熱狂ワールドカップ
2009.12.05ついに来年のサッカーW杯の組み合わせが発表なりましたね。日本はオランダ、デンマーク、カメルーンと、3チームとも強いところと対戦するわけで、大変厳しいリーグに入ったと思います。個人的には、若草卒園生であるクリストファーの母国デンマークと同組になったことにとても驚きました。13年前に、うちの先生達みんなでデンマークの幼稚園の視察旅行に行ったことも懐かしく思い出されます。クリストファーもサッカーを得意としており、帰省した折には若草園児ともボールを蹴り合ってくれます。オランダがいるから難しいですが、日本とデンマークどちらも予選突破してほしいです。
ワールドカップと言えば、私も1990年6月、イタリア大会の現地にいました。当時証券会社に勤めていたのですが、是非本場のW杯を見たいとの思いが募り、1週間の休暇を取りボーナスをはたいて単身現地に飛びました。事前の計画も何もなく行ったため、東京ローマ間の往復の飛行機チケットだけ持ち、宿泊場所や試合の観戦チケットすらない貧乏旅行でした。
ローマに着くと、そこはサッカーの本場、もうワールドカップ一色です。その日はイタリア対アメリカ戦が行われる予定で、ローマ市内は早くもお祭り騒ぎです。ベッドとシャワーだけの汚い安ホテルを探し当て、試合会場のスタディオ・オリンピコ周辺で、粘りに粘り何とかチケットを入手、超満員のスタジアムにもぐりこむことができました。日本代表がW杯に初出場を決めたのは、イタリア大会の8年後のフランス大会です。なので当時はまだ日本人のサッカー観戦者は少なく、観客席で私が1人ポツンと座っていると、ヨーロッパのサポーター達から好奇の目で見られました。
試合はイタリアが楽勝するとの予想と裏腹にアメリカが善戦、イタリアが何度もシュートチャンスを作るのですが、アメリカの堅いディフェンスにはね返されていました。その度にスタジアム全体がブーイングの嵐、イタリア国民は自国の選手にも厳しいのです。フラストレーションがたまる展開でしたが、ついに後半10分にイタリアが先制すると、7万人収容のスタジアムがどっと揺れました。それまでの重苦しい雰囲気から解き放たれたようなものすごい歓声と地響きに、本当に圧倒されました。結局試合は1対0でイタリアが勝利、高らかに喜びの歌を合唱するイタリア国民達でした。ちなみに、後にジュビロ磐田で活躍するスキラッチは、このイタリア大会で頭角を現し7得点を挙げ、イタリア代表のスターになったのです。彼の初々しい姿が目に焼きついています。
その日のローマの夜はもう朝までお祭り状態、箱乗りしてクラクションを鳴らしながら走る車がいっぱいで、また、酔っ払いたちがいつまでもイタリア国歌をがなりたてているのでした。私もその雰囲気を楽しみながらも、シャイなため(?)彼らの仲間に入れず、1人わびしく過ごしたことを覚えています。
その後は、電車で移動して地方に泊まり、ベルギー、ウルグアイ、韓国戦など計4試合を観戦することができました。観戦するたびに、高度な技術、気迫あふれるプレー、統制された組織力に感銘を受け、勝者、敗者の明暗に胸が熱くなりました。選手のみならず、それぞれの国のサポーターのファッションや国旗のフェイスペイントも面白く、その応援の熱狂的な姿に、国の威信をかけた戦いだという印象を強くしました。
1週間はまたたく間にすぎ、お金も底をつき、決勝トーナメントを前に帰国しました。夢と熱狂の余韻を引きずりながら会社に顔を出した途端、「この相場が大変な時に、よくサッカーにうつつを抜かしてられるな」と営業課長の冷たい視線がありました。実は、1990年はバブルの崩壊元年であり、証券会社にとっては株価暴落の大変な時でありました。私もすぐに現実に引き戻され、W杯の興奮はどこかへすっ飛んでいきました。
その後日本も力を付け、W杯の常連になりました。イタリア大会は遠い昔の思い出ですが、私にとってはあの興奮は今でも胸の中にあります。なかなかあれほどの興奮を味わうことはありませんが、サポーターの熱狂度は、ワールドカップを上回るだろうと言われるイベントがあります。
そう、『園児サッカー大会』です!来年の1月31日、年長組が出場します。酒田の幼稚園、保育園のチームが集まり、優勝トロフィ目指してシュート!何せ園児の兄弟、両親、祖父母が大挙して応援に訪れるこの大会、国体記念体育館は超満員になります。酒田にもあったのです、「熱狂ワールドカップ」。皆さん、応援よろしくお願いします!