ワールドカップの思い出
2014.05.12今日は園長です。今日、サッカーのワールドカップ・ブラジル大会のメンバーが発表されましたね。選ばれた23名からは、目標のベスト8以上目指して頑張ってほしいです。正直、予選リーグもかなり厳しい戦いになると思いますが、前回大会のようにチーム一丸となって突破してほしい。また寝られない日が続きそうです。
若い人には申し訳ありませんが、かなり古いワールドカップの話を書きます。
24年前の1990年、私は東京で会社勤めをしており、草サッカーチームに所属していました。ワールドカップのイタリア大会が始まる頃で(まだ日本は出場していない)、毎週サッカーの試合に明け暮れていた私はいてもたってもいられず、1週間の休暇を取り、ボーナスをはたいてイタリアに単身飛びました。往復の飛行機の切符だけ求め、大会のチケットはおろか宿泊する場所もない貧乏旅行(試合のチケット代を捻出するため)でした。今思うと若さだけの無謀な行動でしたが、何もしがらみがない中で、1人で思いきり好きなことを実行できる幸せな時期でした。
イタリアのダフ屋みたいな人々と交渉してチケットを購入し、なんとか4試合を観戦することができました。電車で各地に移動しながらの野宿同然の旅でした。ローマの8万人が収容できるスタディオ・オリンピコでの地元イタリアの試合、選手の熱いプレーや観客の熱狂は今でも忘れられません。観客席には東洋系はほとんどいませんでしたが、国の威信をかけた戦いに私まで巻き込まれたようでした。この大会で得点王になったスキラッチ(写真左)は、後にJリーグのジュビロ磐田で活躍することになります。イタリアは予選からずっと勝ち続けましたが、準決勝で惜しくもアルゼンチンにPKで敗れました。
そのアルゼンチンのスターと言えばもちろんマラドーナ(写真左)。実際の試合は日程の関係で見れず残念でしたが、テレビで彼のプレーに釘付けになりました。彼の全盛期はその前のメキシコ大会(1986年)であり、有名な「神の手」や「5人抜き」が生まれた大会です(マニアックですみません)。我々の年代のサッカーのアイドルと言えば、文句なくマラドーナです。
そしてそのマラドーナ擁するアルゼンチンを決勝で破ったのが、西ドイツです。写真はマテウス(左)とリトバルスキー(右)。ベルリンの壁が崩壊したのが前年の1989年。そして東西ドイツが再統一したのがこの大会のわずか3ヶ月後です。すごい歴史の節目、はざまで勝ち取った優勝でした。現在は香川を始め、岡崎や内田など多くの日本人がドイツで結果を残していますが、当時の西ドイツと言えば、日本人など入り込む余地のない(奥寺選手は例外)世界に冠たるサッカー王国でした。
ということで、W杯のメンバー発表が今日だったこともあり、中年オヤジの無理やりの過去の郷愁ブログでありました。失礼しました。そして気持ちは現代に戻って、ザックジャパン、ゴールを目指せ!
明日はプレイの小山先生です。