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傾聴

2012年11月09日

 傾聴(けいちょう)とは、耳を傾けると書きます。

 昨日8日の朝早くに南三陸に向かいました。庄内在住のお坊さん達5名で、被災地の仮設住宅を訪れるためです。私以外は若手僧侶なのですが、自らお願いして彼らの仲間に入れてもらいました。私は恥ずかしながら被災地での活動はまだ三度目で、南三陸は初めてだったのですが、フットワークが軽く志しの高い彼らは、震災後間もなくから炊き出しなどを始め、南三陸を中心に幅広いボランティア活動を行っていました。

 今回の活動は仮設住宅に伺い、被災者の皆さんにお茶やお菓子を振る舞うこと(行茶)です。既に震災から一年半が過ぎ、衣食住など生きていく上で最低限のものはある程度足りてはいるので、なぜ今行茶ボランティアなのかと言うことですが、飲食というよりも、話し相手になることが目的なのです。

  震災から日が経ち生活面では落ち着いてはいるものの、仮設での快適とはいえない暮らし、家族を失った悲しみや今後の人生の展望など、被災者の胸の内には様々な葛藤が去来していることと思います。そんな方々の言葉に耳を傾け、話し相手になることで少しでも慰めにもなればという思いで行っています。それが、傾聴ボランティアなのです。

 集会所に集まった被災者は、男女のお年寄り約20名ほどでした。私達を見ると、「遠くからよく来てくれたね」と皆さん笑顔で迎えてくれました。話し相手を求めているということもありますが、やはり若手のお坊さん達が、これまで何度も足を運んで信頼関係を築いてきた結果でした。初参加の私にまで手を合わせて迎えてもらい、とても申し訳なくありがたい気持ちでした。

  最初は世間話がほとんどでしたが、時間が経つにつれ、津波の恐ろしさ、亡くなった家族のことや現在の心情などポツポツと話してくれました。お坊さん相手なので、親族の供養、お寺やお墓のことなどにどうしても話は行きます。もしかして彼らは、先に逝った親族が今どうしているのかを知りたい気持ちがあったのかもしれませんが、それは言葉にしませんでした。たとえ聞かれたとしても、非常にデリケートな部分で、私なりに考えはあるのですが、彼らの慰めになる話が果たしてできたか、自信はありません。

 僧侶として、いったい自分は人を救える立場にあるのだろうかと、自問自答してしまいます。生き方が伴って初めて言葉に説得力がでてくるのです。今は耳を傾けることに徹するべきだと思いました。

 傾聴はこれからも続けていきたいと思います。 

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