山形県 酒田の幼稚園『若草幼稚園』です。
園内の様子や入園のご案内の情報をご紹介します。

幼稚園 〒998-0037 山形県酒田市日吉町1-4-34
TEL 0234-22-2132 FAX 0234-22-9740

ベビールーム 〒998-0062 山形県酒田市北新町1-1-58
TEL 0234-25-5191 FAX 0234-25-5192

前園長ブログ

年別ア―カイブ: 2016

「5/28 くりの木会(卒園生の集い)」(フェイスブックより)

2016.10.05
28日の午後は恒例のくりの木会。何と130名もの卒園生が集まってくれました。皆の成長した姿を見ることができて嬉しかったです。園歌も覚えていてくれました。今ではおそらく狭い!と感じたであろうホールや園庭でいっぱい遊びました。サッカーは全学年入り乱れて白熱の展開。ツリーハウスやアスレチックに登って井戸端会議。すくすく畑で水浴び。昨年開通したばかりの森の山探検道を散策、等々。
短い時間でしたが、園児時代の日々を少しは思い出したでしょうか。子ども達は後ろを振り返らないかもしれませんが、年に一回くらいは幼かった自分に戻ってほしいと思います。卒園生の皆さん、ありがとうございました!また来年も待っています!企画、運営、進行と頑張ってくれた琢成小6年生の皆さんにも深く感謝します。
 
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「守屋さんの思い出と娘さんの夢」 (リレーブログ5/26より)

2016.10.05

今日のブログは園長です。昨日25日付けの山形新聞の庄内版のコラム「20年後のぼく・わたし」に、卒園生の守屋はなさんの文が掲載されていました。彼女の将来の夢は、お父さんのようにイタリア料理店のシェフになることなのですね。はなさんの父、剛さんは昨年の6月、病気で亡くなりました。享年45歳の旅立ちでした(奥さんより実名掲載の許可をいただきました)。

守屋さんの病気がわかったのは、はなさんがまだ幼稚園の時でした。当時、御自身がオーナーシェフとして切り盛りしていたダイニングバー「メリメロ」(中町)は、大変評判が良く、私もよく園の保護者達と一緒に訪れたものです。彼が作る料理に舌鼓を打ちながら、美味しいお酒をいただきました。はなさんが記事に書いている通り、いつも笑顔で接してくれる温かな人柄でした。また、物事の本質を的確に捉える聡明さも合わせ持っている方でした。証券会社を退社し料理人の世界に飛び込み、一から修行して自分の店を持つまでには大変な御苦労があったと思います。でもそんなそぶりは全然見せず、ユーモア溢れる話題で皆を楽しませてくれました。

せっかく自分の店を持ち繁盛していたのに、病気のため閉店しなければならなくなった守屋さん、辛くて断腸の思いであったことでしょう。でも彼は前を見据え、病気に対してもきちんと向き合っていました。奥様のサポートもとても献身的でありました。旦那さんの看護に子育てにと、本当に大変だったと思いますが、常に笑顔を絶やさず一生懸命な姿が印象的でした。

はなさんが年長組になった時に、守屋さんは私にこう言いました。「園長先生、自分が動けるうちに、娘の姿をこの目でできるだけ見ておきたい。なので、園の行事に可能な限り参加させてほしいのです」。もちろん大賛成です。当時治療のため入退院を繰り返しながらも、体調が落ち着いている時はよく園に来て、年長園児のためにスナップ写真を撮っていただきました。また、お父さん先生として様々な行事にもお手伝いいただきました。恒例の創立記念パーティの「若草の祭典」では、うぐいす組の余興「白鳥の湖」の演出をし、本番では抱腹絶倒、大喝采を浴びていました(守屋さん本人は体調不良で参加することができませんでしたが)。

そして、はなさんの卒園から5年が過ぎた昨年6月29日、彼は逝きました。彼の人徳で大勢の方々が葬儀に参列され、当時幼稚園で親交を深めた保護者の皆さんも、沢山見送りに来てくれました。早すぎる死、悲運だと人は思うかもしれませんが、私は、彼は今生での役割を終え、本来の世界に戻っていったのだと思います。家族に深い愛情を残して。

はなさんの文章に、園児の時にお店で働く父親の姿を見て、「かっこいい」と思ったことが書いてありました。生前のお父さんの「できるだけ娘の姿をこの目で見ておきたい」という思いの期間は、逆に娘からも、父の姿をしっかりと見ることができた期間だったのだと思います。だからはなさんの夢は、父のようなシェフになることなのでしょう。家族が幸せな気持ちになってほしいと願うはなさん、夢の実現を目指して頑張ってほしいと思います。

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「5/21 酒田まつり御礼」(フェイスブックより)

2016.10.05

昨日の酒田まつり山車行列に参加された皆さん、お疲れ様でした!子ども達、最後まで山車を引っ張りきりました。写真は山車を倉庫に納めた直後のシーンです。協力いただいたお父さん達、本当にありがとうございました!(被り物などを製作して下さったお母さん方にも感謝いたします)。園児も頑張り、保護者も頑張った。その分反省会では、ミッキーのパレードなど見向きもせずひたすら給水しました。一番最後まで反省したのは、デンマークの親子でした(最後は屋台村)。だいぶ酒田の伝統文化を満喫したようです。

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「4/23 露骨な態度」(フェイスブックより)

2016.10.05

お寺の黒柴犬「クウ」(メス4才)は、幼い頃は毎日のように園に通って子ども達と遊び、サッカーボールを追いかけていました。しかし成長するにつれ自我が芽生え(?)、子ども達から一斉に触られるのがイヤになり、今は園には行きません。家ではいたって穏やかなのですが、身内の者以外から触られるとキレ顔になります(かじりませんが)。
先日のすくすく畑で、木村PTA会長から撫でられるクウ。「何するの、やめて!」と威嚇しています。ところがデンマーク人の若きクリストファー(クリ先生)から触られると、とたんにウットリ。態度が違いすぎる…。これが乙女心か?木村会長に失礼だとは思わないのか、クウ。

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「仮設住宅での再会」 (リレーブログ4/20より)

2016.10.05

今日のブログは園長です。熊本県内を中心とした大地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。まだまだ収束は先になりそうで今後が不安ですが、何とか乗り越えていただきたいと思います。

東日本大震災からは5年が経過しました。震災発生後すぐに現地の炊き出し等、ボランティア活動に従事した庄内の曹洞宗のお坊さん達は、現在でも被災地に足を運んでいます。私もたまに同行し、主に宮城県内の仮設住宅を回り、傾聴活動に従事しています。傾聴(けいちょう)とは、文字通り相手の方の話に耳を傾けることで、話し相手になることで少しでも被災住民の心の癒しになればの思いで続けています。

今日20日は、石巻の新栄団地仮設住宅に伺いました。仮設に住む被災者世帯は徐々に減り、現在は8世帯だけだそうです。それでも集会所では、十数名の方々(ほとんどご婦人)が待っていてくれました。こちらから持ち込んだお茶やお菓子をふるまい、和やかに会が始まりました。私はこの集会所は初めてだったので、自分が幼稚園の園長だと伝えると、あるご婦人が「うちの妹の孫も、震災後に酒田の幼稚園でお世話になりました」と言ったのです。当時酒田市内の幼稚園に被災地から転入する園児はけっこういたので、「そうですか。うちの園にも何組かいました」と世間話のように会話を続けましたが、一応名前は聞いておくかと尋ねたところ、「○○です」との答え。「えっ、もしかしてMちゃんとT君のお宅ですか?」、「そうです」、「お~~!」。

全く見ず知らずのところに伺い、何気ない会話の中で共通の知人の話に出くわすことはたまにありますが、今回は、このような傾聴活動を続ける中での偶然ということで、何か縁というか絆を感じました。さっそく連絡してくれて、お母さんがわざわざ駆けつけてくれたのです。

震災当日、ゴウゴウとうなるような音で何十メートルにもなる津波が背中のすぐ後ろを追いかけてきたのを、子ども達の手を引き命からがら逃げてきた…。若草に転入した時、そう語るお母さんの話は今でも鮮明に覚えています。今では中学生と小学校高学年になった姉弟の写真を見せてもらいながら、再会を喜び合いました。偶然に感謝です。

現在熊本県付近では、毎日繰り返し発生する地震に予断が許さない状態です。こちらからは遠くてなかなか現地までは行けませんが、全国から志ある方々がボランティアに動いております。早急の衣食住の確保、ライフラインの復旧が成されれば、その後に必要となるのが心のケアです。九州近隣の曹洞宗のお坊さん達も、長い時間をかけて傾聴活動を行うことになると思います。ただ、今は現地の状況の推移を見守るしかありません。何とか乗り越えてほしい、それだけです。

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3/31「玄関先で…」(フェイスブックより)

2016.10.05

幼稚園最後のプレイのお迎えに来た年長組Cちゃんのお母さんが帰り際、玄関で涙ぐみました。それをCちゃんが見て、「お母さん泣いてる~!」と笑ってからかうのでした。でも、いざ自分が帰ろうとした時、担任のT先生から抱きしめられたCちゃん。すると、思わず自分も涙がポロポロこぼれるのでした。Cちゃん、さようなら。元気でね。

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「3/18 H小学校の「卒業記念祝賀会」(フェイスブックより)

2016.10.05

小学校から卒業祝賀会の案内が来ることはほとんどないのですが、H小学校からは2年連続で届きました。昨年は自分の息子も小学校卒業で重なり行けなかったので、今年は参加させていただきました。
卒業生40名中若草出身は3名だけでアウェイの感じかなと思いましたが、皆さん気さくで和やかな雰囲気の会でした。3人の保護者とは久々の再会で大いに盛り上がりました。6年間は長いようで短いようで…積もる話に花が咲きました。左からA・S君のお母さん、園長、S・Y君のお父さん、K・Mちゃんのお父さんです。

3人の卒園生の今の姿は見てませんが、きっとたくましく成長したことでしょう。卒業おめでとうございます!平成21年度のHP写真から3人の年長時の画像をピックアップしてみました(3人共にかもめ組、担任はM・S先生でした)。
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「釈迦」と「あかつき」、2500年後の奇跡(若草リレーブログ2016-02-10より)

2016.10.05

今日のブログは園長です。昔インドを旅した時、釈迦が悟りを開いた場所(ブッダガヤ)でお参りしました。そこには菩提樹が生い茂っており(当時のものではなく3代目と云われる)、この木の下で釈迦はずっと坐っていたのだなあと思いを馳せました。なかなか実感はわきませんでしたが。

釈迦はその菩提樹の下で、約2500年前の「12月8日」に「明けの明星」を見て悟りを開いたとされます。「明けの明星」とは「金星」です。なぜそう言われるのかというと、金星は地球から見える星の中で、最も明るく見える星だからです(太陽と月を除いて)。

そして昨年の12月、金星探査機「あかつき」が金星の周回軌道の投入に成功しました。12月7日に投入が行われ、9日に成功が確認されました。おそらく12月8日には軌道に乗ったと思います。その時は何も思わなかったのですが、後になって私はその事実に気付き、驚愕しました。

約2500年前の12月8日に、金星を見て悟りを開いた釈迦、そして2500年後の12月8日に、金星の周回軌道に乗った「あかつき」。これは単なる偶然なのかもしれませんが、私はそうは思えないのです。

宇宙の真理にも連なる仏教の創始者と、人類の叡智を結集して作られた宇宙の探査機が、「金星」と「12月8日」という共通項で結ばれました。2500年の時を経て。私はその壮大なロマンに心が震えました。(ただネット中を検索しても、この偶然に言及している人はいないようでした。)

やはり単なる偶然ですかね(笑)。

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「しゃぼん玉」と「七つの子」

2016.01.27

16日の私立幼稚園PTA連合会の研修会の講師は、備前音楽スタジオ主催の備前加奈さんで、『歌で育む親子の絆「童謡が教えてくれる情愛」』というテーマでお話していただきました。講演の詳細は、1/22にフェイスブックにUPしたM先生の「ばら組クラス通信」を見ていただきたいと思います。
 お話の中で備前さんは、野口雨情の童謡「しゃぼん玉」と「七つの子」に言及されていました。私も以前、この2つの曲に込められた思いを知り、7年前に「園長のつぶやき」に書きました。今回改めて掲載させていただきます。

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「檀家さんの中で、ご先祖の多いお宅で読経していると、気付くことがよくあります。それは、「童子」や「童女」、「孩児」や「孩女」、「嬰児」や「嬰女」などの幼くして亡くなった子どもの戒名が、昔の位牌や過去帖(戒名を羅列したもの)に多く見受けられることです。

医学が今のように発達しておらず、食糧事情も悪かった時代は、病気で亡くなる子どもが沢山いました。発展途上国は、現代でも子どもの死亡率は大変高いです。日本は今はとても恵まれていることを実感しますが、普段何気なく口ずさむ童謡の中にも、当時の幼子に対する想いを綴った歌があります。

「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ 風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ」

園児がしゃぼん玉を飛ばしている所を見ると、この歌がすぐ心に浮かびます。この童謡の作者の野口雨情は、我が子を2人病気で亡くしており、長女のみどりは生まれて8日目、次女の恒子は満2歳で亡くなっています。まさにしゃぼん玉のように、生まれてすぐに、飛ぶ前にはかなく逝ってしまいました。「風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ」は、我が子に対する切ない想いが込められてるのですね。

もう一つ、同じ野口雨情の童謡で、おなじみの「七つの子」があります。

「烏なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの子があるからよ
可愛可愛と 烏は啼くの 可愛可愛と 啼くんだよ
山の古巣へ いって見て御覧 丸い目をした いい子だよ」

カラスは普通3~5個の卵を産み、全部が孵ることはないそうなので、7羽の子ども説は否定されます。また、カラスの平均寿命は5~7年ですが、厳しい自然の中でその大半は育ちません。よって、7才のカラス説も成り立たないそうです。では、この「七つ」とは一体なんの事なのでしょうか?

人間に換算して七つだ、という意味であるという説が有力だそうです。雨情はこの「七つの子」を人間の7才の子にだぶらせて書いたとも言われています。「七つの子」には七五三の行事でも見られるように、子どもの成長の節目としての3才、5才、7才という段階があり、生まれても幼いうちに命を失うことの多かった時代に、3才まで、5才まで、と無事に育って、ここまで育てば一つの安心となる7才になったその象徴としての「七つの子」という言葉ではないか、という説です。幼くして我が子を亡くした雨情にとっては、まさに心からの願いとしてこの歌を作ったのかもしれません。

しゃぼん玉は、こわれて消えればそれでおしまいですが、人間の命は違います。たとえこの世に生を受けすぐに逝ったとしても、肉親から受けた、あるいは肉親に与えた愛情や慈悲の心は、いつまでも残り続けるのでしょう。だからこそ雨情はその想いを歌に託し、その歌に共感した人々がその想いを伝えていく。短い命だったとしても、こんなふうに命の役割は果たされていくのだと思います。

檀家さん宅の仏壇の中の古い小さな位牌、もしかして今はその存在の記憶は子孫には残っていないかもしれませんが、この世に生を受けた証しとしての何らかの想いは、代々その家に伝わっているのだろうと思います。 」

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「その1秒を削り出せ(箱根駅伝と巡回駅伝)」 *若草リレーブログ1/17より転載

2016.01.27

今日は園長です。いよいよ明日8日は始業式。プレイとベビーは一足先に始まっていますが、全園児が揃い新年のスタートを切る日は、やはり感慨深いです。明日、ホールでの始業式の様子もUPするので楽しみにしてて下さい。

ところで皆さん、箱根駅伝は見ましたか?今年の青山学院大学は強かったですね!青学のメンバーが速かったせいで、繰り上げスタートが今回は8校も出てしまいました(トップから20分遅れると襷は切れ繰り上げとなる)。襷を渡そうとしたが後4秒のところで繰り上げとなり、目前で次のランナーが別の襷で走り去っていった大野選手(9区 神奈川大学)の心情を思うと、本当に気の毒で泣けてきます。でも、これが箱根なのですね。

若草幼稚園の保護者が「酒田市巡回駅伝」に出場するようになったのは、箱根駅伝の影響が大きかったからです。それ以前は、私は個人的に琢成学区チームで走っていました。でも箱根駅伝で毎年感動をもらい、是非若草でもチームを組んで出場してみたい、襷をつなぐ感動を是非保護者と共に味わいたい!と思ったことがきっかけでした。初出場から7年経ち、現在では現役PTAとOB2チームが毎年出場しています。

巡回駅伝にも繰り上げルールがあり、トップから30分遅れると襷は切れて、白の襷を付けて走らなければなりません。当初は、両チーム揃って襷をつないでゴールすることはなかなかできませんでした(OBチームが途切れていました)。順位やタイムにはこだわらない素人チームなので当然なのですが、やはり汗のしみこんだ襷を最後のゴールまで持っていきたいという思いは強く、いつしか練習にも身が入るようになりました。そして3年前の駅伝で、2チームが見事に最後まで襷をつないだ時は、本当に嬉しかったものです。当時のOBチームの苦労と歓喜は、このムービーにまとめられています。ビフォーアフターのパロディ風に。https://www.youtube.com/watch?v=8DK3GjUxaoE

そして昨年の巡回駅伝は、更なる衝撃がありました。何と現役PTAチームが「サブスリー」を達成したのです。サブスリーとは、市民ランナーがフルマラソンを3時間を切るタイムで走ることで、これは本当に難しいです。それを、例え12名の合計タイムとは言え、初出場がほとんどの初心者ランナーである年長保護者達が達成するとは!!(もちろん出場チーム全体から見れば順位は下位ですが)。過去7回の出場で(現P、OB)、初めて3時間を切りました。これは快挙です。10月のつや姫マラソンに出場したメンバー達だったので、早い時期から一生懸命練習してきた成果が出ました。また、現Pチームをまとめた大塚さん(かもめ組部長)の懇切丁寧な指導と励ましも大きかったです。チーム記録は「2時間59分48秒」。大塚監督が言うには「メンバー1人が1秒背負い、12名で12秒縮めた結果であると」。偶然なのですが、すごいタイムです。1秒1秒の積み重ねの何と大きいことか。(下の画像は昨年11月の巡回駅伝PTAチーム)

「その1秒を削り出せ」。今年の箱根駅伝でも、東洋大学の選手が自分の腕に大きく書いて走っていました。5年前の箱根で、優勝した早稲田に21秒差で敗れて以来、選手皆で体現する「東洋大スピリッツ」です。

箱根の選手と、若草保護者ランナーとを同列に語ることは大変恐縮なのですが、若草チームは「その1秒」を削り出しました。

駅伝に限らず、この「1秒」、つまり「小さなことの積み重ねが大きな成果を得る」ということを大事にしていきたいと思いました。「小さなことを積み重ねること」、これが私の「今年の目標」であります。

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