「閻魔大王と地蔵菩薩」
2018.09.01先日森の山まつりが終わりました。今回は台風やゲリラ豪雨にビクビクしながらも、最終日に無事にお焚き上げ(流れ灌頂)が遂行できてホッとしました。
さて、森の山と言えば「地獄絵」ですが、閻魔大王が平面(二次元?)の世界から飛び出し、四年前から「地獄の裁判所」を開廷しております。今年も大盛況でした。「悪いことをしない事」、「うそをつかない事」に重点を置いて裁判?をしています。
閻魔大王は、亡者が死後五週間目(五・七日忌)に会う裁判官です。ここでの取り調べが最も厳しく、もし嘘をついても、「浄玻璃(じょうはり)の鏡」に罪が映ります。地獄絵の中では、鏡に生前民家に火を放った罪が映し出されています。
地獄行きが決まってしまった亡者たちは、様々な責め苦を受けることになります。生前の罪の深さで八つの大きな地獄に分けられ、罪の重さに応じて、厳しい責め苦がどんどん追加されていきます。地獄では死ねないので、亡者たちは次に生まれ変わるまで、この苦しみを継続して受けなければなりません。
地獄絵で一ヶ所だけ、他と趣が違う絵があります。小さな子ども達がたくさんいる「賽の河原」です。彼らは事故や病気で死んでしまった子達です。親より先に死んでしまった不幸な罪ということで、ここに来てしまうそうです。ここでは子ども達は、詠いながら石を積んでいます。
「一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする 娑婆に残りし父母は 追善供養の勤めなく(ただ明け暮れの嘆きには 酷や可哀や不憫やと)親の嘆きは汝らの 苦患を受くる種となる」(地蔵和讃)
鬼がやってきて、せっかく子ども達が積んだ石の塔を崩してしまいます。子ども達はそれでも、父や母にもう一度会えると信じて石を積み続けるのです。
賽の河原の子ども達の様子を見て、不憫に思ったのが地蔵菩薩です。
「汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよ」(地蔵和讃)
地蔵菩薩は子ども達を、平和な地へと連れていってくれるのでした。
実はこの地蔵菩薩、驚くことに閻魔王の化身(本地仏)と云われています。地獄への恐怖の裁判官として名高い閻魔王ですが、地獄にあっては、子どもや亡者を救済する慈悲の菩薩でもあるのです。ですからどの地獄絵にも、閻魔王と地蔵菩薩が必ず登場しています。