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『先代「だるま寿司」大将、35年前の「大送辞」』

2013年03月28日

卒園式から10日以上経ち、来週からの新年度の準備で、若草幼稚園も忙しい毎日です。ただ、あの日の子ども達の巣立ちの場面、さよならパーティの余韻はまだ残っており、卒園児や保護者の皆さんとの様々な交流の思い出も胸をよぎります。

以前「だるま寿司」さんにたまたま伺った時、現大将の鈴木篤さんから、一枚の紙を見せてもらいました。一目見てとても驚きました。それは、篤さんのお父さんである、先代の故鈴木伸一さんの「大送辞」という文章でした。以前の若草幼稚園では、さよならパーティの時に、保護者が卒園児保護者に対して送辞を送る慣習がありました。園児と一緒にPTAも巣立つお父さん、お母さん、いわば学年を超えてPTA活動を共に頑張ってきた仲間に対して、年中あるいは年少組の保護者が送る惜別の辞でした。ちょうどこの頃、篤さんが年中組園児で、伸一さんにその役割が当たったのでしょう。いや、立候補したのかもしれません。

それにしても、その内容、言い回しが「すごい!」の一言です。若草の楽しかった行事や保護者同士の交流、子育て論、はたまた社会風刺に至るまで、ユーモアたっぷり、情感たっぷりに描かれています。落語に造詣の深かった先代の、見事な口上ぶりです。遠足、芋掘り、ピクニック、運動会、若草の祭典、鳥号、虫号、動物号、かもめ、うぐいす組、森の山などなど、今も変わらない風景がそこにありました。

この時から35年経ちますが、ずっと受け継がれて来ているものがあることを実感します。登場人物は皆違いますが、若草を舞台に過ごす子どもたち、保護者、先生たちの姿、思いには共通するものがあり、私の父が長く訴えてきた「子育ては親も育つ!」の精神、そして底を流れる「ふれあい」の潮流は、変わらずに存在し続けているのではないかと思います。

父が先代とよく飲んでいた頃は、私が中学、高校の多感な時期で、毎晩遅くに帰ってくる父とじっくり話すということはあまりありませんでした。だから、父と伸一さんのつながりに関しては、ほとんど無頓着だったと思います。

昨年、だるま寿司さんの創立75周年記念祝賀会に、女将さんの配慮で私まで呼んでいただきました。そこで初めて先代の生涯に触れる機会を得、その魅力的な人柄と幅広い人脈に感銘を受けました。五十代前半の若さで亡くなった後に、女将さんや三人のお子さんがお店の立て直しの為に、結束して努力してきたことも改めて理解しました。また、父と先代の縁に関しても、女将さん、そして母から詳しく聞くこともできました。

今年は先代が亡くなってから、十七回忌の節目だと聞きます。昨年暮れに私の父も亡くなり、若草の歴史に一つの区切りがつきました。今頃は先代との再会の盃を、毎日のように傾けているのかなと思います。篤さんが20代で受け継いだ伝統の暖簾の重みを、私もこの年になってようやく感じているところであります。

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