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恐山参拝(寺報『境内と園庭』冬号)

2007年12月05日

 九月三十日~十月二日まで、檀信徒の皆さんと共に、青森県の霊場恐山参拝に行ってきました。私にとっても初めての恐山でありましたので、とても感慨深いものがありました。
 今回の参拝旅行の詳細に関しては、今号の特集で他の方々より紹介されているのでそちらに譲るとして、恐山を散策した印象を記したいと思います。
 二日目の早朝、一人で恐山の岩場を歩きました。あたり一面霧がたち込め視界がかなり悪く、硫黄ガスの香りが充満する中を歩いていると、自分が本当に地獄に迷い込んだような気がしました。それはあたかも、持地院で八月に行われる森の山まつりで飾られる「地獄の絵」の掛軸を、現実に再現したような世界でした。実際に三途の川や血の池地獄、重罪地獄等々八大地獄の名称が存在するのです。
 しかし、恐山を恐山たらしめているのは、それらの地獄でなく、やはり「賽の河原」の存在だと思います。地獄の絵の掛軸にも大きく描かれていますが、親より先に亡くなった子ども達が、この世でできなかった親孝行や積めなかった功徳の代わりに、「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため~」と石を積み上げて仏様に供養して、その功徳を両親に回向しようとする。ところが、石が積みあがって山になると、鬼が現れてその石の山を蹴散らし、崩してしまう。すると、子供らは泣く泣く、最初から積みなおす。「賽の河原の石積み」が報われない努力の喩えに使われるのは、この物語に由来します。
 ここ恐山の賽の河原にも、幾重にも積まれた石があちこちに点在し、幼子が着るような服、お菓子、風車等が置かれているのでした。我が子を亡くした親達が、ここに来ては石を積み、お供えしていくのです。夏の大祭では、おもちゃの象徴として無数の風車が並ぶそうです。
 前夜、宿坊の吉祥閣で夕食の後に行われた、南直哉住職による法話が心に残りました。偶然にも彼は、私が永平寺で修行してた頃にお世話になった方で、十数年ぶりの再会でした。
 「恐山の岩場を歩くと、あちこちに草が結んである。これは、積んだ石を崩しにくる鬼達を怖がって子どもが逃げる、それを追いかける鬼を転ばそうとして、親が結ぶのです。また、樹木の枝にはたくさんのタオルが掛けてある。これも、故人が汗を拭けるように遺族が掛けていくのです。恐山の岩場のあちこちに積み上げられた石の中には、文字の書いてあるものがあります。多くが人の名前や戒名なのですが、あるとき、こう書いてある石を見ました。「もう一度会いたい」。この気持ちの中に死者はいる。恐山は、それが純粋に、なんら飾ることなく表れるところなのです。」
  モヤモヤした地獄の中をしばらく歩いていくと、霧の向こうに突然視界が開け、広い湖が現れました。そこが極楽浜でした。まさに「地獄の絵」の掛軸で、地蔵菩薩が子ども達を救いに現れる場面、その通りの風景がここ恐山に存在していたのでした。「賽の河原の石積み」は、最後には報われ、子ども達は平和な彼岸に渡ることができるのです。 
 法話の終わりに、南住職が修行僧時代に、永平寺のある老師から「人は死んだらどこに行くのか知っているか」と問われた話をしました。老師はこのように答えたそうです。「人は死んだら愛する人の元に行くのだ」と。
 先に亡くなった愛する人から導かれ、人は今日も恐山を訪れるのでしょう。 
 最後になりましたが、今回の参拝旅行の企画、段取り等をしていただいた護持会事務局の方々、細やかな気配りでお世話していただいたBS観光添乗員の大類さんに深く感謝申し上げます。

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