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畏敬の念

2009年02月05日

 今年も2月3日の節分に、森の山から鬼がやってきました。若草の豆まきは、鬼が怖いということで評判(!?)なのですが、今回は史上最多の7頭(匹?人?)、そして初めて、女性の鬼(通称「鬼嫁」)が登場しました。

 いつも腕白で強がり言う子ほど、鬼には弱く、泣いてしまうのですねえ。今回も我々鬼達がホールに現れたとたん、最初は豆を投げつけて頑張っていた子ども達も、もう逃げまどうばかりでした。

 でも、目に涙をいっぱいためて逃げる子ども達を見てかわいそうになり、ちょっと手加減すると、パンチやキックが飛んでくる場合もあります。特に年長の男の子は、テレビのヒーローになりきってポーズを決めてかかってきますので、こちらもそれに合わせて倒れたりします。勇気を出して鬼と戦ったという気持ちが自信になり、退治したという誇りで大満足の様子。またそこで生き返ると、びっくりして逃げるのですが・・・。

 鬼と向き合うことで自分の弱さを思い知らされ、そこにとどまるか乗り越えるかの選択を強いられる、そんな過程を子どもの中に見る思いがします。

 鬼のように有無を言わさない怖い存在、昔はお父さんであり、近所の頑固爺さんだったり、学校の先生だったりしたと思いますが、最近ではそういう存在がなくなったのかなと思います。私自身もそうですが。

 ちょっと話は飛躍しますが、オーストリアの哲学者で教育学者であったルドルフ・シュタイナーは、子どもの時代に、「畏敬の念」を持つことが大切だと言っています。「その対象に対して、内的には近づきたい、一体化したいと切望しつつ、外的には畏れおののいて、一定の距離を保つ」存在が子どもには必要だと言っているのです。

 自分には到底届かない存在、姿、あるいは現象に触れた時、人間は「畏敬の念」を感じ、自分の心の内に深い感動を呼び起こし、そしてその存在に対して少しでも近づきたいという強い気持ちがこみ上げ、そこに人間の無限の可能性を実感し、実践していく力になっていくのではないでしょうか。

 もちろん鬼に対しては、畏敬の念というよりも恐怖感が先にくるのですが、鬼の持つはかりしれないパワーと絶対的な存在感に子ども達が触れることで、自らの弱気の虫をやっつけるきっかけになってくれれば、若草の鬼達も本望と言えるでしょう。

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