園長ブログ

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年別ア―カイブ: 2009

年末

2009.12.21

 先日は、ぴょんぴょん広場にお越しいただきありがとうございました。クリスマス会ということで、子ども達も楽しく過ごすことができたのではないでしょうか。私はサンタクロースに扮しましたが、その日も本業が忙しく、黒い衣と赤いサンタの衣装の両方を着るという掟(おきて)破りでした…。

 もうすぐ今年も終わりですね。本当にあっという間です。特に40歳を過ぎてからは、一年一年の月日の経つのが早く感じられます。かおる先生はどう感じているのでしょうか???

 「一年の計は元旦にあり」と言うように、人は元旦にその年の抱負を語り(思い)、どのように目標に向って実践するか計画を立てるのが良いとされています。やはり年が変わり新たな一年を迎えるという新鮮さが、目標を持ちやすくするのでしょう。例えば日記を書き始めるとか、ダイエットのために運動を始めるとか…。私も含め、だいたい「三日坊主」で終わるようですが…。いや、私は「一生坊主」です。また、初詣に出向き、いろいろなお願いをするのも元旦ならではですね。

 このように、人は物事の始まりとか新たなスタートに注意を向けがちですが、物事の締めくくりに振り返るということはあまりしないようです。一年を振り返り、その年はどうだったか、自分の立てた目標は実行できたか…。検証して反省することは、仕事では当たり前ですが、いざ自分のこととなると難しいですね。実行できてないことが多く、どうしても言い訳してしまいますね。

 この時期に檀家さん宅を読経で回っていると、お年寄りの方々は、「今年も健康でいられたことが何よりもありがたい」とか「今年も平和に生きてこられてありがたい」という、感謝の言葉を口にすることが多いです。新たな目標というよりも、一年間、一日一日を無事に過ごせたことに感謝の気持ちを持つ。なかなか若い世代にはできないことかもしれませんが、大切なことだと思います。

 元旦の初日の出を見ながら、今年の目標を定め、また、神仏に向ってお願いをするということももちろん大事なことですが、年末に、今年一年に思いを馳せ、自分の生き様を振り返る。そして、いろんな試練はあったにせよ、無事にまた新たな一年を迎えられることに、感謝の気持ちを示すことこそ「一年の計」なのではないかと思います。

 それでは皆さん、よいお年をお迎えください。

2009.12.21 年末

熱狂ワールドカップ

2009.12.05

 ついに来年のサッカーW杯の組み合わせが発表なりましたね。日本はオランダ、デンマーク、カメルーンと、3チームとも強いところと対戦するわけで、大変厳しいリーグに入ったと思います。個人的には、若草卒園生であるクリストファーの母国デンマークと同組になったことにとても驚きました。13年前に、うちの先生達みんなでデンマークの幼稚園の視察旅行に行ったことも懐かしく思い出されます。クリストファーもサッカーを得意としており、帰省した折には若草園児ともボールを蹴り合ってくれます。オランダがいるから難しいですが、日本とデンマークどちらも予選突破してほしいです。

 ワールドカップと言えば、私も1990年6月、イタリア大会の現地にいました。当時証券会社に勤めていたのですが、是非本場のW杯を見たいとの思いが募り、1週間の休暇を取りボーナスをはたいて単身現地に飛びました。事前の計画も何もなく行ったため、東京ローマ間の往復の飛行機チケットだけ持ち、宿泊場所や試合の観戦チケットすらない貧乏旅行でした。

 ローマに着くと、そこはサッカーの本場、もうワールドカップ一色です。その日はイタリア対アメリカ戦が行われる予定で、ローマ市内は早くもお祭り騒ぎです。ベッドとシャワーだけの汚い安ホテルを探し当て、試合会場のスタディオ・オリンピコ周辺で、粘りに粘り何とかチケットを入手、超満員のスタジアムにもぐりこむことができました。日本代表がW杯に初出場を決めたのは、イタリア大会の8年後のフランス大会です。なので当時はまだ日本人のサッカー観戦者は少なく、観客席で私が1人ポツンと座っていると、ヨーロッパのサポーター達から好奇の目で見られました。

 試合はイタリアが楽勝するとの予想と裏腹にアメリカが善戦、イタリアが何度もシュートチャンスを作るのですが、アメリカの堅いディフェンスにはね返されていました。その度にスタジアム全体がブーイングの嵐、イタリア国民は自国の選手にも厳しいのです。フラストレーションがたまる展開でしたが、ついに後半10分にイタリアが先制すると、7万人収容のスタジアムがどっと揺れました。それまでの重苦しい雰囲気から解き放たれたようなものすごい歓声と地響きに、本当に圧倒されました。結局試合は1対0でイタリアが勝利、高らかに喜びの歌を合唱するイタリア国民達でした。ちなみに、後にジュビロ磐田で活躍するスキラッチは、このイタリア大会で頭角を現し7得点を挙げ、イタリア代表のスターになったのです。彼の初々しい姿が目に焼きついています。

 その日のローマの夜はもう朝までお祭り状態、箱乗りしてクラクションを鳴らしながら走る車がいっぱいで、また、酔っ払いたちがいつまでもイタリア国歌をがなりたてているのでした。私もその雰囲気を楽しみながらも、シャイなため(?)彼らの仲間に入れず、1人わびしく過ごしたことを覚えています。

 その後は、電車で移動して地方に泊まり、ベルギー、ウルグアイ、韓国戦など計4試合を観戦することができました。観戦するたびに、高度な技術、気迫あふれるプレー、統制された組織力に感銘を受け、勝者、敗者の明暗に胸が熱くなりました。選手のみならず、それぞれの国のサポーターのファッションや国旗のフェイスペイントも面白く、その応援の熱狂的な姿に、国の威信をかけた戦いだという印象を強くしました。

 1週間はまたたく間にすぎ、お金も底をつき、決勝トーナメントを前に帰国しました。夢と熱狂の余韻を引きずりながら会社に顔を出した途端、「この相場が大変な時に、よくサッカーにうつつを抜かしてられるな」と営業課長の冷たい視線がありました。実は、1990年はバブルの崩壊元年であり、証券会社にとっては株価暴落の大変な時でありました。私もすぐに現実に引き戻され、W杯の興奮はどこかへすっ飛んでいきました。

 その後日本も力を付け、W杯の常連になりました。イタリア大会は遠い昔の思い出ですが、私にとってはあの興奮は今でも胸の中にあります。なかなかあれほどの興奮を味わうことはありませんが、サポーターの熱狂度は、ワールドカップを上回るだろうと言われるイベントがあります。

 そう、『園児サッカー大会』です!来年の1月31日、年長組が出場します。酒田の幼稚園、保育園のチームが集まり、優勝トロフィ目指してシュート!何せ園児の兄弟、両親、祖父母が大挙して応援に訪れるこの大会、国体記念体育館は超満員になります。酒田にもあったのです、「熱狂ワールドカップ」。皆さん、応援よろしくお願いします!

2009.12.05 熱狂ワールドカップ

「しゃぼん玉」と「七つの子」

2009.11.23

 檀家さんの中で、ご先祖の多いお宅で読経していると、気付くことがよくあります。それは、「童子」や「童女」、「孩児」や「孩女」、「嬰児」や「嬰女」などの幼くして亡くなった子どもの戒名が、昔の位牌や過去帖(戒名を羅列したもの)に多く見受けられることです。

 医学が今のように発達しておらず、食糧事情も悪かった時代は、病気で亡くなる子どもが沢山いました。発展途上国は、現代でも子どもの死亡率は大変高いです。日本は今はとても恵まれていることを実感しますが、普段何気なく口ずさむ童謡の中にも、当時の幼子に対する想いを綴った歌があります。

「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ 風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ」

 園児がしゃぼん玉を飛ばしている所を見ると、この歌がすぐ心に浮かびます。この童謡の作者の野口雨情は、我が子を2人病気で亡くしており、長女のみどりは生まれて8日目、次女の恒子は満2歳で亡くなっています。まさにしゃぼん玉のように、生まれてすぐに、飛ぶ前にはかなく逝ってしまいました。「風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ」は、我が子に対する切ない想いが込められてるのですね。

 もう一つ、同じ野口雨情の童謡で、おなじみの「七つの子」があります。

「烏なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの子があるからよ
可愛可愛と 烏は啼くの 可愛可愛と 啼くんだよ
山の古巣へ いって見て御覧 丸い目をした いい子だよ」

 カラスは普通3~5個の卵を産み、全部が孵ることはないそうなので、7羽の子ども説は否定されます。また、カラスの平均寿命は5~7年ですが、厳しい自然の中でその大半は育ちません。よって、7才のカラス説も成り立たないそうです。では、この「七つ」とは一体なんの事なのでしょうか?
 
 人間に換算して七つだ、という意味であるという説が有力だそうです。雨情はこの「七つの子」を人間の7才の子にだぶらせて書いたとも言われています。「七つの子」には七五三の行事でも見られるように、子どもの成長の節目としての3才、5才、7才という段階があり、生まれても幼いうちに命を失うことの多かった時代に、3才まで、5才まで、と無事に育って、ここまで育てば一つの安心となる7才になったその象徴としての「七つの子」という言葉ではないか、という説です。幼くして我が子を亡くした雨情にとっては、まさに心からの願いとしてこの歌を作ったのかもしれません。

 しゃぼん玉は、こわれて消えればそれでおしまいですが、人間の命は違います。たとえこの世に生を受けすぐに逝ったとしても、肉親から受けた、あるいは肉親に与えた愛情や慈悲の心は、いつまでも残り続けるのでしょう。だからこそ雨情はその想いを歌に託し、その歌に共感した人々がその想いを伝えていく。短い命だったとしても、こんなふうに命の役割は果たされていくのだと思います。

 檀家さん宅の仏壇の中の古い小さな位牌、もしかして今はその存在の記憶は子孫には残っていないかもしれませんが、この世に生を受けた証しとしての何らかの想いは、代々その家に伝わっているのだろうと思います。

2009.11.23 「しゃぼん玉」と「七つの子」

赤ちゃんの社会性

2009.11.12

 今回の「PTA会長の寝言」の「若草幼稚園の思い出~罪と罰~」、面白いですねえ。『ねんどの部屋』での出来事がこれだけ鮮明に思い出されるのは、会長さんも書いているように、「怖くて夢のある場所」だったからでしょうね。子ども心には怖くてドキドキでも、後から振り返ると神秘的で夢があった、思い出の一コマなのでしょう。

 前の「園長のつぶやき」にも書きましたが、「その対象に対して、内的には近付きたい、一体化したいと切望しつつ、外的には畏れおののいて、一定の距離を保つ」、つまり「畏敬の念」を子供時代に持つことは不可欠と、哲学者で幼児教育学者のシュタイナーは言っています。

 若草幼稚園には、ホールの倉庫に住んでいると云われる「ねずみバアさん」の他にも、お寺の本堂の仁王様、森の山の鬼、地獄の絵の閻魔様、そして何よりも大仏さんと、恐れから畏れ、そして畏敬の念に変わっていく対象がいくつか存在しています。
 きっと今の園児達も、それらの存在に恐れおののきながらも、その畏敬の念がしっかりと成長過程に組み込まれていくことによって、善悪の判断や社会性がさらに地固めされていくのではないかと思います。

 ちょっと前置きが長くなりましたが、その子どもの社会性ということで、興味深いデータを紹介したいと思います。2年前に、アメリカのエール大の研究チームが、イギリスの科学誌「ネイチャー」に発表した論文データです。

 研究チームは6~10ヶ月の乳児を対象にして、3つの実験を行いました。最初の実験では、乳児らに、山頂へ登ろうとしている人形を見せて、この人形の行動目的を認知させ、その後に、二人の人が現れて、一人は山へ登れるようにその人形を助けてあげました。もう一人はわざとその人形を山のふもとまで引きずって下ろしました。
そして、乳児らは、この二人に近づいていくように仕向けます。すると、乳児の80%が山登りの人形を助けてあげた人を選んだそうです。研究スタッフは、乳児らの選択は人形を助けて上げた人の行為に賛同していることの表現であると解釈しました。

 この結果は、さらに次の実験の中で実証されました。二つ目の実験では、山頂へ登ろうとする人形を助けてくれた人と、妨害した人にそれぞれ近づかせて、乳児らの反応を観察しました。すると、山登りの人形が妨害した人に接近したとき、乳児らの顔に驚愕の表情が現れたそうです。

 さらに、研究チームは、「中性」人物を加えて、助けた人、あるいは妨害した人に並べて、乳児らがどちらを選択するかを実験しました。結果として、「中性」人物と助けた人の間に、助けた人を選ぶのは多く、一方、「中性」人物と妨害する人の間に、「中性」人物を選んだ乳児が多かったのです。

 実験では、人形や人でなく、アニメを使っても行われました。
 そのアニメでは、丸い図形がずっと平たい道を歩いてきて、坂道を一生懸命登ろうとする。ところが上から正方形が出てきてそれを押し返そうとじゃまをするのです。丸は一生懸命登ろうとするのですが、正方形が邪魔をして動けない、となった時に後ろから正三角形が出てきて丸を応援するのです。そして最後、見事に登りきるというアニメを見せたのです。
 その後で、その赤ちゃんたちを別の部屋に誘って、3種類のクッションを見せました。丸いクッションと正三角形のクッションと四角形のクッションのどれで遊ぶかと実験したのです。みんな、三角形を選んだそうです。後から、色や図形の役割を入れ替えて実験してみても、ほとんどが、後ろから助けていく図形で遊んだそうです。

 報告は「これらの実験結果により、10ヶ月未満のまだ話せない乳児は人々の互いに接する行為から、その行為の善悪を評価できる」と結論付けました。 
 チームを率いた同大の心理学者、カイリー・ハムリン氏は「ゼロ歳児にこのような社会的能力があるとは驚きだ。人間は生まれたばかりの時点で、教えられなくても社会性を備えているようだ」と述べています。

 私は、この結論に全面的に賛成です。性善説、性悪説と言いますが、「人間は善き心を持って生まれてくる」のです。
 この、「既に備えられた社会性」が、なぜかどこかでねじ曲げられていくことによって、反社会的な行為を犯す人間が出てきてしまうのでしょう。

 そう考えると、「既に備えられた社会性」を持っている子どもに対して、上から押し付けるのではなくて、持っているものを伸ばしたり、引き出していくための環境や体験、援助が必要だということは言うまでもないと思います。
 巷には「天才を育てる幼児教育」とか「小学校からでは遅すぎる」とかいった内容の教育論があふれていますが、まず何より大事なのは、幼児の社会性を真っ直ぐ素直に育んでいく教育なのではないかと考えます。

2009.11.12 赤ちゃんの社会性

レッツゴーおとうちゃん!

2009.11.02

 昨日は、悪天候にも関わらず、「うさぎの秋まつり」においでいただきありがとうございました。親子で楽しんでいただけましたでしょうか?

 最後に披露した先生達の踊り「レッツゴーおとうちゃん!」では、保護者も含めた世の中の頑張るお父さん達へ、メッセージを送りました(そんな大げさな…(笑)。若草幼稚園のHPに、踊りの様子の動画をUPしています!)
 
 若草幼稚園のお父さん達も、「レッツゴーおとうちゃん!」と同じように、仕事に家族サービスに日々頑張っています。それだけでなく、さらに幼稚園の活動にも積極的に協力してくれる「スーパーおとうちゃん」達が多いです。

 そんな頑張るお父さん達の一例として、「チーム若草幼稚園」を紹介したいと思います。以前の「園長のつぶやき」でも何度か取り上げていますが、元々私が趣味で細々とやっていたトライアスロンに、数年前に保護者のお父さん達が数名加わりリレーチームを結成したことが始まりです。年々その数が増えていった結果、今年は6月のトライアスロン、10月のデュアスロンにそれぞれ30名以上の保護者(OB含む)が出場しました。さらに今年初の試みとして、酒田市巡回駅伝大会に年長組のお父さんを中心として12名が出場し、結果は最下位ながら、タスキを最後までつなぐことができました。タスキをつながなければというプレッシャーを感じながらも、だからこそ頑張るんだという気概を見せてくれました。

 30、40代の体力の低下を自覚する時期になり、また、「メタボ」のビールっ腹をつまみながら、「いっちょうやってみるか!」と決心したお父さん達が多いのですが、その相乗効果は大きいようです。「汗をかくことが気持ちいい、息切れしなくなった、体重がかなり減った、食事が美味い(ビールも)、子どもに頑張っている姿を見せることができた、何に対しても前向きにチャレンジできる」などなど、目標に向ってトレーニングすることで、様々な収穫があったことを報告してくれました。

 トレーニングは一人で黙々とやることが多いですが、大会ではチームして参加することで、メンバー間の結束、信頼感が養われ、終了後の充実感も一段と増したようです。大会(目標)に向ってトレーニング(努力)し、練習時間の確保や、故障、やる気の継続など様々な障害(試練)を乗り越え、当日は頑張り、家族の応援を受け(家庭)、チームメートにつなぎ(共同、人間関係)、ゴール(達成)することは、人生の縮図と言っても過言ではないでしょう(やっぱり大げさか…)。

 運動面だけでなく、若草のPTA活動においてはお父さん達の出番が多いのですが、それも、影に日向に支えてくれるお母さん達の存在があってこそです。それを忘れてはいけないと思います(私自身も)。

 仕事の疲れやストレス、家族への責任など、様々な重圧の中で日々生きているお父さん(お母さんもですが)にとって、若草幼稚園は、エネルギーを充電できる場でありたいと思っています。「子どもだけでなく大人も元気になれる!」、そんなパワースポットであり続けたいと願います。

 家族のサポートに感謝しながら、今後も「大人が輝けば子どもも輝く」を旗印に、保護者の様々な活躍の場を提示していきたいと思います。

 レッツゴー、おとうちゃん! 

2009.11.02 レッツゴーおとうちゃん!

夜回り先生

2009.10.10

 昨日、文化センターで行われた教職員組合主催の講演会に行ってきました。講師は夜回り先生こと水谷修氏です。私は、これまで彼の著書を多数読んでおり、また、保護司として薬物犯罪の受刑者と関わるようになっていたこともあり、水谷先生の話を直接聞く機会を得られたことを大変嬉しく思いました。

 講演の冒頭から最後まで、ずっと話に引き込まれる状態で、本当に圧倒されました。
彼が、長年夜回り先生として、深夜に行動している「夜眠らない子ども達」を諭して回り、薬物や売春など未成年が陥りやすい非行の防止に努めるのにとどまらず、罪を犯してしまった若者達の更生にも全力を尽くす生き様を伺い、本当に感銘を受けました。話の内容は本に書いてあることも多かったのですが、間髪を入れずに、次々と様々な事例を直接私達に語りかける状況が、迫力を何倍にもしました。

 彼がこれまで受け取った少年、少女からのメールや電話は50万件を超えるそうです。彼はそれらに対して丁寧に対応し、メールや電話で励ましたり、時には直接会って彼らを夜の世界から救ってきました。でも、その中で死んでしまった子達も70人以上もいるということです。
 薬物中毒になってダンプに飛び込んだ少年、やっと更生できたのにエイズを発症し、やせ細って死んでいった少女、殺人を犯してしまった者、出産時に、薬物依存のため麻酔が効かず、心臓が持たず亡くなってしまった娘、そんな悲しくて切ない、生々しい出来事を、水谷氏は淡々と語っていきました。

 自らの睡眠時間も削り、病気と苦闘しながらも続ける夜回りや救出活動、何が彼をここまでやらせるのか?と思います。彼が言うには、地獄から救い人生のやり直しに向かうことができた少年、少女達から「先生、ありがとう」と言ってもらえることだと。「この感謝の言葉なしには、戦えない戦いである」という表現をされました。
 「人は誰かを幸せにするために生まれてきた」、水谷氏は若者に語ります。それを、立ち直った子ども達も理解すると同時に、水谷氏本人もそれを拠りどころにして戦っているのだと思います。

 私が保護司として、薬物犯罪の対象者と接している時、彼にこう尋ねたことがあります。「覚せい剤をまた使いたいという誘惑はあるの?」。彼はこう答えました。「あります。使用時のあの気持ち、感覚が突然フラッシュバックのように襲ってきます。もし手元にあればやってしまうかもしれません」。彼にとっては、覚せい剤を「完全にやめた」ということではなく、「その日一日使わずにすんだ」を繰り返して日々生きているのです。一生、薬の誘惑の恐怖から逃れることはできないのです。

 それほど恐ろしい薬物に対して、好奇心旺盛な若者がつい手を出してしまい、取り返しのつかない事態になる、これは何も都会だけの傾向ではありません。私もショックでしたが、水谷先生は断言しました。「この酒田でも、市内の学校の生徒から、薬物、リストカットなどの相談が自分の所に来ている、来てない学校は一つもない」。現代のような情報化時代では、田舎の素朴な少年、少女達という定義はあてはまらないのかもしれません。
 水谷氏は子どもを責めません。「このような世界を作ってしまったのは大人なんだ。薬を売るのも大人だし、少女の体を買うのも大人だ。我々大人が子ども達の不幸を作っているのだ」と。

 水谷先生の話の中で、世界の子ども達にアンケートした事例がありました。「一番居心地が良く、心が安らげる場所は?」。例えばシンガポールでは「家庭」と答えた子が80%で1位、2位が「学校」。他の国の子も「家庭」が一番多く、「学校」もベスト3に入っています。ところが日本では、「家庭」と答えた子は「14%」、「学校」という答えは5位以内にも入っていないのが現状なのです。
 一日の大半を過ごす学校は居心地のいい場ではなく、一番身近な存在である家族と一緒にいる家庭も、安らぎの場ではない。まさしく、子ども達の悲しみ、怒り、あきらめは、我々大人に責任があるのだということを思い知らされます。

 水谷先生は言います。「神社、仏閣などの宗教的施設では、子ども達は薬物を使う気持ちにはならないだろう、リストカットはしないだろう。なぜなら、古来からの伝統的なものに対して、子ども心にも多少の敬いの気持ちはある。だから、全国の宗教施設に対して、昼間、非行に走る子ども達に対して、建物をオープンしてもらうことを求めている」と。
 うちのお寺でも、時々、学校から連絡があり、校則違反を犯して停学になった生徒の受け入れをお願いされることがあります。私は彼らを出来る限り受け入れ、お寺の掃除をしてもらったり、坐禅を組んだり、畑作業を一緒にしたりしています。彼らの心の闇までは共有できませんが、何かに打ち込むことで、感じたり得るものがあればという思いでやってます。しかし、結局はその場かぎりの押しつけになってしまいがちです。そんな中、もっと効果的な方法があることに気づきました。

 彼らを、幼稚園の子ども達と触れ合わせることです。何の猜疑心もなく、大きいお兄ちゃんとして慕ってくれる子ども達と関わることで、彼らは思い出すのです。自分も幼少期に、何の屈託もなく遊んでいた時があった、じゃれ合った友だちもいた、けんかもしたけど仲直りできた、優しくいつも自分のことを心配して面倒を見てくれた先生がいた・・・。
 もちろん、すべての少年達がこのように思うわけはありませんが、思春期の自分の心を包んでいる固くて刺々しいカバーは、最初からあったわけではないことを実感できる場が、幼稚園だと思います。「人間は善き心を持って生まれてくる」、そこに戻ってほしいし、戻れるのです。

 夜回り先生の、自らを犠牲にして子ども達のために日夜努める行動力、気概、正直言って私には到底真似のできる事ではありませんが、お寺と幼稚園を運営している立場の者として、未来を担う子ども達のために、何か役に立てる事があるならばという気持ちは十分にあります。そんなふうに感じることができた講演会でした。主催者の皆さん、ありがとうございました。

2009.10.10 夜回り先生

アンパンマン

2009.10.01

 今回の話題ですが、アンパンマンについて取り上げてみたいと思います。

 テレビや新聞で取り上げられたのでご存知の方も多いと思いますが、昨年、アンパンマンは、その原形が生まれて40年、テレビアニメ化されて20年の節目を迎えました。
 元々は、漫画家やなせたかしさんが1986年に発表した、大人向け連作童話の一遍だったそうです。最初は大人のヒーローで、頭部も普通の人間でした。ただし、空腹の人のところにパンを届けるという骨子は同じでした。

 5年後に子ども向けに絵本にした時に、あんパンのキャラクターに変えたところ、次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到するようになりました。読者の中心である子ども達に合わせ、アンパンマンの体型も初期作品の8等身から3等身へと変わります。

 絵本がシリーズを重ねていくに伴い、アンパンマンの仲間や敵のキャラクターが増えていきました。当初はアンパンマン1人だったのが、続編でしょくぱんまんやカレーパンマン、「話をおもしろくするための敵役」としてばいきんまん、さらに「1人じゃかわいそう」と仲間のドキンちゃんを生み出しました。「パン食が増えているのは、農協に申し訳ない」(やなせさん)と、おむすびまんを加える気配りもありました。
 
 1988年にアニメとして放送されることが決まった時、プロデューサーがやなせさんにこう持ちかけたそうです。「顔をちぎって誰かにあんパンを与える場面はグロテスクだ。どこか別の場所から取り出すことにしたい」。
 これに対し、やなせさんは拒否しました。「自分もおなかいっぱいじゃないのに、困っている子ども達にパンをあげる。人が正義を貫くときは、痛みを伴うということを表したものだ」と。また、アフリカ等でたくさんの子ども達が飢えで苦しんでいることに対しても、特別な思いがあったそうです。「自らが傷ついても他人を助ける」、底流にはやなせさんの信念が横たわっています。
 
 さて、おなじみのアンパンマンの歌ですが、この歌詞は本当にすごいですね。

 「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱い心燃える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ 胸の傷が痛んでも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

 何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ! 忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君は飛ぶんだ どこまでも そうだ 恐れないで みんなのために 愛と勇気だけが 友達さ ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

 時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ 微笑んで そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ どんな敵が相手でも ああ アンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため」

 「何のために生まれて 何をして生きるのか」。この哲学的な歌詞を、子ども達は何気なく口ずさむのですが、現代の若者は、自分が生まれてきた目的がわからず、日々もがいているような気がします。そして、凶悪な犯罪に走ってしまう者もいるのですが、アンパンマンの単純なストーリーや歌の中に、もしかしてその答えが見つかるのかもしれません。

 やなせさんは言います。「子どものころから、自分は何のために生まれてきて、何をするのかを考えていれば、ある時点で、人生の方向をはっきりとつかむことができるんです」と。

 これからもアンパンマンは、子ども達のヒーローであり続けるのでしょうね。

2009.10.01 アンパンマン

くせになる踊り

2009.09.04

 今日は「踊り(私にとっての)」について話したいと思います。幼稚園ですから、子ども達はもちろん、我々教職員も何か行事があるたびに踊っています。先生たちは普段の保育で毎日のように踊っているし、それが仕事でもあるので全然不自然ではないのですが、私は、以前は本当に恥ずかしかったのです。

 何せ小さい時から体育会系で、男が踊るなんて「ヘッ」という感じで育ちました。大学卒業後は会社員として勤務し、その後坊さんになるため本山で修行して酒田に戻ってきたのですが、会社でも営業課は男ばかりだったし、本山でも200名の修行僧はもちろん全員男でした。

 それが若草で勤めることになったとたん、女性の中でもがく(?)ようになり、男性社会に慣れていた私には戸惑いの連続でした。中でも様々な場面で踊らなければならないことが、とても恥ずかしかったのです。やがて子どもの前では平気になりましたが、保護者がジーっと見ている前で踊るのは、かなり苦痛でした。

 しかし・・・、人間とは面白いもので、今では開き直って積極的に踊っています。やはり園長としての責任感(???)、いや、何よりも踊ることが楽しいのですね。子ども達と踊れば、みんなニコニコしてくっついてくるし、無邪気に元気よく踊る子どもからは、こちらがパワーをもらえます。

 また先生達との場合も、普段は一応(?)上司と部下の関係でも、一緒に踊ることで良き仲間のような雰囲気で、親しみやすい関係になります(向こうはそう思ってないかもしれませんが…)。

 そんなわけで、なかよしうさぎの祭りなどでは、かおる先生の考えた振り付けでみんなで楽しく踊っています。周囲によると、私の踊りは動きがどうも固いようです。柔軟性がないからですが、こちらが一生懸命踊れば踊るほど、笑われるのが逆に快感にもなってきました。

 先日は、全国的にも人気の「あきらちゃんとラーメンちゃん」の「遊びうたコンサート」(酒田市私立幼稚園研修会の場)に参加し、「はなまる温泉」(7月のうさぎの夏祭りでも披露)を飛び入りで踊ってきました。この曲の本家本元の前で踊るのはちょっと心配でしたが、大うけで、ブログにも動画をUPしてくれたほど褒めていただきました。やって良かったなあ。

 ますます図に乗る園長以下若草軍団。これからもガンガン新しい踊りをかおる先生に創作してもらって、子どもや保護者達の前で披露していきたいと思っています。(たとえ見たくなくても)

 あ~くせになりそう。

2009.09.04 くせになる踊り

夏バテに負けるな~ながらトレーニングのすすめ~

2009.07.22

 さて、今回は、体を鍛えるトレーニングについて、ちょこっと書いてみたいと思います。

 私は太りやすい体質で(よく食べ、よく飲むので)、普段から体を動かしていないとたちまち太ってしまいます。ベストは70キロぐらいなのですが、一時85キロまでいってしまったことがあります。これは、15年ほど前に、坊さんになるため福井県の永平寺というところで修行していた時に、60キロまで落ちたのですが、2年間の修行が終わって開放感にひたっているうちに、みるみる太ってしまった結果です。さすがに80キロを超えると、園児と鬼ごっこをしていても息切れするようになりました。

 そんなこともあり、ダイエットも兼ねてジョギングを始めたのですが、その後トライアスロンなどにも出場するようになり、トレーニング=汗をかくことが、私の趣味にもなりました。
忙しい毎日の中で、普段どのようにトレーニングの時間を確保しているかというと、やはり早朝ジョギングです。畑仕事や事務仕事などの雑務も朝に行うので毎日はできませんが、大体5時半ぐらいから1時間ゆっくり走ります。コースはその時の気分によって変えています。ただこのジョギングも、雨が降ったり、冬の期間など、恒常的に続けることは難しいです。

 そんなわけで、なかなかトレーニングを日課にするのは容易でないですが、私は自分なりにいろいろ試してみて、これがいいなあと思って続けているのが、「ながらトレーニング」です。

 それは、室内でのエアロバイク(ペダルをこぐマシーン)やランニング(ルームランナー)のトレーニングなのですが、ただ黙々とこいだり走るのでは飽きてしまいます。そこで、いろいろな要素を取り入れて一緒に行うのです。

 例えば、落語のCDを聞きながらのトレーニング、これはけっこう楽しく、ニヤニヤしながらペダルをこいでいます。外でのジョギングにも活用しており、すれ違う人は、さぞ気味悪いと思っていることでしょう。昔の名人の落語は、聞いていて味があります。

 また、テレビのスポーツ中継を見ながらのエアロバイク、特に日本代表のサッカーの試合は、アドレナリンが体中にしみわたりながら、超ハイテンションでペダルをこげます。得点シーンは、まるで自分がゴールしたような感覚で、バンザイしながらペダルを回します。マラソンや駅伝の中継も、自分が走っているように(勘違いし)、沿道の声援を一身に受けながら、ルームランナーの上でピッチを上げます。

 あるいは映画のDVDを見ながらのトレーニング、感動の涙は、汗と共に身体中を流れていきます。お勧めは「ロッキー」や「インディジョーンズ」、「小林サッカー」(古い・・・)。「おくりびと」はやめた方がいいと思います。

 しかし、私にとっての「ながらトレーニング」の最大の魅力、それは読書をしながらのエアロバイクです。本が好きで常に何がしかの本を読んでいたい私は、読書とトレーニングという相容れない両者を、ドッキングすることに見事に成功しました。

 ペダルをこぐ時、上半身がぶれないように注意しながら、本を持ち、ページをめくります。下半身はひたすら回転していますが、上半身は静かに優雅にページをめくりながら、感動を味わっています。汗がポタリと本に落ちないように、顔の真下でなく、斜め前方に本を位置し、姿勢をしっかりと保ちながら読書するのです。本のジャンルは問いません。心躍るアクションものから、胸を打つ悲恋ものまで、何でもエアロバイクのサドル上でストーリーは展開していくのです。このスポーツと文化の融合が、「ながらトレーニング」の最大の魅力であります。

 というわけで大分講釈が長くなりましたが、皆さんも是非「ながらトレーニング」を活用して、夏バテを乗り切ってはいかがでしょうか?

2009.07.22 夏バテに負けるな~ながらトレーニングのすすめ~

対象者N君の死

2009.07.15

 先日、N君のお母さんから電話があり、息子のN君の死を知らされました。私は驚きで声も出ませんでした。なぜなら、その前日、N君のお母さんの家を訪ね、N君が他県で元気で働いていることを聞いたばかりだったからです。ここ数年、N君とは会うことも電話で話すこともなかった私ですが、なぜかその日、ふとN君のことを思い出し、お母さんに近況でも聞こうと訪問したのでした。その翌日、N君は心筋梗塞のような発作で倒れ、そのまま意識が戻らず亡くなったそうです。「虫の知らせ」と言いますが、私はN君からの何かしらのメッセージを受け取ったのかもしれません。

 私は、6年程前から保護司を務めています。犯罪を犯して刑に服した人が、出所してから、社会で更生できるようにサポートする役割です。刑の重さにより保護観察期間は長短ありますが、短いので数ヶ月、長くなると数年間にわたり、1ヵ月に1~2回会って、真面目に生活しているか、きちんと遵守事項を守っているかなどを確認し、保護観察所に報告します。保護観察する相手のことを対象者といい、時には対象者からの相談に乗ったり、対象者と親族間で人間関係がうまくいってなければ、その仲介をしたりします。

 N君は、私が保護司になって初めての対象者でした。当時30代前半、覚せい剤使用等の罪(2度目)で、数年間服役して出所してきました。会って話してみると、素直で優しそうな感じで、とても犯罪を犯すような印象ではありませんでした。事件の詳細やその背景を探ると、友人からの誘いにずるずるとはまり、薬物依存になってしまった結果でした。薬物事件は再犯率が非常に高く、彼も一度失敗しています。彼が今度こそ薬への依存を断ち切れるか、それが私の懸念でした。

 N君本人も十分に反省し、もう二度と犯罪を犯すことはしないと私に誓いました。やはり刑務所での生活には戻りたくないという気持ちが強いだろうし、家族に迷惑をかけた分、その償いもしなければという思いもありました。
 
 私も保護司として初めてのケースであり、何とかN君の更生の役に立ちたいと強く思いました。まずは、彼が地元で生活していくために、仕事を見つけなければなりません。ハローワークに一緒に行き、彼が以前やっていた鳶職の求人を探します。何社かあり履歴書を送るのですが、いぜ面接にこぎつけても、前科があるということが分かると、この不況の時代に採用してくれるところはなかなかありませんでした。私も一緒に知り合いの会社を訪れ、採用をお願いするのですが、いい返事はもらえませんでした。

 仕事が見つからない間、N君からは時々、すくすく畑の作業の手伝いをしてもらいました。薬に依存した生活から刑務所の中での生活と、明るい日差しの下で健康的に毎日を送る機会が長い間なかったN君にとって、土や野菜、虫達に触れることは、かなりの刺激だったようです。採れたてのトマトやキュウリをガブリと美味そうに食べたり、堆肥作業でミミズやカナブンの幼虫を見つけ、歓声を上げていました。ナスをその場で焼いて食べさせると、「ナスってこんなに美味しいものなのですね」としみじみ呟くのものでした。また、森の山まつりの準備でも、運搬作業等を頑張ってもらい、最終日の反省会では少しながらお酒も口にし、周りの人と交流も持つことができました。もちろん薬への依存は、きっぱり断ち切っていました。

 少しずつ社会に適応していき、ようやく鳶の仕事が見つかったと聞いた時は、私も嬉しく、ホッとしたものです。保護観察期間が終わり、晴れて自由の身になったN君は、県外にも仕事の口を見つけ、出稼ぎにも行くようになりました。私はもう心配いらないだろうと安心し、また、保護観察が終わったこともあり、その後N君との連絡は途絶えがちになりました。

 それが何年もたってから彼のことを思い出し、自宅に近況を訪ねた翌日に、彼の死に直面するとは、本当に衝撃でした。N君の死を、私の潜在意識の中で予知し、こんな行動をとらせたのかもしれません。
 
 しかし、死とは、今生での役割を終え本来の世界に戻っていくことと理解している私は、彼の死を悲しむというよりも、彼がこれまで何を成し遂げてきたかということを考えました。彼のお母さんから、仕事場では一生懸命真面目に働き、同僚からも信頼されていたということを聞き、彼は十分に更生したのだなと確信しました。早すぎる死でしたが、彼はこの世の生を全うし、本来の世界に帰っていったのだと思います。

 N君との出会いから、その後5人の対象者の保護観察を行いました。薬物や窃盗、傷害などいろんな犯罪を犯してきた者に会いましたが、彼らの更生にかける思いは真剣なものです。なかなか難しいことですが、底辺からはい上がり、更生しようと努力している者もいるのだということを、社会からも理解いただきたいと思います。

 初めての対象者、N君の死を通して、いろんなことを考えさせられたこの頃でした。

2009.07.15 対象者N君の死
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