ちました。罪を犯して服役した後、出所した人を一定期間保護観察します。「おかえり」は、なかなか難しいですが、人生はやり直しの連続です。4年前に書いた文章ですが、N君のことは時々思い出します。

「対象者N君の死」(「園長のつぶやき」2009-7-15より)

 先日、N君のお母さんから電話があり、息子のN君の死を知らされました。私は驚きで声も出ませんでした。なぜなら、その前日、N君のお母さんの家を訪ね、N君が他県で元気で働いていることを聞いたばかりだったからです。ここ数年、N君とは会うことも電話で話すこともなかった私ですが、なぜかその日、ふとN君のことを思い出し、お母さんに近況でも聞こうと訪問したのでした。その翌日、N君は心筋梗塞のような発作で倒れ、そのまま意識が戻らず亡くなったそうです。「虫の知らせ」と言いますが、私はN君からの何かしらのメッセージを受け取ったのかもしれません。

 私は、6年程前から保護司を務めています。犯罪を犯して刑に服した人が、出所してから、社会で更生できるようにサポートする役割です。刑の重さにより保護観察期間は長短ありますが、短いので数ヶ月、長くなると数年間にわたり、1ヵ月に1~2回会って、真面目に生活しているか、きちんと遵守事項を守っているかなどを確認し、保護観察所に報告します。保護観察する相手のことを対象者といい、時には対象者からの相談に乗ったり、対象者と親族間で人間関係がうまくいってなければ、その仲介をしたりします。

 N君は、私が保護司になって初めての対象者でした。当時30代前半、覚せい剤使用等の罪(2度目)で、数年間服役して出所してきました。会って話してみると、素直で優しそうな感じで、とても犯罪を犯すような印象ではありませんでした。事件の詳細やその背景を探ると、友人からの誘いにずるずるとはまり、薬物依存になってしまった結果でした。薬物事件は再犯率が非常に高く、彼も一度失敗しています。彼が今度こそ薬への依存を断ち切れるか、それが私の懸念でした。

 N君本人も十分に反省し、もう二度と犯罪を犯すことはしないと私に誓いました。やはり刑務所での生活には戻りたくないという気持ちが強いだろうし、家族に迷惑をかけた分、その償いもしなければという思いもありました。

 私も保護司として初めてのケースであり、何とかN君の更生の役に立ちたいと強く思いました。まずは、彼が地元で生活していくために、仕事を見つけなければなりません。ハローワークに一緒に行き、彼が以前やっていた鳶職の求人を探します。何社かあり履歴書を送るのですが、いぜ面接にこぎつけても、前科があるということが分かると、この不況の時代に採用してくれるところはなかなかありませんでした。私も一緒に知り合いの会社を訪れ、採用をお願いするのですが、いい返事はもらえませんでした。

 仕事が見つからない間、N君からは時々、すくすく畑の作業の手伝いをしてもらいました。薬に依存した生活から刑務所の中での生活と、明るい日差しの下で健康的に毎日を送る機会が長い間なかったN君にとって、土や野菜、虫達に触れることは、かなりの刺激だったようです。採れたてのトマトやキュウリをガブリと美味そうに食べたり、堆肥作業でミミズやカナブンの幼虫を見つけ、歓声を上げていました。ナスをその場で焼いて食べさせると、「ナスってこんなに美味しいものなのですね」としみじみ呟くのものでした。また、森の山まつりの準備でも、運搬作業等を頑張ってもらい、最終日の反省会では少しながらお酒も口にし、周りの人と交流も持つことができました。もちろん薬への依存は、きっぱり断ち切っていました。

 少しずつ社会に適応していき、ようやく鳶の仕事が見つかったと聞いた時は、私も嬉しく、ホッとしたものです。保護観察期間が終わり、晴れて自由の身になったN君は、県外にも仕事の口を見つけ、出稼ぎにも行くようになりました。私はもう心配いらないだろうと安心し、また、保護観察が終わったこともあり、その後N君との連絡は途絶えがちになりました。

 それが何年もたってから彼のことを思い出し、自宅に近況を訪ねた翌日に、彼の死に直面するとは、本当に衝撃でした。N君の死を、私の潜在意識の中で予知し、こんな行動をとらせたのかもしれません。 

 しかし、死とは、今生での役割を終え本来の世界に戻っていくことと理解している私は、彼の死を悲しむというよりも、彼がこれまで何を成し遂げてきたかということを考えました。彼のお母さんから、仕事場では一生懸命真面目に働き、同僚からも信頼されていたということを聞き、彼は十分に更生したのだなと確信しました。早すぎる死でしたが、彼はこの世の生を全うし、本来の世界に帰っていったのだと思います。

 N君との出会いから、その後5人の対象者の保護観察を行いました。薬物や窃盗、傷害などいろんな犯罪を犯してきた者に会いましたが、彼らの更生にかける思いは真剣なものです。なかなか難しいことですが、底辺からはい上がり、更生しようと努力している者もいるのだということを、社会からも理解いただきたいと思います。

 初めての対象者、N君の死を通して、いろんなことを考えさせられたこの頃でした。」

2013.10.09 「おかえり」

酒田市巡回駅伝(「若草リレーブログ」より転載)

2013.09.13

 9月8日は、恒例の酒田市巡回駅伝が行われ、若草からはPTA・OBの2チームが参加しました。今回で5年連続の出場となります。2チーム合計24名のメンバー、そのほとんが現役の保護者または保護者OBです。上の写真は、PTA・OBそれぞれのチームの同じ区で走るメンバーの2ショットです。皆さん走る直前で、内心はとても緊張しながらも、まだ余裕の表情です。

 でも、走り終わると・・・・

 こんな風になるのです。たった3キロから5キロなのですが、その分ペースはマラソンなどよりもだいぶ速くなり、短時間ながらかなり自分を追い込んでしまいます。だから、襷をつないだ直後は、ホッとすると同時に力尽きてしまいます。まあ、回復も早いですが。

 そして、すべての走者が走り終えれば、もう後は笑顔のオンパレード。実はトップから30分以上離されると、その時点で襷が切れ繰上げスタートになるのですが、過去何度もその経験をしている若草チームなので、プレッシャーもけっこうあるのです。でも今回は2チームとも襷が無事につながり、みんな達成感でいっぱいです。それどころか、毎年最下位争いをしている2チームですが、今回はPTAチームが2部部門の7チーム中堂々の3位(1部は学区チームでレベルが高い)。閉会式で賞状と盾をいただき、思わぬご褒美でした。左下の写真は、5回連続出場で記念のメダルを貰った加藤選手と佐原選手。やはり継続は力ですね。

 駅伝なんてハードルが高くてとてもとても・・・と思う方もいると思いますが、参加しているお父さんたち(お母さんも)は、過去にメタボ体型だったり、運動なんかほとんどしたことがなかったりなど、皆さん中年になり自分の健康に不安になり走り始めたという人が多いのです。今回走った選手で、過去に120キロの体重を誇った(?)方もいるぐらいです。あるお父さんからは、「健康診断の数値がすべて改善した。走るようになって本当に良かった!」との嬉しい報告がありました。

 タイムも速い人もいれば、遅い人もいる、それでいいのです。みんなでカバーし合えばいい。走っているうちに、汗をかく気持ちよさを知り、大会に恐る恐る参加してみる、襷をつなぐことの意味を知る、やってよかったという心境になるようです。

 また、2チーム合計24名の大所帯なので、選手の搬送や写真の撮影など、サポートの役割を担うメンバーにも今回はとても助けられました。皆が自分の役割を全うし助け合って頑張った結果なので、ゴール後はとても清々しい気持ちになりました。反省会も盛り上がったのは言うまでもありません(笑)。

 若草幼稚園のPTA活動の根幹には、「大人が輝けば子どもも輝く!」という理念があります。駅伝に限らずどんなことでもいいから、大人が情熱を持って何かに取り組む姿勢を見せれば、子どもはその背中を見て自らが輝くきっかけになるのだろうと思います。

 メンバーの皆さん、お疲れさまでした! 興味を持った方、一緒に走りましょう!

2013.09.13 酒田市巡回駅伝(「若草リレーブログ」より転載)

お茶しませんか

2013.07.24

(フェイスブック-7/23-より転載 )

 昨日22日は幼稚園の1学期終業式だったのですが、教頭先生に式のことはお願いして、私は南三陸の仮設住宅へ行茶、傾聴活動に行ってきました。庄内の曹洞宗の若手僧侶達が、震災直後から現地でボランティア活動を行っており、2年以上が経過した今でも、毎月被災地へ赴き、住民の方々と交流を深めています。私は若手ではありませんが、彼らの情熱、行動力には素直に頭が下がり、自分も時々仲間に入れてもらっています。

 今回は南三陸の歌津地区の6ヶ所の仮設住宅を、3班(計11名)に分かれ、午前と午後そ…れぞれ訪問してきました。お坊さんだけでなく、寺族の会(お寺の奥さん達の組織)の方々も一緒だったので、前回私が参加した時よりも華やいだ雰囲でした。
 行茶とは、仮設住宅の皆さんにお茶やお菓子をふるまうことで、そこで皆さんの話し相手になることが傾聴です。集会所に10名前後の方々から集まっていただき、和やかな雰囲気の中で世間話をしました。寺族の皆さんが持参したナスやきゅうりの漬物が好評で、そのせいか地元の野菜談義に花が咲きました。私も畑の話は得意分野なので、傾聴でなく自分が率先してしゃべってしまったようでした(笑)。

 津波に関しては、皆さん淡々と話していました。印象的だったのは、90代のお婆さんの話でした。過去において2度の津波(1933年の三陸津波、1960年のチリ地震後の津波)を経験したことで、「大きい地震の後には必ず津波は来る、ゆれが治まっても絶対に戻ってはだめだ」という教訓を守ったそうです。しかし多くの住民が、地震と津波の間のタイムラグを軽視して、自宅に戻り犠牲になってしまったということでした。長い人生で「経験がものを言う」ということをまざまざと感じました。
 また、逃げる時に何を一番に持っていったかという話に、年配の方々は、財産よりも亡き夫(妻)の位牌だったと答えていました。夫の位牌を置いてきてしまったご婦人は、「今でもそれが悔やまれる」としみじみ話していました。形はなくても、自分が一番心を寄せた存在の証が、何よりも大切なのです。震災から2年以上が過ぎ、皆さん淡々と話す姿から、身内を亡くした悲しみを乗り越えつつあるのかと思いました。しかし、以前に訪問した際(私は参加せず)、一人のお坊さんが御詠歌を唱えた時、その詩と調べに、その場にいた住民の方々は号泣したそうです。

 最近は、新たな居住地に移る人も出てきて、去る人、残る人それぞれの葛藤もあり、仮設住宅のコミュニティの存続も問われています。また、雇用の確保や老後の生活の不安等、様々な問題を抱えているのが被災地の皆さんの現状です。
 私自身は中途半端な関わりしかできませんが、今後も、できる範囲で活動を続けていきたいと思います。庄内の若手僧侶のこれまでの活動に敬意を表すると共に、活動の一端も紹介させていただきます。もし良かったら下記をのぞいてください。
http://blog.goo.ne.jp/sugarsoul44822

2013.07.24 お茶しませんか

デジャブ

2013.07.24

(フェイスブックより転載)

 1週間ほど前、昼食後にホールでサッカーに興じていた年長の子ども達。かもめ組VSかなりや組は、惜しくもかなりやが負けました。そして、悔しくなったY君は、大粒の涙をこぼすのでした。それが上段の写真です。その顔を見て、(この顔と状況、前に見たなあ~)と思った私。思い当りました!7年前に兄のK君も、同じようにサッカーで負けて泣いたのでした。それが下段の写真です。

 この写真は、たまたま若草HPの「子どもの名言」(https://wakakusayouchien.com/quotation/559.html)に掲載した写真です。その時の文章は、
(タイトル「立つんだジョー!」)「12月12日、雨上がりのグランドでサッカーに励む年長達。この日はかもめ組がかなりや組を大差でリードしていました。途中4点差が付いたところで、K君が悔しさのあまり泣き出しました。
 悔しさを素直に表すところも彼のいい部分ですが、私が「試合中に泣くな!頑張ればここから逆転できるぞ!」と叱咤激励しました。そこからのK君の奮闘ぶりがすごかった。グランドを走り回り、1点差まで詰め寄る活躍を見せました。
 結局負けましたが、試合後はすがすがしい表情のK君でした。(肝心のその写真は撮ってなくてすみません。) 」

 やっぱり兄弟ですね。7年間の時を超え、デジャブ現象を体験しました。しかも同じかなりや組だ。季節は違うけど。
 兄の背中を追え!Y君。

2013.07.24 デジャブ
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