園長ブログ

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年別ア―カイブ: 2013

2年前の記事「被災地での供養」(寺報第34号より)

2013.07.03

7/3付けの「PTA会長の寝言」で、16歳で亡くなった太郎君(仮称)の死について松田会長が言及されています。その中で、私と会長との間での「死」についてのやり取りが記されています。私は2年前に寺報「境内と園庭」で、津波で亡くなった親子について、そして「死」について書かせていただきました。こちらで再掲いたします。

『五月に宮城県のある被災地へ、津波で亡くなった方の供養に行ってきました。その方が酒田出身ということで、全くの偶然で私に供養の依頼があったのですが、現地へ行ってみると、親族の方で私と旧知の方もいらっしゃり、非常に縁を感じました。
 供養の依頼をいただいたTさんはまだ若い男性で、今回の津波で奥さんと生後半年のお子さんを失ったのでした。結婚して二年も経たぬうちに、最愛の伴侶と一粒種を亡くすという事実は、本当に痛ましく、遺族の方々の慟哭の中で、静かに読経させていただきました。

 テレビや新聞の報道では、被害の甚大さはある意味ひとくくりにして語られることが多く、見ている我々も、一つの大きな災害として感じてしまいます。しかし、今回現地に行き、被災された方々それぞれのご不幸があり、深い悲しみがあるのだということを、改めて実感しました。

 今回火葬場に立ち会ったのは、奥さんの供養のためでした。実は、お子さんはまだ見つかっていなかったのです。二人を一緒に見送れないTさん達遺族の胸中を思うと、言葉もありませんでした。しかし、二人の魂は間違いなく一緒にあり、安らかな本来の世界へ共に旅立つところであるということは、私が言わなくてもTさんも理解していると感じました。
 このような時に僧侶の私が、付け焼き刃的な仏教の話をしても慰めにもならないだろうし、遺族の方々に、元気を出してとか、早く立ち直ってというようなことは言えません。今は悲しみの時だし、何をおいても、深い悲しみに沈むべき時なのだと思います。
 
 結婚してわずかで、そして生まれてすぐに逝ってしまった奥さんと子ども、この二人には、これからまだまだ大きな、様々な可能性があるはずでした。でも、それらが奪われたからといって、二人の生が無意味だったのではありません。
 奥さんは、Tさんと出会うまでの、そしてTさんと結婚してからの短いながらも幸せな人生がありました。その過程で関わったたくさんの人々に影響を与えてきました。お子さんは、この世に生まれてくることで、親になる喜びを両親に与えてくれました。半年間、お父さんとお母さんに大切に育てられる中で、反対に二人を親として育ててきたのです。奥さんとお子さんはそれぞれの役割を果たしたことで、肉親や関わった人から受けた、あるいは与えた愛情や慈悲の心が、いつまでもずっと残り続けるのです。

 私は、一人一人の人生とは、はるか昔から絶え間なく流れる海の水のようだと感じています。海の水は蒸発して雲となり、やがて雨や雪となって地上に降りてきます。そして地下水や川の水となって、再び海へと戻ります(今は、海はどうしても津波を連想してしまいますが…)。
 水滴のような人間の生も、一度で終わるものではなく、長い歴史の中で、何度も生と滅を繰り返しているのではないかと理解しているのです。その一つの生で、何かの役割を持って生れてきて、その役割を果たして本来の世界に帰っていく。だから、そこに早い遅いはなく、幸、不幸もない。ただひたすら連綿と続く魂の成長の過程が、刻印され残されていくのではないかと…。肉体の死はあっても、命(魂)の死はないのです。
 そして、肉親や親しい者同士の魂は、その流れの中で常に行動を共にし、役割を果たすべく、因果に従いながら精進しているのではないかと考えるのです。この関係をソウルメイトあるいは魂の伴侶と呼ばれることもありますが…。
  
 「袖すり合うも他生の縁」の「たしょう」を「多少」と思っている人は多いのですが、正しくは「他生」あるいは「多生」です。道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは何度も繰り返された過去の生の縁によるものであるということです。
 そう考えれば、Tさん一家はたとえ短い間だったとしても、夫婦としての幸せな時を過ごし、新たな命を授かった喜びを味わうことができたほどの「縁」は、「袖すり合う」どころか、過去に何度も関わって愛情を注ぎ合ったぐらいの深さで結ばれていたのでありましょう。

 Tさんには、悲しみから立ち直るにはまだまだ時間がかかります。しかし、どんなに悲しくても、それでも人は生きていかねばなりません。それが遺された者の責任だからです。しかし、そこで歯を食いしばって悲しみに立ち向かうような生き方をするのではなく、深い縁で結ばれている二人の魂に、(またいつか会えるね)と語りかけるような気持ちで過ごしていけば、二人も今後のTさんの人生をずっと見守っていくことができるし、Tさんもその存在を身近に感じ、生きる糧となっていくのではないかと思います。

 被災者それぞれに深い悲しみがあるように、生きる希望も被災者それぞれが持っています。復興に向けて踏み出していく動きを決してひとくくりに見るのではなく、一人一人の努力が集結していけるように、我々も応援していかねばならないと考えます。 』

2013.07.03 2年前の記事「被災地での供養」(寺報第34号より)

手作りの木のおもちゃで有名な「いなほ幼稚園(千葉県市川市)」視察 記事をクリップする

2013.07.02

(フェイスブックより転載)

 先週28日、酒田、遊佐地区の各幼稚園の先生達と一緒に、東京の幼稚園視察に行ってきました。午前は港区立白金台幼稚園を視察、そして午後からは、千葉県市川市のいなほ幼稚園に行ってきました。

 このいなほ幼稚園に度肝を抜かれた!この幼稚園、最近テレビや雑誌などのメディアに取り上げられることが多いのですが、それはいわゆる山崎園長の存在。教育者であり経営者でありますが、同時に科学者であり発明家であり、茶人であり、デザイナーであり大工さんでもあるのです。

 幼稚園内にプラネタリウムの設備があり、山崎園長が発明した科学のおもちゃもいっぱい(特許の関係で写真は撮れず)。茶室は自分で設計、工事し、園児に茶道を教える。無重力体感装置という不思議な遊具があるかと思えば、トラクターを改造して汽車ぽっぽも作り、園児を乗せて出発進行。園庭のモダンな大型遊具は、メーカーからの購入ではなく、自らデザインし鉄工所に特注して作る。焼き物の窯も園内にあり、親子の作品が所狭しと並ぶ。
 テレビで紹介された「木のおもちゃ」の作りの精密さは驚異的で、すごいアイデアの数々。すべてオリジナルで、我々大人が夢中になるほど。釘の打ち方を訓練するものや、ハサミの正しい使い方を促すおもちゃも・・・。全部の作品が、子どもの興味、関心、育ちを考えて作られていました。フランスでも出展され大盛況だったそうです。

 彼のような突出した才能がなければと思ってしまうが、山崎園長自身は理工系出身ではなく、独学でコツコツやってきたという。子どもにこんな体験をさせたいという思いのみで。
 私達に次から次へとおもちゃを紹介していく園長の表情を見ていると、もう70才近い山崎氏の、自分の作品を見てほしいという少年の心そのままの、素直でまっすぐの気持ちが微笑ましく伝わってきました。

 自分もあんな風に年をとりたい。すごい刺激を受けた視察でした。

2013.07.02 手作りの木のおもちゃで有名な「いなほ幼稚園(千葉県市川市)」視察 記事をクリップする

若草リレーブログ(5/29)より転載「5月はいっぱい汗をかいた!」

2013.06.04

今日は園長の番です。

5月ももう終わろうとしています。年長組にとっては、短期間に大きな行事が続きました。連休後の10日に遠足があり、20日に酒田祭りがありました。その間の15日のタケノコ掘りも含めると、10日間で3つの「いっぱい汗をかく活動」が続いたことになります。何かと慌ただしいですが、この力のかぎり頑張る活動を、私も一緒になって行うことで充実感に満たされます。

まずは遠足。年長は子ども達だけで羽黒山登山に挑戦しました。お父さん先生も何人か同行しますが、基本的に手は貸さず、子ども達を見守りながら共に頂上を目指します。今年は天気もよく絶好のコンディション。途中少しへばりそうになりましたが、おやつタイムでパワーを注入し、見事最後まで登りきりました。何年かぶりに外でお弁当を食べることができ、昔からある土俵の上で相撲大会も行いました。例年になく暑い遠足でしたが、その暑さが嬉しかったです。

タケノコ掘りは、お寺敷地にあるすくすく畑の竹林で行いました。顔を出したばかりの孟宗竹をせっせと掘り出します。孟宗と言っても山にあるものと違ってとても細いですが、子ども達にとって、根っこから掘り出すのはとても手ごわい作業なのです。それでも何人かで懸命にシャベルを突き刺し、土をかき上げるうちに徐々にタケノコがグラグラしてきて、最後にグッととれた瞬間、皆で獲物をつかんで頭上に掲げます。その顔がとても誇らしくて微笑ましいです。採ったタケノコは、すぐに炭火でホイル焼きにして食べます。新鮮で美味しく、あっという間になくなりますが、後からえぐみ効いてきてのどがイガイガしたりします(笑)。

そして最後の酒田祭り山車行列。今年は「パイレーツ・オブ・ワカクサン」ということで、大人も子どもも海賊に扮しました。子ども達は手作りの海賊衣装、バンダナ、そして短剣、ばっちり決まってます。保護者も有志のお父さん達が本格的な衣装に身を包み、雰囲気を盛り上げてくれました。「わっしょい、わっしょい!」と声を出しながら力いっぱい山車を引っ張り、沿道からの応援を受けて更に熱が入ります。卒園生の飛び入り参加もどんどん増えてきて、最後は一大集団となって見事ゴールしました。かなりの距離を歩きましたが、子ども達は晴れ晴れとした顔でした。裏方で支えてくれたお父さん、お母さん達に感謝の気持ちでいっぱいでした。

年長園児にとって、この5月はきっと思い出に残る月になったことでしょう。一人ではとても継続が難しくても、友だちと一緒になって頑張ることで、最後までやり遂げることができることを身をもって実感した月だったと思います。でも、サポートしてくれた保護者、先生達のことも忘れないでくださいね。子ども達のひたむきさに感銘を受け、我々大人も年甲斐もなく(?)頑張ることができました。その相乗効果はすごい!まさに「大人が輝けば子どもも輝く!」、「子どもが輝けば大人も輝く!」でした。

考えてみればまだ5月末、新年度は始ったばかり。大人も子どもも、まだまだいっぱい汗をかこう!

2013.06.04 若草リレーブログ(5/29)より転載「5月はいっぱい汗をかいた!」

「キッチンオーケストラ」(うさぎの春まつり参加者へ)

2013.05.27

 25日のうさぎの春まつり(未就園児親子の遊びの場)に参加していただき、どうもありがとうございました。天気もよくさわやかな日でしたね。このイベントを通して、たくさんの子ども達と会うことができるのが楽しみであります。皆さん楽しんでいただけたでしょうか。

  最後に、先生達で「キッチンオーケストラ」という曲を踊りました。台所用品を使っての演奏(?)はいかがでしたか?普段の先生達は、キッチンでいつもつまみ食いばかりしているようです(笑)。

 でもキッチンの主役は、やはり食材。これからの季節、いろいろな旬の野菜が登場しますね。うちの園でも、先日年長組が夏野菜の苗を植えました。お寺の裏側にある広い「すくすく畑」で、30種類以上約500個の苗が暖かい日差しを受け、日々生長しています。

 子ども達も随時苗の様子を観察しますが、細かい維持、管理作業は園長の仕事。毎朝畑に出て、土にまみれています。少々しんどいですが、とても気持ちいいです。6月には早くも、昨年植えた玉ねぎやいちごの収穫が始まります。また、きゅうりやズッキーニも6月からどんどん収穫できるでしょう。昨年子ども達に一番人気だったのはアイスプラント。葉っぱが地を這うようにアメーバ-状に伸びてくる珍しい野菜ですが、これを生、またはしゃぶしゃぶにして食べると美味しいのです。7月の夏季保育までには、トマト、パプリカ、ジャガイモ、とうもろこし、かぼちゃなど、たくさんの夏野菜が収穫を迎えます。今から本当に楽しみです。

 すくすく畑の野菜は、「収穫したらその場で食べる」、これが基本です。そのためにバーベキュー道具、調理用品は欠かせません。だから畑でも、「キッチンオーケストラ」はいつも奏でられているのです。皆さんも、一度すくすく畑を見に来てください。

 ということで、次回の夏まつりもお待ちしております。

2013.05.27 「キッチンオーケストラ」(うさぎの春まつり参加者へ)

「温海さくらマラソン」(若草リレーブログ4/23より転載)

2013.04.30

 園長です。一昨日は温海のさくらマラソンに参加しました。実は、まだ両足の太ももの裏側が筋肉痛で、歩き方がぎこちないです。私にとって、このさくらマラソンのジャイアントコース(30キロ)が、一番きついコースです。今まで何度も参加していますが、まともにしっかりと走れたことは数えるほどです。リタイアしたことはありませんが、前半で走力を使い果たし、最後はひたすら歩いてゴールにたどりついたことが何度もあります。

 フルマラソンよりもきついと言われるこのジャイアントコース、なぜそう言われるか、それは何と言っても2つの山越えがあるからです。標高100メートル以上と200メートル以上の2つの峠があるのですが、これを何とかクリアして、ようやく最後の10キロの下り坂に挑みます。ですが、この下り坂の地点では、もう足が棒の状態になりつつあり、後はゴールまでどう足を持たせるかの戦いになります。

 過去に何度も苦い思いをしているので、今回はスタートからの入りをかなりのスローペースに抑えていきました。もう40代後半になり、タイムや順位には昔ほどこだわりがありません。ゆっくりでもいいから、一定のペースで最後まで走り続けることができればとの思いでした。

 雨が降り続き、さらに山頂付近では雪まで落ちてきて、寒さに耐えながらのレースでした。給水所でお湯を飲み、手にも湯をかけて温めての繰り返しでした。最初にスローペースで行ったおかげで、最後の10キロの下りにかかっても、ガクッとペースが落ちることはありませんでした。ただ今回減量には失敗し体重5キロオーバーで臨んだため、支える両足がどんどん重くなっていったのは言うまでもありません。完全に準備不足です。何でこんな苦しいことやっているんだろうと思いながら、1キロごとの表示「ゴールまで後○キロ」を目標に、フラフラ走り続けました。一度立ち止まったら、再び走りだすことはできないと、心の中でわかっていました。

 ゴール地点では先にゴールした仲間や、10キロに参加したメンバーが待っててくれ、すごい形相でゴールした私をねぎらってくれました。ゴールした瞬間、棒の状態の足はマヒしたようになり、ロボットのような動作でカクカクしながら歩くしかありませんでした。完走証をもらい、ようやくレースが終わったと実感し、ホッとしました。

 今回も厳しく、つらいランでした。が、きっとまた来年も参加するんだろうなあと思います。やっぱりゴールした後の達成感や爽快感は何事にも代え難いし、その日の反省会で仲間達で飲むビールの美味しさも捨てがたい(笑)。何よりも普段の練習を通じて、体力強化にも役だっています。マラソンって人生そのもの。コツコツとマイペースで行く道のり、乗り越えねばいけない山もあり、寒かったりくたびれたり、いろいろつらいけど、仲間と励まし合い、ゴール目指して頑張る。人生はリタイアできないですからね。

 ただ、もっと準備をしっかりしないととダメだな。6月にはおしんレースがあるので、後2ヶ月、きっちりと準備するぞ…??

2013.04.30 「温海さくらマラソン」(若草リレーブログ4/23より転載)

佐藤初女さんの「森のイスキア」

2013.04.22

 今週16日、青森県の岩木山の山麓にある「森のイスキア」という施設を、永平寺時代の修行仲間3名で訪れました。まだ周りに大分雪が積もっているその施設は、佐藤初女さんという方が、悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場として長年運営されています。以前に初女さんの著書「おむすびの祈り」を読み、また龍村仁監督の『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番』で初女さんが出演されている映像を見て大変感銘を受け、一度お会いしたいと思っていたところ、今回その機会に恵まれました。

 初女さんは今年92才になりますが、耳が少し遠いぐらいで、大変お元気です。「遠い所からよく来てくれましたねえ」と私達を手厚く迎えてくれました。敬虔なカトリック信者である彼女は、たくさんの悩める人々を救ってきた歴史があり、「日本のマザーテレサ」とも言われています。自殺願望が強…い人がこの「森のイスキア」に来て、彼女と話しているうちに元気になって帰っていったという例が数多くあります。

 その秘密は「食」なのです。彼女は悩める人が来た時に、自らが作った食事を提供するのです。手間をかけて作った心のこもったものを一緒に食べているうちに、今まで頑なに心を開かなかった人が、ポツポツと自分の境遇を話し出すそうです。
 「私は何も説得したり、解決しようとしたりはしません。ただ話に耳を傾け、一緒に食べます。最初全くしゃべらなかった人でも、徐々に悩みを打ち明けてくれます」と、初女さんは言います。

 私達にも手作りの食事を出してくれました。一品、一品がとても美味しくて箸が進みました。特に自家製の梅干しが入った温かいおむすびは、「おむすびの祈り」を読んでいたせいもあり、味わいながら心に沁みました。その日は施設のスタッフの方々も交え、夜遅くまで和やかにお話しました。翌朝帰る私達に、初女さんはまた温かいおむすびを3個ずつ持たせてくれました。

 『食は「いのち」だと昔から思っています。その後、「科学」でもあり「物理」でもあると理解しました。そして今は、食は「哲学」だと思うようになりましたうようになりました』。初女さんの言葉が印象的でした。

 佐藤初女さん、ありがとうございました。

2013.04.22 佐藤初女さんの「森のイスキア」

ワクワクする「すくすく畑」 (若草リレーブログ3/25より転載)

2013.04.22

 園長です。彼岸も過ぎ、ようやく暖かい春がやってきました。この時期一番ワクワクするのは、畑作業の段取りを考える時です。雪に埋もれていた土がむき出しになり、「さあ、早く耕して!」と催促してるようです。
 前年に植えたいちごや玉ねぎの苗が、冬の厳しさに耐えて小さな姿を元気に見せてくれます。多年草のハーブ(ミントやフェンネル、コモンタイムなど)が、ここから勢力を盛り返そうと、ちっぽけながらも自ら広がり始める気配が感じられます。

 まずは明日26日、春彼岸で出たお供えの花の粉砕作業があります。これはシルバー人材センターの方々から協力いただきますが、幼稚園のプレイスクールの園児たちからも手伝ってもらいます。お供えの花はビニールに包まれたり、ゴムで巻かれたりしてますが、これらは有機肥料にならないので、ハサミでそれらを切って取り除いてもらうのです。
 そして大量の花を、機械にかけて次々に砕いていきます。米ぬか、鶏ふん、油かすなどもこの時点で混ぜます。また、昨年秋彼岸で作った堆肥も、この時にすくすく畑に運びます。半年経って、良質な堆肥に生まれ変わっています。

 30日の土曜日は、お父さん達から集まってもらい、その良質な堆肥を畑一面にすきこんでもらいます。かなりの重労働ですが、みんなで汗をいっぱいかいて、土と格闘しながら頑張ります。土の匂いを感じると、人間はやはり自然と一体なのだなあと清々しい気持ちになります。お父さん達同士も、汗にまみれ、土にまみれ、堆肥の臭さにまみれ、でも笑顔で声を掛け合います。

 だからすくすく畑は、一番ワクワクするのです。

2013.04.22 ワクワクする「すくすく畑」 (若草リレーブログ3/25より転載)

『先代「だるま寿司」大将、35年前の「大送辞」』

2013.03.28

卒園式から10日以上経ち、来週からの新年度の準備で、若草幼稚園も忙しい毎日です。ただ、あの日の子ども達の巣立ちの場面、さよならパーティの余韻はまだ残っており、卒園児や保護者の皆さんとの様々な交流の思い出も胸をよぎります。

以前「だるま寿司」さんにたまたま伺った時、現大将の鈴木篤さんから、一枚の紙を見せてもらいました。一目見てとても驚きました。それは、篤さんのお父さんである、先代の故鈴木伸一さんの「大送辞」という文章でした。以前の若草幼稚園では、さよならパーティの時に、保護者が卒園児保護者に対して送辞を送る慣習がありました。園児と一緒にPTAも巣立つお父さん、お母さん、いわば学年を超えてPTA活動を共に頑張ってきた仲間に対して、年中あるいは年少組の保護者が送る惜別の辞でした。ちょうどこの頃、篤さんが年中組園児で、伸一さんにその役割が当たったのでしょう。いや、立候補したのかもしれません。

それにしても、その内容、言い回しが「すごい!」の一言です。若草の楽しかった行事や保護者同士の交流、子育て論、はたまた社会風刺に至るまで、ユーモアたっぷり、情感たっぷりに描かれています。落語に造詣の深かった先代の、見事な口上ぶりです。遠足、芋掘り、ピクニック、運動会、若草の祭典、鳥号、虫号、動物号、かもめ、うぐいす組、森の山などなど、今も変わらない風景がそこにありました。

この時から35年経ちますが、ずっと受け継がれて来ているものがあることを実感します。登場人物は皆違いますが、若草を舞台に過ごす子どもたち、保護者、先生たちの姿、思いには共通するものがあり、私の父が長く訴えてきた「子育ては親も育つ!」の精神、そして底を流れる「ふれあい」の潮流は、変わらずに存在し続けているのではないかと思います。

父が先代とよく飲んでいた頃は、私が中学、高校の多感な時期で、毎晩遅くに帰ってくる父とじっくり話すということはあまりありませんでした。だから、父と伸一さんのつながりに関しては、ほとんど無頓着だったと思います。

昨年、だるま寿司さんの創立75周年記念祝賀会に、女将さんの配慮で私まで呼んでいただきました。そこで初めて先代の生涯に触れる機会を得、その魅力的な人柄と幅広い人脈に感銘を受けました。五十代前半の若さで亡くなった後に、女将さんや三人のお子さんがお店の立て直しの為に、結束して努力してきたことも改めて理解しました。また、父と先代の縁に関しても、女将さん、そして母から詳しく聞くこともできました。

今年は先代が亡くなってから、十七回忌の節目だと聞きます。昨年暮れに私の父も亡くなり、若草の歴史に一つの区切りがつきました。今頃は先代との再会の盃を、毎日のように傾けているのかなと思います。篤さんが20代で受け継いだ伝統の暖簾の重みを、私もこの年になってようやく感じているところであります。

2013.03.28 『先代「だるま寿司」大将、35年前の「大送辞」』

「おもいでのアルバム」(広報「わかくさ」第221号掲載)

2013.03.19

卒園式の日、オルゴールを卒園生に贈るのですが、その中の曲は「おもいでのアルバム」です。お家に帰ってオルゴ ールを開いた時、このメロディが流れだし、みんなの集合 写真を眺めていると、なんだか悲しくなって涙を流す子も いるそうです。そんな話を毎年聞きます。

1 いつのことだか おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても わすれない
2 春のことです おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう ポカポカお庭で なかよくあそんだ きれいな花も さいていた
3 夏のことです おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう 麦わらぼうしで みんなはだかんぼ お船も見たよ 砂山も
(間奏)
4 秋のことです おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう どんぐり山の ハイキング ラララ 赤い葉っぱも とんでいた
5 冬のことです おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう もみの木かざって メリークリスマス サンタのおじさん わらっていた
6 冬のことです おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう さむい冬の日 あったかいへやで たのしい話 ききました
7 一年中を おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう  桃のお花も きれいに咲いて もうすぐみんなは 一年生
(作詞 増子とし 作曲 本多鉄麿)

歌詞を見てお気づきだと思いますが、冬の歌詞が二つあります。これは、作詞の増子としさん(保育園園長)がクリスチャン、作曲した本多鉄麿さん(幼稚園園長)がお坊さんだったこと、また、幼稚園、保育園の経営母体がお寺やキリスト教会が多いということにも配慮されているからだそうです。昭和三十四年(一九五九年)に発行された増子とし全集(フレーベル館)で、初めてこの歌が発表されました。五十年以上経っても変わらず歌い継がれています。

若草の卒園生は、オルゴールのこの曲を聴いて何を思うのでしょうか?歌声はなくても、メロディを聴いて、この曲に込められた思いを敏感に感じとっているのかなと思います。これまで過ごしてきた幼稚園の園舎、園庭、お世話になった先生、そして、一緒にずっと遊んできたお友だちとの別れの寂しさを、このメロディと集合写真が改めて思い起こさせてくれるのかもしれません。晴れがましい門出の前の、しばしの切なさです。

あんなこと、こんなことあった若草幼稚園を、いつまでも忘れないでください。卒園おめでとうございます。

2013.03.19 「おもいでのアルバム」(広報「わかくさ」第221号掲載)

祈りのリサイクル

2013.03.14

 
 

 今回、3月11日の「2年目のキャンドルナイト」に少し関わることができました。事前の制作活動のお手伝いでしたが、一番嬉しかったのは、お寺の使い古しのろうそくが再生され、カラフルなキャンドルとして生まれ変わったことです。なかなか処理に困っていたものが、震災で亡くなった人々への追悼のメッセージに変わることができたのです。元々のろうそくも、檀家さん達の先祖への供養の象徴であり、いわば形、対象を変えての弔いでした。

 同じ意味で、ここ10年以上取り組んでいるものに「お供えの花の堆肥化」活動があります。お彼岸やお盆などで、大量にお墓に供えられる花。以前は焼却していましたが、環境問題のため焼けなくなり、その後は廃棄物として業者に持っていってもらうようになりました。コストはかなりかかるし、何よりも供花がゴミとして運ばれることへの抵抗もありました。
  そこで本堂の裏を耕して畑にし、その肥料として供花を利用することにしました。粉砕機で何千本もの花を細かく砕き、油かすや鶏ふん、米ぬかなどを混ぜると、半年で良質な堆肥に生まれ変わります。今では「すくすく畑」での、何十種類もの野菜の有機無農薬栽培の根幹となり、園児と一緒に自然の摂理を学び、新鮮な作物を収穫し美味しく頂いています。

 「ろうそくからキャンドル」、「供花から堆肥」と、亡くなった人々への追悼の気持ちが、そこで終るのではなく、新しい命、精神として受け継がれ、形を変えてまた次代に伝わっていく、それが「祈りのリサイクル」、「命の循環」ですね。

2013.03.14 祈りのリサイクル
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